2017年6月12日月曜日

「きらめき」って、食べられるんですか?


作家の綾瀬まるさんのエッセイに
スポーツ観戦を素材に書かれた「きらめきを食べる」があります。

綾瀬さんは、相撲の某大関を応援し始めたのですが、その理由は、自分と同じ年だったから。「この力士に負けてほしくない」と思いながら観戦するようになり、そこで気が付いたのは、「他人の人生のきらめきを食べている」ということ。

なぜ、「きらめきを食べている」のかといえば、
大人になるにつれて自分の欲求が自分一人では埋められないことが増えたので、
他人の人生のきらめきを咀嚼することで、代わりに埋めている。

同じ年齢の大関が、若くて勢いのある力士に「負けてほしくない」という気持ちが沸き、
実際に対戦して、大関が勝利をして安心する。

大関は、綾瀬さんにとって「こうあってほしい」を実現してくれる存在になり、
綾瀬さん一人では埋められないものを埋めれてくれたと思い、

「他人の人生のきらめきを食べている」ことに気が付いたそうです。


綾瀬さんとは少し違うけれど
パラスポーツの取材をしていて、きらめきを感じることがあります。

怪我から復帰した選手が、ようやく以前のようなパフォーマンスに戻りつつあるのが分かった時。

国際大会に出て世界トップクラスの選手たちから刺激を受け、自分の足りない点を口にしている選手の言葉を聞いた時。

日頃のトレーニングを支えてくれている人や、地域の人たちに心の底から感謝を示している選手の姿を見た時。

パラリンピックのような大きな大会でのパフォーマンスよりも、そこを目指していく過程に、きらめきがある気がします。



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