2022年3月28日月曜日

【だから僕たちは、組織を変えていける】変えたいのは組織なのか、自分なのか。

 

 

 会社、学校、趣味のサークル、地域の活動団体などなど、 大なり小なり「組織」に所属せずに、生きていくことは難しい。 
 組織のメンバーが自分と気の合う人ばかりなら良いが、 たいてい、そんなことはない。 人間関係がこじれたり、組織の目的と活動内容のズレがあったり、 さまざまな問題が内在するのが組織だ。 

 「だから僕たちは、組織を変えていける」(斉藤徹・著)は、 現代において、どのような「組織」の在り方が求められているか。
 組織を引っ張っていくリーダーは、どのようなことを重視していけばいいのか。 などをまとめた1冊だ。 

 過去の研究などで示された概念やキーワードの紹介が多いので、 この本にざっと目を通して、気になったキーワードを拾っておき、 次に、そのキーワードについて書かれた本を読みこんでいくのがよさそうだ。  組織やリーダーの在り方について学びたい人のためのガイド本、入門書として位置づけられるかもしれない。 

 私が、この本の中で一番気になったのは、組織に所属する人の「関係」について書かれた章だ。 
 特に、成功は、組織に所属する「メンバー」ではなく、「場の状態」で決まる という項で記載されている「心理的安全性」は、今、とても注目されているキーワードの一つだと思う。
 他の人の評価を気にすることなく、自分の意見や考えを言えるような(心理的に安全だと思える)場を つくれているかどうかが、組織の生産性に影響を与えるといわれている。 

 しかし、上司・部下、先輩・後輩、男性・女性などの関係性がある中で、 その関係性を取っ払って、モノを言える場をどう創れるのか。 心理的安全性がある場が創れたらいいなとは思うけれど、 現実的にはなかなか難しいだろうな。と思いながら読んだ。 

 個人的には、 「他人」と「組織」は変えるのは難しいと思っている。 
 変えることができるのは、 自分自身が「他人」や「組織」をどう位置付けるかだろう。 
 理想的な場・関係性を創るために、 まず、自分ができることは何なのかを考え、 日々の振舞いを変えていくことだと思う。
 「どうせ、私が何を言っても変わらない」と不満に思うことが多いかもしれない。
 ただ、本当に嫌なのは、「何も言っても変わらない」という言葉を言い訳にして 何もしないで諦めている自分自身かもしれない。
 「変わるかもしれない」という希望を抱いて、 小さなことでも取り組み続けることができれば、 結果としてほとんど何も変わらなかったとしても、 満足できるものかもしれない。

 本当に変えたいのは、組織ではなく、自分自身だという人は、案外、少なくない気がする。 

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2022年3月23日水曜日

【殺人者の記憶法】自分の記憶が曖昧になることの恐怖

 
 薄暗い森の中、大きなスコップで地面に穴を掘る。
大きな穴に、自分が殺した人間の死体を落して、再び土を被せた。 
 「私は、知りません」。
自分がしたことを知られてはならないと、必死に隠そうとしている。 
 隠し通せるはずはない。嘘をつき続けるのは苦しい。 
 そう思ったところで、パッと目が覚めた。 
 夢だった。 

 なぜ、そんな夢を見たのか、 思い当たることがあった。 
 数日前に見た映画の中で、主人公が殺人を犯して、その死体を森の中に埋めるシーンがあった。 そのシーンが特に気になったわけではなかったが、記憶にこびりついていたらしい。 夢の中で、私自身がその主人公とすり替わってしまった。

 目が覚めて安心はしたが、 夢の中で味わった、罪が暴かれることへの恐怖、プレッシャーを思い返し、 しばらくの間、気持ちが重かった。 

 小説「殺人者の記憶法」(キム・ヨンハ著、吉川凪・訳)は、アルツハイマー型認知症と診断された男の独白で構成されている。 

 男は、猟奇的な連続殺人を犯してきたものの、警察に捕まらず、今まで生きてきた。 
 認知症により、男の記憶が曖昧になっていく中、 男が語る「事実」と、 男に関わる人々が口にする「事実」とが交錯し、 物語の終盤に向かって、その乖離が示されていく。
 客観的な事実が明らかにされていくのだが、 男の頭の中にある「事実」のほうを信じるように、 読者は巧みに誘導されているのかもしれない。

 男の語る「事実」のほうが、事実であるような気がして、 周囲が説明する「事実」とのズレが奇妙に思えてきた。  私は、作者の仕掛けに、まんまと嵌まった読者になったのだろう。 

 読後に思い出したのが、自分が経験した夢のことだ。 
 もしも、あの夢を夢だと思えなかったら? 
 想像を超える恐怖、不安に襲われそうだ。 
 自分の人生、生活は、自分の記憶を基盤に成り立っているのかもしれない。

 さらっと読めるが、深いテーマに触れている作品だった。 

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2022年3月18日金曜日

【ニワトリと卵と、息子の思春期】子どもにとって、親は最大の権力者

親というのは庇護してくれる存在であるが、子どもにとっては最大の権力者。子どもは非力だ。

子どもの多くが、このことを知っているし、感覚的に分かっているものだろう。しかし、子どもから大人になって、さらに結婚や出産して、親になってから、このことにどれほど自覚的にいられるだろうか。

「ニワトリと卵と、息子の思春期」を読んで、まず、興味を魅かれたのは上記の「権力者」に関する指摘だった。

「オレに何が必要か、お母さんには分からない」

この本の著者・繁延あづささんは、ある時、長男からこう言われた。
母親であっても、息子のことで分からないことがある。

長男の指摘は、ある意味、正しい。だから、胸に刺さる。
一方で、長男が必要だという物事をすべて認めることも難しい。未成年の場合、親は、自分の子に何が必要か否か判断する役割を担っている。その役割を放棄するわけにもいかないだろう。
ある意味で正しい、けれど、それを正しいと認めてしまうわけにもいかない。
そんな時、多くの親は「親の言うことを聞きなさい」という態度をとり、親という立場に伴う権力を使ってしまうのかもしれない。


著者の繁延さんは、フォトグラファーとして妊婦の出産などを撮影されている。夫と、息子2人娘1人の5人家族。3人の子どもの母親だ。

このエッセイは、思春期に差し掛かった長男が、「ゲームを買うのをやめるから、ニワトリを飼わせて」と言ったことが起点となっている。

実際に、家族でニワトリを飼い始め、その後の経過を追っていく中で、著者の気づきが盛り込まれている。

母親として息子・娘と接する中で感じたこと。考えたこと。

ニワトリという生き物の命に触れて感じたこと。考えたこと。

東京・中野から東日本大震災を機に長崎に移住し、猟師から分けてもらった猪やキジの肉を食べている。

そんな繁延一家は、食べること、生きること、育てること、死ぬこと、これらが繋がっていることなどを実感しながら生活されている。

こうした生活のスタイルは特殊だろうが、
子どもたちの様子や言動を受けとめて、母親として、どう感じたか。
特に、著者が息子との口論で感情的になった時の自分自身を振り返っている点などは、読み応えがあった。

子育て、教育など、子どもに向き合っている方に、特にお勧めしたい1冊。