2018年11月30日金曜日

平成も最後だから、この1冊。「昭和の子」だと口にする同級生たちの物語 #読書#小説#同窓会



年末年始に地元に帰省して、同じ学校に通っていた同級生たちと集う人もいるのではないでしょうか。

久しぶりに会うと、「大人っぽくなったね」「垢抜けた」とか、
「太った」とか「老けたね」とか、お互いに様々な感想を持つことになります。

仕事とか家庭環境の変化とか聞いて、刺激を受けたりすることもありますね。

学生時代のことをあまり思い出したくない場合は、同窓会なんて出席しないでしょう。

私自身は、同窓会にはご無沙汰しているタイプです。


小説「田村は、まだか」は、同窓会の後、三次会で、同級生だった「田村くん」を待っている人たちの物語。

田村くんがどんな人か。

なぜ、田村くんを待っているか。

が明らかにされた後、

田村くんを待っている人たち、一人ひとりがどんな人物かが分かる物語が展開されます。

彼らが自分たちのことを「昭和の子」だと口にする場面があり、

私も「昭和の子」なもので、ちょっとしみじみしちゃったりします。

平成も最後の年となり、自分たちのことを「平成の子」だと思っている人たちもいるのだろうと想像すると、

ちょっと、歳を重ねちゃったわね。なんて、思います。


田村くんを待っている人たちの物語はとても面白いですが、

スピンアウト的な作品

特別収録「おまえ、井上鏡子だろう」もお勧めです。

田村くんを待っている人たちの物語が、人と人のつながりを感じさせて、とても温かいので、

井上鏡子をめぐる物語が、ちょっと肌寒く感じられ、それが結構リアルな感じで、私は好きです。

「ああ、こういうことってありそうだな」と思います。


#朝倉かすみ#同窓会#読書#札幌

田村はまだか (光文社文庫)

2018年11月29日木曜日

「書く」ということを、仕事にしなくてもいいんじゃない #文学界#東浩紀



会社を辞めて、都会からどこかに田舎に移住して、
畑を耕したり、お花つくったり、のんびり生活してみたいと思うことがあります。

もし、そういう決断をしたら、どうだろう?と想像を拡げてみると、
でも、やっぱり、私は、どこに居ても何かを書いている気がします。

出版社に勤務して、「書く」という仕事を続けてきて、
会社を辞めても、「書く」ことを辞めることはないのだろうと思うんです。

現在は、「書く」ということが仕事になっていて、
「書く」という手段で生計を立てているのですが、
例えば転職して、生計を立てるための仕事が「書く」ことでなくなっても、
おそらく、「書く」という行為は続けるでしょう。

私の場合は、たまたま「書く」ことを仕事にすることができ、
それで生計を立てられているのだから、まぁ、幸せだ。と言えるのかもしれません。

「文学界」2018年12月号のテーマは、「書くことを「仕事」にする」です。
寄稿の一つ、東浩紀さんの「職業としての「批評」」を読んでいて、
①「書く」ということ、②経済的に成功すること(生計を立てること)
①と②は、必ずしもつながらなくてもよいのだと、自分の中で整理ができました。

職業として作家を目指すのなら、
「書く」ということと、経済的に成功すること(生計を立てること)がつながる状態を
目指すことになります。
私自身、「書く」ことを仕事にしたいと思って、実際に仕事にしているわけですが、
私が目指しているのは、「職業としての作家」ではないかもしれない。

東さんは、「職業としての「批評」」の中で、

そもそも書くという仕事で経済的に成功することだけが目標なら、必要なのは、「いっぱい連載を持って書評もどんどん書いて、どんな依頼も断らずに現代の世の中を貪欲にウォッチ」みたいなことに尽きます。
けれども、そうやってトレンドをつねに追いつつそれに合わせて文章を書くというのは、資本主義の中で商品開発しつづけるのと同じです。

言い換えれば、哲学者や批評家というのは、たんにおもしろい文章=商品を書けばよいのではないのです。


と書かれています。

私自身が取り組みたいことは、トレンドを追いつつ、それに合わせて商品開発し続けることとはちょっと違う気がします。

たくさんの人には売れないかもしれないけれど、
丁寧に作り上げた、手仕事みたいな「書く」ことをしたい。

ただ、美術品や伝統工芸とは異なり、文章という商品は、仮にそれが手仕事みたいに丁寧につくったものであったとしても、それほど高く売れません。

だから、書籍や記事をつくるのは一つの目標であり、通過点ではあっても、最終的なゴールじゃない。

生きていくために、経済的に成功すること(生計を立てること)は必要。

それを踏まえて、「書く」ということのゴールを、どう設定するか。

改めて、自分のビジョンをつくってみよう。

文學界 2018年12月号

#東浩紀#文学界#職業としての「批評」


2018年11月28日水曜日

【夜長に、この一冊】ミステリーだけど、報道の在り方について受け手である読者に問いかける作品 #王とサーカス



異国の地で、王族が殺害されるという事件に遭遇する女性記者が主人公。

ミステリーなので、犯人は誰かという謎解きのストーリーなのですが、
主人公が自身の仕事である報道について、その在り方を自問し、答えを追い求めていくことが、ストーリーの軸になっています。

「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」
「恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ」
登場人物が、主人公に投げた言葉。

惨劇は、娯楽。
厳しいけれど、核心をついていますよね。

テレビや新聞で取り上げられた出来事は、なぜ、ニュースになったのか。
世の中にある様々な出来事のうち、ニュースに取り上げられていないものは、
なぜ、取り上げられないのか。

何について知ろうとするのか。
その出来事について知った後、どうするのか。
知ったことを伝えることに、どんな意味があるのか。

問われた時に、明確に答えられるものを持っているかしら?
報道に携わる人は、改めて考えさせられるかもしれません。

このミステリーの読み手、
つまり、報道やニュースの受け手である人たちに、
報道やジャーナリズムの在り方について考えさせるようになっている点が面白いと思います。

#このミステリーがすごい#王とサーカス#米澤穂信