2019年8月29日木曜日

自分自身を演じている #映画#存在のない子供たち 


スラムの貧困と移民の問題を、主人公の子どもの視点を通して描いた映画「存在のない子供たち」。

主人公のゼインをはじめ、主なキャストは、役柄に近い経験がある素人だそうです。
ドキュメンタリーではなく、フィクションの映画なのですが、登場人物一人ひとりがそれぞれの役柄にはまっています。演技とは思えない。
おそらく、それぞれが等身大の役を演じていた。ありのままの自分自身をカメラの前で見せたのではないかと思わされました。

子どもたちが、子狡さや賢さを備えており、やけに大人びて見えるのは、貧困の中を生き抜くには、そうならざるを得ないのかもしれません。

貧困や移民の問題は、映画の中でも解消されないのですが、
映画のラストには、少し救われます。

この夏、お勧めの映画です。

#存在のない子どもたち

2019年8月25日日曜日

【苦しかったときの話をしようか】「やりたいことが見つからない」理由



「苦しかったときの話をしようか」(著・森岡毅、ダイヤモンド社)は、
ビジネスマンの父が子どものために書きためた「働くことの本質」を伝える本だ。

進学や就職、転職に悩んでいる人には、自分の悩みを整理するヒントがたくさん詰まっている。この本を読めば悩みの答えが分かるのではなく、答えを見つけるために、どうすればよいかが分かる本だろう。

例えば、進学や就職にあたり、自分自身の「やりたいことが見つからない」という悩みは、よく挙げられる。
私自身も、特に「これをやりたい」というものは明確になっていなかった。
「なんとなく、好きか、嫌いか」くらいの判断で、文系か理系か、就職先の業種を選んでいたと思う。

著者によると、「やりたいことが見つからない」という問題の本質は、世間のことをまだよく知らないからではなく、本人が自分自身のことを良く知らないこと。つまり、問題の本質は、外ではなく、自分自身の内側にある。
自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもないという。

本書の中では、この「軸」のつくり方が示されている。
これが、進学や就職に悩んでいる人が答えを見つけるために、どうすればよいかを自分で考えていくための手がかりになる。

「若い世代のための本か」と思ってしまう方もいるかもしれないが、私がもっとも面白かったのは「第5章 苦しかった時の話をしようか」で触れられている、著者自身の失敗、苦しかった経験の告白だ。

実際の経験から出てきた言葉は重いし、その経験から得た気づきは、深い。

アドバイスの一つは、自分自身の成長にフォーカスする考え方だ。
これは、世代に関係なく、何歳の方でも、男女問わず、
人生100年時代を前向きに生きていくために役に立つ考え方になると思う。

著者は、次のように書いている。

「今日の自分は、何を、どう学んで昨日よりも賢くなったのか」
その1点を問える自分であればいい。

「できない自分」ではなく、「成長する自分」として自分だけは自分自身を大いに認めてあげてほしい。そうすれば苦しくても、心が壊れる前にきっと相応の実力は追いついてくるだろう。

仕事のキャリアを積むには、時間が必要な部分もあり、若い時から「軸」をつくり、方向性を見定めて努力していくことが有利な面もあると思う。

ただ、ある程度、年齢を重ねている人が、これから努力することについて、遅すぎるということはないと思う。人生をより前向きに生きるために、昨日よりも今日、今日より明日へ向けて、自分を成長させていく。そういう志を持てる自分自身でありたいと思う。







苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」


2019年8月20日火曜日

【むらさきのスカートの女】気になる女の存在、誰にでもある心理かもしれない。



気になる女。
そういう存在の人が、誰にでも、一人か、二人いた経験があるのではないでしょうか。

美人ではなく、着飾っているわけではなく、特別目立つ振る舞いがあるわけでもない。
だけど、何だか気になって、つい注目してしまう。
あの人は、いつも、こんな感じの洋服を着て、こんな顏をしている。
あの時刻には、たいてい、このあたりにいる。
どのお店で、こんなものを購入している。
気になる女の情報を、無意識に集めてストックしていたりする。

主人公が気になるのは「むらさきのスカートの女」だ。

物語が進むにつれて、「むらさきのスカートの女」がどのような女性かが明かされていく。
どんな場面で、どんな行動をとる人なのか、エピソードが積み重ねられる。
彼女を見守っている主人公が、「むらさきのスカートの女」の言動に何を感じているのかも示されていく。

そして、ある事件が起こり、「むらさきのスカートの女」が、姿を消す。
その途端、彼女が何者だったのか、再び、分からなくなる。
主人公と「むらさきのスカートの女」が重なってしまったかのような感覚も覚える。
それまで構築されていたはずの世界が、クライマックスを境に、ぐにゃっと曲げられるような気もする。

気になる人物、気になる女は、誰にでもいるだろう。
著者は、誰にでもある「気になる」心理を巧みに突いているのかもしれない。


【第161 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女




2019年8月14日水曜日

【昨夜のカレー、朝のパン】猛暑に疲れた頭にお勧め。くすっと笑って、ほろりと泣ける一冊



猛暑に疲れてしまったら、短編の小説がお勧め。

「昨夜のカレー、明日のパン」(河出文庫)は、9つの短編が連なって、一つの物語になっている。
主な登場人物は、テツコさんと、テツコさんの夫の父親(義父=ギフ)の2人で、この2人を取り巻く人物が一つひとつの短編に登場する。

この作品は読んでいるうちに、ぼぉーとしていた頭の中に、爽やかで、温かく、どこか懐かしい生活の感じが浮かんでくる。

2人の生活に漂よっている空気感が伝わってくる。

暮らすって、こういうことなんだと感じる。

物語が進むにつれて、その暮らしの基盤にあるもの、背景にあるものが見えてきて、
生きていくとはこういうことだと腑に落ちる。

夫の一樹を病で亡くした後、ギフと2人で暮らしているテツコさんの心の動きが細やかに描かれていて、時折、涙してしまう。

私は、汗を拭うふりをして、ハンカチで涙を抑えた。

自分の生活を振り返って、テツコさんのように丁寧に暮らしているかなぁと考えた。
他人とどう向き合っているかなぁ、と考えてみた。
さらりと読めるけれど、結構、深いテーマを描いている作品だと思う。





2019年8月13日火曜日

「平和ボケ」していることに気がつかされる1冊



広島、長崎、終戦記念日
8月が来ると、必ず、テレビのニュースや新聞で取り上げられる話題だが、
子どもの頃に見たり聞いたりしていたのと、
大人になった今、見たり聞いたりするのとを比べると、
その「重さ」に少し変化があるように感じる。

時が経過するにつれて、戦争を体験している人は少なくなっている。
経験に根付いた言葉で語ってくださる方も少なくなっている。
時間が経つにつれて、実際に起きた出来事が遠くなっていく。

次々と新しい出来事が起こり、新しい情報が頭の中に入ってくる。
祖父母やもっと上の世代が経験した「戦争」の情報が、頭の隅へ追いやられてしまう。
記憶が次第に薄れ、子どもの頃、最初に見たり聞いたりした時に感じた「重さ」も変わってしまっている気がする。

どうしたら、いいか。
大人になっても、大事だと思う情報は、繰り返し、頭の中に入れ続けることかもしれない。
何度も、何度も、過去に思いをはせることかもしれない。

「戦争」で、命を奪われた人。それまでの生活を失った人。家族を奪われた人。人生が大きく変わってしまった人。誰かを傷つけなければならなかった人。

もし、自分が、その人だったら、どうしたか。どんな思いをしていたか。想像だけでもしてみるべきかもしれない。

情報を得たり、考えるきっかけをくれる方法が、読書だと思う。

最近、読んだ本の中から、お勧めをご紹介。

「天皇の戦争責任」について、自分の意見を述べなさい。
そんな課題を与えられた時、対応できる学生がどれだけいるだろうか。
米国の高校に通っているマリは、この課題に、どう答えたのか。

「赤坂プリズン」は過去と現在を行ったりきたりしながら、読者に考えさせる。
元号が変わった年でもあり、「天皇」の在り方や権限などについて、改めて、考える時かもしれない。

 

「不死身の特攻兵」は、実際に特攻兵になった人が、特攻という戦略についてどう捉えていたかを知ることができる1冊。軍隊という組織の中で発生した理不尽さも浮き彫りにされている。

「へいわとせんそう」
平和と戦争。何が、両者を分けるのか。
並べられた言葉から、平和と戦争は背中合わせ、紙一重だと実感する。


  
















2019年8月8日木曜日

【悲しみの秘儀】人生の道標になりそうな一冊



「悲しみ」について、私は、できるだけ少ないほうが良いと思っていた。
「悲しみ」につながる出来事や経験は、できれば出会いたくないと思う。

しかし、若松英輔さんの著書「悲しみの秘儀」を読むと、「悲しみ」の価値が分かる。
「悲しみ」を知るからこそ、「喜び」が分かるということだ。

「悲しみ」につながる経験を、積極的にしようということではない。
人生の中で、予期せぬ出来事は、少なからず起こる。
耐え難い気持ちになったり、心に傷がついて、それがトラウマのように残ることもある。

「悲しみ」を転換して、「喜び」に変えることはできないだろう。
「悲しみ」は「悲しみ」として存在し、その存在があるからこそ、別の感情をよりいっそう強く感じとれるということだと思う。

本書の中で、若松さんは、恩師の井上洋治神父の遺稿を紹介している。

『宗教は考えて理解するものではなく、行為として生きて体得するものです。たとえてみれば、山の頂上にむかって歩んでいく道であるといえましょう。人は二つの道を同時に考えることはできても、同時に歩むことは決してできません』

この遺稿では、「宗教」について言及しているが、「宗教」を「生きることの意味」と言い換えてもよいだろう。

若松さんは、恩師の遺稿を受けて、
『人生の意味は、生きてみなくては分からない』と書いている。

人生において、自分が歩くことができるのは、たった一つの道である。
頭の中では、「あんな人生」「こんな人生」と複数の道を描くことができるが、
実際の人生は、たった一つだ。

どんな人生なのか。自分で生きてみるしかない。


若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義



2019年8月1日木曜日

【あひる】芥川賞作家今村夏子さんの短編 人の持つ残酷さがキラリ



人は、残酷な生き物だ。
残酷な部分を知っていても、見ないようにする。
見ていても、見なかったことにする。
知らないふりをする。
ふりをするまでもなく、忘れる。
特定の人のことではなく、たいていの人が、そういう残酷な面を持っている。

今村夏子さんの短編小説「あひる」

ある日、あひるを飼うことになり、家族に変化が生まれる。
ほんわか、温かい、純朴な子供たちも登場する話かと思ったら、見事に裏切られる。

何を「幸せ」と位置づけるか。

それを位置づけた途端、裏側に入れて、見えないようにする側面ができる。

その部分に焦点を当てている作品で、読み終わってから、じわじわ怖さが沸いてきた。

「おばあちゃんの家」と「森の兄弟」は繋がっている作品ですが、「森の兄弟」の終わり方は衝撃がありましたが、結構、好きです。

あひる (角川文庫)