2015年10月20日火曜日

自信とは、自分を信じること

自信という言葉の意味は、

「自分を信じる」ということ。

でも、自信が持てなくて、うじうじしたり、

何とかしようと思っていても

何をすればいいのか選べなくて、

もやもやしたりすることがありますね。

でも、「自信は、自分を信じること」であるならば、

自分一人くらいは、自分のことを100%信じてあげよう。

白石豊さんの著書「心を鍛える言葉」では、

「自信は、過去の実績に比例しない」と書かれていました。

自信の大きさに影響するのは、

それまでに、どんな成果をあげてきたかとか、

どんな実績をあげてきたかとか、

「過去の実績」ではありません。

自信の大きさに影響するのは、「セルフ・イメージ」。

つまり、自分が、自分のことをどのようにとらえているか、ということです。

これは、とても深~いお話しなので、

アルコールでも入らないと、私は語れないですけれど、

「セルフ・イメージ」を良いイメージにして、

自信を大きくできる方法も知り、可能性を感じました。

自信は、自分のことを信じるということだから、

自分の「良いイメージ」をつくって、それを信じることから始めよう。

他の誰でもない、自分だから、自分一人くらい、

自分の良いイメージを信じ抜けばよいのです。

2015年10月19日月曜日

やる気をなくす言葉、使っていませんか?

やる気、ありますか?

いつも、やる気がキープできればいいけれど、

やる気に波があること、ありますね。

白石豊さんの「心を鍛える言葉」(生活人新書)に、

やる気をなくす言葉がけとして、次のチェック事項があげられていました。

他人への言葉がけだけではなく、

自分で自分に対する言葉がけも当てはまります。

1 他人から「完全」を要求されていませんか?
  また、自分でも自分に「完全」を要求していませんか?
  例「お前はエースなんだから、完璧にやって当たり前だ」

2 欠点ばかり指摘されていませんか?
  また、自分でも欠点ばかり指摘していませんか?
  例「あそこもだめだ、ここもだめだ」

3 常に他の人と比較されていませんか?
  自分でも、常に他の人と比較していませんか?
  例「あいつはうまくできるのに、どうしてお前(私)は」

4 達成できそうもない目標を課せられていませんか?
  また、自分でも、そうしていませんか?
  例:県大会初戦敗退のチームが、甲子園出場の目標を設定。
毎年、挫折感を味わう。

5 自発性が損なわれていませんか?
  また、自分でも自発性をそこなっていませんか?
  例「どうせ三日坊主だろ」「ほら、やはりダメだったじゃない」

毎日、繰り返して使っているわけではないけれど、
自分自身、どこかでチラリと口にしてしまったものは、ありそうです。

自分で、自分の「やる気」を摘んでしまうのは、もったいないですね。


2015年10月15日木曜日

【思考のレシピ】対立を経験して、それを超えると、新しい道がみえてくる

新しい道を発見するのは、どんな時か。

経験したことや、蓄えた知識を、いったん捨てるような境地に

立てた時かもしれません。

羽入佐和子さんの著書「思考のレシピ」は、

物事の考え方について、哲学をもとにわかりやすく解説されている本です。

その中に、「反発や対立は、思考の展開に必要か」という項目がありました。

要約すると、次のようなことが書かれています。

知識が増しても、解決できないことがある。

分析をし尽くしても、分析にかからないものが残ってしまう。

しかし、

問いを続ける中で、

良いか、悪いかなど、対立を経験し、

物事を細部に分けて分析をしつくすことは、

思考の過程において必要です。

対立を経験し、分析し尽くして、

さらにそのうえで、それらを超えて、何かを発見しようとするとき、

思考は、新しい道を見出すにちがいありません。

羽入さんの説明に少し付け加えるならば、

物事を考えるとき、

良い・悪いや、どちらを選ぶかという

対立軸で考えなければならない局面はあります。

でも、その対立で考えたうえで、

その対立を超える道を探してみること。

細部に注目して、分析することは大切ですが、

細部から目を離して、全体を眺めてみること。

対立の思考や、分析の思考を経験したうえで、

それらを超えたところに立って、

思考してみようとすることが、

新たな知恵を生むということだと思います。

経験したこと、蓄えた知識を、

いったん捨てるような境地に立ってみるということですね。


2015年10月14日水曜日

【コンセプトのつくりかた】「悪口」を考えると、見えてくるもの




「悪口」を考える。

一般的には、あまり勧められることではありません。

でも、いったん「悪口」を考えて、

それを全部、吐き出して、じっくり眺めてみると、

これまで気が付かなかった、未知の良さが見えてくる。

任天堂の「Wii」というゲーム機を企画した方の発想術をまとめた

「コンセプトのつくりかた」(玉樹真一郎・著、ダイヤモンド社)に、

そんなことが書かれていました。

例えば、「ゲーム」には、

「ゲーム脳」、「不健康」、「部屋で一人で遊ぶ」「根暗」とか、悪口がつきまといます。

これらをすべて出し尽くして、

これらの「悪口」の真逆には、どんなことがあるだろう? と考えてみる。

「健康」、「明るい」、「世代を超えて楽しめる」「みんなでワイワイする」と出てきます。

これが、新しいゲームを開発するヒントになるということです。

玉樹さんは、新しいゲームの開発を題材に解説されていますが、

これは、一つの思考法なので、

自分の状態を俯瞰したり、

次に向かってモチベーションをあげるのにも使えると思います。

「悪口」は、他人に対するものですが、

自分についても、失敗や、欠点、能力不足などが気になり

マイナス思考になることがあります。

気持ちの切り替えができればよいですが、上手くいかない時はどうするか。

いったん、自分で自分の「悪口」を全部、吐き出す。

もう、出てこないでしょうというくらい、

「悪口」を紙に書きだしてみる。

たくさんあるかもしれないけれど

並べてみると実は、たいしたことはないものだと思います。

それだけ「悪口」があるのなら、

その逆に、「良いところ」もあるのではないでしょうか?

成功したこと

特技、

長所、

私にできること、

いろいろあることに気がつくはずです。

 
良い側面だけ見ようとすると、見えてこないものが、

悪い側面を見て、それを受けとめると、

逆に見えてくる気がします。


2015年10月13日火曜日

知っていることを、わかっていることに。わかっていることを、できることに。

「知っている」ことと、「分かっている」ことは違う

「分かっている」ことと、「できる」ことは違う

技術は、練習を積み重ねることで上達し、怠れば下手になってしまう

筋肉は鍛えれば強くなるが、使わなければ弱くなってしまう。

技術や体は、トレーニングで力がつく。

同様に、

心も、言葉を通じて、トレーニングをすることで、力がつく。

メンタルトレーナー・白石豊さんの「心を鍛える言葉」に

上記のことが書かれてありました(一部改変)。

白石さんの本を読みながら、言葉が持つ「力」について考えています。

力があるがゆえに、使い方に注意が必要ですし、

工夫をすると効果的に使える気がします。

言葉を通じて、「知っている」ことを「わかっている」ことにし、

「わかっている」ことを「できる」に変える。

心を鍛えることを目指すコミュニケーションは、奥が深いです。


2015年10月9日金曜日

【心を鍛える言葉】 不安、あせりの原因とは?

イライラや、不安を、根っこから治す。

そんなこと、できるでしょうか?

「心を鍛える言葉」の著者・白石豊さんは、次のように指摘しています(一部改変)。

人の心に、不安やあせりが生じてくるのは、

結果もふくめて、あらゆることを自分で背負いこもうとするからだ。

不安やあせりの根底を探れば、

ここまでこれたのは、すべて自分の力であるという、不遜な考え方がある。

また、結果についても、

自分の願望どおりにことが進まないことには我慢ができない

といった傲慢な心がある。

物事に臨むにあたり、こうした自己中心的な考え方から抜け出て、

もっと伸びやかな心境で行動できるように努めるべきである。

白石さんは、メンタルトレーニングをしている相手から、

「自分の悪い部分を認めると、良い部分が浮かび上がってくる」

という言葉が出てきた時、それまでの姿から一皮むけたなと感じたそうです。

一段高いステージに立つためには、

自分の心の在り方を見なおすことも大切ですね。

今日も元気に


2015年10月8日木曜日

元巨人軍の川上さんが禅僧からいただいた言葉

「氷を溶かして、水にする」

元・巨人軍の川上哲治さんが、現役引退する際に、禅僧にいただいた言葉だそうです。

【『心を鍛える言葉』(白石豊・著、生活人新書)に掲載】

才能があり、努力をして、実績を残したとしても、

「自分が、自分が」と凝り固まった考え方では、手に入らないものがある。

そのような人は、頭が「氷」になってしまっている。

「氷」は、物を冷やすということでは有用だが、

「氷」では、顔を洗えないし、お茶も飲めない。

凝り固まっている「氷」の自分を溶かして、

「水」になることが大切。

「水」になると、どんな器にも融合し、

その場、その場の用途にあわせて、役に立つ。

自分を「水」にして、他人の中に入っていくと、

さまざまな役が担えるのかもしれません。


今日も元気に!

2015年10月6日火曜日

バカ者、よそ者、若者

「バカ者」「よそ者」「若者」

新しい物事を生み出すのは、こういう人達だといわれています。

なぜ、「バカ者」「よそ者」「若者」なのか?

それは、既成の概念、ルール、慣習のようなものに囚われず、

「自由」だからでしょう。

では、「バカ者」「よそ者」「若者」になれない人は、

どうしたら、新しい物事を作り出せるでしょうか?

自分が、すでに持っている価値観のモノサシを捨てて、

「自由」になれたらいいけれど、そう簡単にはいきませんね。

だからこそ、他人の力を借りるのだと思います。

私自身が、新しい物事を取り入れて、成長するにはどうしたらいいか。

他人は、私にとって「よそ者」。

私自身がもっている価値観に、

新しい視点をくれるのは、他人なのだと思います。

他人から見て、私は、どんなふうに見えるのか。

どんな状態で、どこを目指しているように見えるのか。

どこまで進んでいるように見えるのか。

聞いてみると、自分が気がついていない視点をいただくことがあります。

他人であれば誰でもよいというわけではないし、

親しい人がよい場合もあれば、

少し距離がある人のほうがよい場合もあるように思います。

ただ、自分がこつこつと前進していると、

何かで壁にぶつかった時に、

必要な他人が自然と現れるようにも思います。


今日も元気に