2015年9月30日水曜日

成功できた3つの理由

成功できた3つの理由

病気がちだったこと

貧乏だったこと

学歴がなかったこと

松下幸之助さんが、「成功できた理由」を尋ねられて、こう答えたそうです。

病気がちだったので、人にお願いするしかなく、

人を動かすことが自然と身についた

貧乏だったので、並大抵のことではへこたれなかった

学歴がなかったので、常に学ぶ姿勢をもてた

一般的には、病気や、貧乏、学歴がないことは、

不利な条件のように見えます。

それらを不利な条件だととらえないのが、

松下さんのすごさかもしれません。

同じ出来事でも、

「つらい経験だった」と捉えるか、

「勉強になった」と捉えるか、で、次の行動が変わってくるように思います。

何事も、成功につながる捉え方ができるといいですね。



2015年9月29日火曜日

「聞く」と、「聴く」

「聞く」と「聴く」

「聞く」は、音や声を感じ取る。

「聴く」は、耳を傾けて、聞き取る。

「聞く」よりも、「聴く」のほうが、

話をじっくり聞くイメージで使われているようです。

じっくり「聴く」ことは大切だけど、

それをしてみても、

相手の意図が分からなかったり、

聴けば聴くほど、相手の抱えている悩みの深さに気がついて、

どうしたら解決につながるのか、分からなくなることがあります。

そういう時、いったん「聞く」に戻ってみてはどうかと思います。

ただ、そこに一緒にいる。

相手の声を、とりあえず受けとめる。

それができただけで、まず、価値があることではないでしょうか。

「聴く」は、少し前傾姿勢、

「聞く」は、少しゆったり構える姿勢。

ゆるいけれど、

「聞く」ことから、何かが開けることもあるように思います。



2015年9月25日金曜日

言葉は、世界をつくる

言葉は、世界をつくる。

楽しい

うれしい

わくわくする

可能性を感じる

未来に希望がある

明るい言葉を使うと、気持ちが明るくなる。

未来に向かって可能性をひらく言葉を使うと、

可能性がひらいてくる。

自分の気持ちが沈んでいるときに、

偽りの言葉を使う必要はないけれど、

普段、なにげなく使う言葉は、

自分を高める言葉を使いたいですね。



2015年9月18日金曜日

「あなたなら、できる」を、伝える勇気

「〇〇さんなら、できる、と思うよ」
何気なく、話した時、
相手の表情が崩れて、涙を流されたことがありました。
その瞬間、私は、自分の想像力が足りなかったことに気がつきました。
その人にとって、「できる」「できない」というのは、
とても重みのある言葉だったのではないかということです。
「▲▲が、できていないです」
「××が、足りないです」
「■■に、注意してください」
これまでの人生で、
その人は、
そんな言葉をかけられる経験が多かったのではないか。
そんな言葉をかけられた時、
心の底で、「私だって、できる」と思いたかった
のではないか。
「できる」ことを目指して頑張っていても、
実際には「できない」ことに直面し、
打ちのめされてきたのではないか。
だから、
「できる」「できない」という言葉に
過敏に反応してしまうところがあるのかもしれない。
そんなふうに考えてみると、
相手の姿、行動と、その裏にある思いが、
つながって見える気がしてきました。
「〇〇さんなら、できる」。
これは、相手に期待を示す一言です。
その一言は、相手に、
うわべだけのお世辞と捉えられることもあるし、
そうした期待を寄せられることが、
プレッシャーになってしまう場合もあります。
良い方向に働けば、相手にとって自信になり、
「できる」を実現するかもしれません。
「〇〇さんなら、できる」という言葉が、
良い方向に作用するのかどうかわからない時、
使うべきかどうか迷います。
でも、その言葉を使う時は、
良い方向に作用するように祈りながら、
勇気をもって、口にするのだと思います。

2015年9月17日木曜日

良い?、悪い?、正しい?、正しくない? 二者択一はやめて

良い? 悪い?

正しい? 正しくない?

二者択一の選択肢で考える方法は、

ハッキリしていてわかりやすいけれど、

少し、行き詰まってしまう気がします。

今の状態が、良かったとしても、悪かったとしても、

それはそれとして、心の中に置いておく。

良くても、悪くても、

その次に考えるべきことは、同じかもしれません。

結局、私は、どんな状態になりたいのか?

それを実現するために、どんなことができるのか?

「どんなふうになりたい?」

「どんなことができる?」は、

二者択一の質問とは異なり、思考に広がりができる質問。

視野をぐぐ~っと広げて、

自分が求めている方向へ進みたいですね。



2015年9月16日水曜日

「普段」とは、「逆」を考えてみよう

「普段」とは「逆」を考えてみよう。

普段、怒ってばかりの人が怒っても、それほど怖くはありません。

相手に「あぁ、また、始まったわ」と思われて終わりです。

でも、

普段は大人しく、感情をあらわにすることがない人が、

怒りだしたら、たぶん、ものすごく怖いです。

相手の予想を、大きく裏切るからです

例えば、

「普段は優しいお母さんが、本当に悪いことをした時だけは、怒る」

「普段は、黙って話を聞いているけれど、いざという時は、大切な一言を発言する」

など、

普段と逆の間にあるギャップの効果を、

上手に使う方法がある気がします。

「普段」と「逆」を考えてみると、

思考の幅が広がって、新しいアイデアが生まれるかもしれません。



2015年9月15日火曜日

すべては、つながる

すべては、つながる。

嘘のような、本当の話です。

パルシステム生活協同組合連合会が発行している「のんびる」

10月号の「読者のひろば」のページに、東京都のうめぞうさんが、

私が実行委員を務めている「モノづくりサロン」について、

投稿してくださいました。

うめぞうさんは、私が京都に住んでいた頃からのお知り合い。

はじめてお会いしたのは、

私は、まだ社会人になったばかりで、

うめぞうさんは、大学生でした。

京都では、一度か二度、お会いしただけで、

その後、私は、京都から東京へ出てきてしまったので、

以来、ずっとお会いする機会はありませんでした。

ただ、唯一、年賀状のやりとりだけは続けていました。

ちょうど2年前、「モノづくりサロン」をスタートする時、

キックオフのイベントとして、

季刊誌「コトノネ」の編集長・里見喜久夫さんをお招きして

トークイベントを開催させていただきました。

その会場で、

一人の参加者が、私に声をかけてきました。

「河原さんですよね?僕、〇〇です」

目の前に立っている方の、顔には、見覚えがありました。

でも、すぐには思い出せない。

「???」

お名前を聞いて、

「え~っ!!!京都でお会いしていた〇〇さん?」

とても嬉しい再会でした。

うめぞうさんは、

今年夏に開催した「2014年度モノづくりサロン報告会&交流会」にも

参加してくださり、「のんびる」10月号に、その時のことを書いて

投稿してくださっています。

たった一度の出会いで、

人と人がつながります。

でも、つながりの中には、

切れてしまうものもあれば、

細くなってしまうものもある。

ところが、

ずっと後になって、

また、別の人を介して、

再び出会うこともある。

人とのつながりは、不思議です。

さまざまなことは、何らかの意味で、

すべて、つながっているのかもしれません。


今日も元気に♪

2015年9月14日月曜日

人と、人の、間に

人と人の間と書いて、「人間」になります。

人間なので、人の「間」で、さまざまな影響を受けて、

悩んだり、成長できたりするのだと思います。

例えば、

言葉をおくっても、相手に届いていないなぁ。と感じる時、

相手は、聞こえているけど、聞こえないふりをしているのか。

相手は、私と向き合って話しをするのを、避けているのか。

相手の問題ではなく、

私自身が、相手をどうにかしたいだけなのか。

もしかしたら、相手との距離を開けたほうがいいのだろうか。

いやいや、もっと距離を詰めて話したほうがいいのだろうか。

いろいろ考えます。

行き詰まった時に、

立ち戻るのは、「人と人の間」のイメージです。

言葉を発して、相手がそれを受け取っていないように見えたとしても、

その言葉は、必ず、私と相手の「間」にあるはず。

時間が経ってから、相手がそれを受け取るかもしれないし、

言葉そのものではなく、

私との「間」に存在するものに、気が付くこともあるかもしれません

人と人の間には、さまざまなものがあり、

一人の力ではどうしようもないと感じることもあるけれど、

それでも、

人と向き合っていくことは、

自分に向き合うことなのだと思っています。

「人間」だもの。


2015年9月11日金曜日

人は、パーフェクトだと思ったら、生きられない

人は、不思議。

自分自身も不思議。

世の中も不思議。

だから何がいいかなんて、分からない。

人の生き方は、なににおいても自由。

人生を生きて、後悔のない人はいない。

人は、パーフェクトだと思ったら、生きられない

完璧っていうことは、人には成しえないし、与えられない。

篠田桃紅さんの著書「百歳の力」にあった言葉です。

篠田さんは、中原綾子さんの歌

「人といふ 不思議のものに 生まれきて 不思議の多き 世の中を見る」

を、ふっと思い出すそうです。

人って、不思議。

自分も、不思議。

だから、面白いのですね。


2015年9月10日木曜日

自分の手で、現実をつかまえる

自分の手で、現実をつかまえろ。

かっこうが悪くても、

ひとからバカにされようと

いつも自分の手を地につけて

自分の手で現実をつかまえろ。

「暮らしの手帖」をつくった花森安治さんの言葉です。

「自分の手で」というところが、好きです。

「手仕事」という言葉もありますが、

どんなに知識があっても

どんなにたくさんの情報があっても、

結局は、自分が手をかけて取り組むことが大切だと思うし、

身をもって感じたことや、経験したことに価値があると思っています。

自分の手で、現実をつかまえる。

手の中に何かがつかめるイメージが沸いてきます。

今日も頑張ろう。


2015年9月7日月曜日

自分の「幸せ」は、自分が決めるものだけど

自分の「幸せ」は、自分で責任を持つ。
そんな一文を読みました。
何を「幸せ」とするかは自分次第、ということですが、
「幸せ」って、漠然としていますよね。
自分が何かを手に入れることよりも、
自分が何かをすることによって、
誰かに喜んでもらえたり、
誰かの役に立てたりするほうが
幸せになれるんじゃないだろうか。
と考えたりします。
「誰かのために」とか言うと、
偽善に聞こえてしまうかな。
たいそうなことを成し遂げようと、
思っているわけではないのですが、
ただ、他人を喜ばせることは、
自分を喜ばせることにつながると思うし、
人のつながりの中で、
自分のしたことは、
巡り巡って自分に返ってくる気がします。
自分の「幸せ」は、自分が決めるものだけど、
誰かとシェアできるもののほうが、「幸せ」が大きい気がします。

2015年9月4日金曜日

思いどおりにいかないから、おもしろい

思いどおりにいかないから、おもしろい。

書道家・篠田桃紅さんは、

墨で一本の線をひくことの面白さについて、

次のように書かれていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

定規できちっと引くなら、自分の考えたとおりになるでしょう・

でも、自分の中にある線を、フリーハンドで描くと、毎回、違う。

線は、自分の意思に沿ったものだけど、どこか裏切られている。

そこに、自分自身の初めての発見がある。

一本一本の線が、一期一会です。

つねにどうなるか分からない未知数は、人生と同じです。

人生は、いくら予定したところで、そうはいかない。

何が起こるか分からない。

大地震が起こるかもしれないし、

急に病気で倒れるかもしれない。

そういう時に、人間はどういうふうに処するかでしょうね

思いどおりにいかない。それが面白いんです。

いつも賭けなんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の中にあるものだけれど、実際は、どうなるかわからない。

そこに面白さがある。

問われるのは、いざ!という時、何かに直面した時、

自分がどう処するか。どういう行動をとることができるか?

ということかもしれません。

どんな局面でも、この先が「わからない」から

「面白い」と言える

ような心を持っていたいです。


今日も元気に