2019年12月19日木曜日

生きているか、死んでいるか #掃除婦のための手引書



「学校に行きたい」
「お医者さんになりたい」
いわゆる発展途上国の子供たちを追ったドキュメンタリー番組で、
家の仕事を手伝ったり、兄弟の面倒をみていて学校にいけない子どもが、
こんな夢を語っていたのを見た記憶がある。
栄養状態がよくないためか、年齢のわりに、小柄な体。
よれよれのTシャツに、ぼさぼさの髪の毛、
しかし、黒い瞳がキラキラと輝き、笑っていた。

日本の子供たちは、どうだろう?
死んだような瞳で、教室にいないだろうか。

テレビに出てきた子と同じように
「学校に行きたい」と思うことは、ないかもしれない。
さまざまな事情で、「学校に行きたくない」と思う子は、
けっこうな人数いるようだ。

途上国の子と比べて、日本の子供たちは、夢を描けていないのではないか。
少し心配になってきた。

「掃除婦のための手引書 ルシア・ベルリン作品集」
これは、すごい。なんなんだろうと、驚いた一冊。

暴力、貧困、ネグレクト、ドラッグ、アルコール中毒、生と死…。
物語に描かれている世界は、厳しい。
苛刻な生活環境を背景にしている。

しかし、暗くはない。
「幸せ」とはいえないかもしれないが、登場人物に悲壮感を感じない。

日々の暮らしの中で、むちゃくちゃになりながらも、
イキイキとした生命感を感じさせる。
温かい思いが漂う。

1冊、読み終えても、なんなんだろう、と再び、思う。

そして思い出したのが、冒頭に紹介したテレビのドキュメンタリーだ。
途上国の子どもたちが将来の夢を語り、笑った顏だ。

本書を読んだ後には、生きていること、そのものの輝きを思い出す。
「生」の隣り合わせに「死」があることも確認させられる。


掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集



2019年12月4日水曜日

この本を読んで知りました



アフガニスタンで活動されていた医師・中村哲氏が銃撃され、
亡くなられたというニュースがありました。
とてもショックで、大きな存在を失った気持ちでいます。

私が中村さんやペシャワールの会の活動を知ったのは、
「医者、井戸を掘る」という本がきっかけです。

なぜ、医者が医療だけでなく、井戸を掘ることに注力するのか。
この本を通じて、その理由を知りました。
すごい方がいるものだと、感動しました。

改めて、この本をお勧めします。



2019年11月28日木曜日

本当に悪いのは、誰か? 



チャンネルを変えても似たり寄ったりの内容を流していると知りながら、
テレビのワイドショーを見るのが習慣になっている方、いませんか?
その習慣、ちょっと危険な気がしてくるかもしれません。

小さい書房さんの絵本「二番目の悪者」
この絵本のお話は、心が温まるような物語ではありません。

「悪者」とは、一体、誰のことなのか?
もしかしたら、自分自身も「悪者」なのではないか?
と考えさせされます。

本書の終盤に、空の雲が、こうつぶやきます。

「誰かにとって都合のよい嘘が、世界をかえてしまうことさえある。
だからこそ、なんどでもたしかめよう」

冒頭にあげたテレビのワイドショーは、世間話の種を提供してくださる番組。
社会の中にある問題を、分かりやすく解説してくれるものもあるように思います。

ワイドショーは、嘘を垂れ流しているわけではないとも思うけれど、
テレビ番組によって与えられた情報について、本当かどうかを確かめようとする人は少ないでしょう。
なので、この絵本を読むと、 ちょっと危険に感じるかもしれません。

本書の帯に書かれている「考えない、行動しないという罪」
というキャッチコピー、ピリッと効いています。

でも、悪者にならないように、「考える」「行動する」ができるのか?
と自分自身に問いかけると、大人になればなるほど基本的には賛同しながらも、
「場合によって」という言い訳がでてきてしまう気がします。

そうした人間の意思の弱さが、絵本の中に登場する動物たちの姿に重ねて描かれている気がして、この絵本で指摘されていることは「他人事ではない」と感じます。

この絵本は、親子や家族で一緒に読んで、どんな意見や感想を持つのか、互いに語りあってみてほしい一冊です。クリスマスやお正月のプレゼントにお勧めしたいです
  



二番目の悪者




2019年11月27日水曜日

社会をたのしくする障害者メディア「コトノネ」リニューアル



季刊誌「コトノネ」最新号の32号は、これまでの誌面をリニューアル。
巻頭スぺシャルインタビューは、「障害者が、国政をひらく」をテーマに、れいわ新選組の山本太郎さん、木村英子さん、船後靖彦さんのインタビューだ。

ジャーナリストではないコトノネ編集部が、取材にあたって考えたこと、取材中に心の中にあったものも綴りながら、相手に質問をぶつけて得たやりとりがまとめられている。

一般の新聞記事のように読みやすくはないと思う。
でも、他の紙媒体には出てこないような、インタビューの場の空気感、取材者の緊張感、互いのやりとりの機微が、紙面から伝わってくる気がする。

自分がその場にいたら、どんな気持ちでいるだろう。
どんなことを聞いてみたいだろう。
いや、相手が話したいことを、ただ聞きたいかもしれない。
そんなことを考えながら、読んだ。

巻頭インタビューのほか、
私が特に興味深く読んだのは、コトノネ観光課の企画「二人で、一人暮らし」
重度障害のある人が、親元を離れて、また、施設でもなく、地域で暮らす在り方を紹介したものだ。

私は、知的障害のある方とシェアハウスで一緒に生活した経験があるが、
重度障害のある方との生活は、想像がついていなかった。

重度訪問介護という制度を使って、介護者と二人で、一人暮らしをしている様子を読んで、「軽度なら、できる」「重度だから、できない」と思い込みが自分の中にあるなぁと思った。

「やってみたい」があるなら、「できる」ようにするために、どうすればいいかを考える。

どうすればいいかの選択肢となるのが、「制度」。
最初から「できない」と決めつけて、既存の制度を使えないものにするのは、
やっぱり、おかしいな。と考えたりした。

紹介はしきれないですが、読みどころはたくさんあります。
定期購読をお勧めします。
コトノネ vol.32




2019年11月6日水曜日

大人の気づき #ヨシタケシンスケ



 



「あれもできないな、これもできないな」と考えちゃうことが、ありますね。
それほどネガティブに考えているわけではないけれど、自分の能力とか、現状とかを考えているうちに「できない」と思うことがある。

ヨシタケシンスケさんのエッセイ「思わず考えちゃう」の中で、
「できないこと」がテーマの一つに取り上げられていた。

「あれもできないな、これもできないなって思っているということは、それだけ何か別のことができるようになったから」

「自分ができないことが見えるように、わかるようになってきたんだなっていう。大人の気づきですね」

ヨシタケさんは、こう書かれていました。

本書の中では、「できないこと」についても取り上げており、
「自分にやりたいことがあって、それができないのは、大した悩みじゃない。けれど、
自分の傍にいる人に、できてほしいことができない時に、どう一緒にやっていくかが、実は一番難しい」と書かれていました。

子育てを経験されているお父さん、お母さん認知症の方を介護しているご家族は、
傍にいる人ができないことを許せなかったりする。
でも、そんな相手と寄り添う必要があり、相手への向き合い方が難しいという指摘だと思います。

「できること」「できないこと」に関する2つの指摘に、思わず、考えさせられた。

本書には、くすっと笑えて、肩の力が抜ける話題がたくさん詰まっている。
ただし、笑って終わりではなく、生き方とか、価値観とか、人との向き合い方とか、「思わず、考えさせられちゃう」ような哲学的なテーマも多い。
  
思わず考えちゃう




2019年11月5日火曜日

人との距離感



写真には、撮る人と、獲られる人の距離感が表れる気がする。

相手に、ぐっと近く寄るのか。
それとも、少し引いて、距離をとるのか。

どんな作品にしたいか、どんな写真を撮りたいかによって、
距離は変わるものだと思うけれど、
頭の中で計算する前に、自分が、相手と、どの程度の距離をとるのがいいか。
無意識に定めている気もする。

お友達のつながりで、野口健吾さんの写真展「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」(銀座ニコンサロン10月30日~11月12日、大阪ニコンサロン11月21日~12月4日)を観にいってきた。

ブルーシートやベニヤ板などで作った「庵」の人々。
被写体には動きがなく、記念写真にでもおさまる感じだ。

撮る人と、撮られる人との間には、物理的な距離がある写真だが、
撮る人と、撮られる人の間の距離が、近く感じる。

撮る人と、撮られる人の間に、なんらかの対話があり、
一定の関係をつくることができなければ、決して撮られなかった写真だと思う。


野口健吾さんWEBサイト
http://www.kengonoguchi.com/



2019年10月29日火曜日

人種?格差?EU離脱?実感として分かりにくい事柄を、子どもに起こる何気ない出来事を通して解説してくれる1冊



最近の海外ニュースで「ブレグジット(Brexit: Britishとexitの造語)=イギリスのEU離脱」が取り上げられているが、正直、あまりよく分からない。

テレビのニュースや新聞記事などを通して、イギリスの社会情勢やブレグジットに関してもめている事情を知ることはできるのだが、それは表面的な知識にすぎない。

イギリスで長期に過ごしたり、生活したりした経験がないと、「ブレグジット」の賛成派・反対派それぞれがどういう層の人たちなのか想像ができない。
日本でも「格差社会」と言われることはあるが、イギリスの社会の中にある格差とは、具体的にどういうものかもイメージが沸かない。

ブレディみかこ著の「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」は、
イギリスのブライトン在住で、保育士の資格も持っている著者が、息子の中学校進学や、学校で出会った友達との間で起こった出来事などについて感じたこと、考えたことをつづったエッセイだ。

息子やその友達に起こる出来事は、その地域で生活していたらぶつかるであろう日常で、
特別な事件ではない。
しかし、その日常の出来事は、イギリスが抱えている根深い問題とつながっていることを著者は見抜いており、自身の経験や実感を踏まえて、日本で生活する読者にも分かりやすく解説してくれている。

子育ての経験がある読者は、著者が息子に対して注ぐ視線に、共感するかもしれない。
いわゆる「ママ友」といえるような母親同士の関係やつきあい方、学校の種類や教育方針、休日の過ごし方などは、日本と異なる部分もあれば、似たような部分もある気がして、興味深い。

冒頭で紹介した「ブレグジット」についても、賛成派・反対派がどのような人たちか、著者の視点で書かれており、私は本書を読んで少しイメージが沸いてきた。

「教育」「子育て」に携わっている方に、ぜひ、お勧めしたい1冊です。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー


2019年10月23日水曜日

【お勧めの映画】「嘘」と「真実」の間にあるものは?



是枝裕和監督の映画「真実」は、母と娘の物語。
観終わった後、ほっこり。
ゆったりして、穏やかに観られて、時々、くすっと笑える。
あたたかい映画でした。

映画の中で、特別な出来事は、何も起こらない。
でも、母と娘の心は、ざわざわっと揺れ動いて、
映画の最初と、映画の終わりでは、2人の関係性が微妙に変わっている気がする。

母と娘って、親子なんだけど、
お互いを鏡の映る自分のように思ったり、
娘は、母の女の部分をみて、真似たり、反面教師のように思ったり、
嫌だけど、似てると思ったり。

母は女優、娘は脚本家という、
少し特徴のある仕事をしている二人なのだけど、

母と娘のそういう関係って、あるよねー。
って思わされました。

「真実」の反対は「嘘・偽り」かもしれないけれど、
「嘘」にもいろいろありますね。

自分のためにつく「嘘」
相手のためにつく「嘘」
どちらの「嘘」も、「真実」を隠すという点では同じですが、
「嘘」をついた人ではなく、
「嘘」を受け取った人が、それをどう解釈したかによって
その「嘘」は大きく変わる気がしました。

自分を欺くためにつかれた「嘘」だと思えば、傷つくし。
自分のことを思ってつけれた「嘘」だと思うと、
いったんは傷ついても、許せたり、
「嘘」の背景にある思いに気づくと、「嘘」は「真実」を伝える以上に、愛が含まれている行為になるかもしれません。

少し寒くなってきたこの季節にもあっていて、お勧めの1本です。

#是枝裕和
#映画
#映画好きと繋がりたい

2019年10月8日火曜日

【お勧めの1冊】生きるって、なに?



「生きる意味がわからない」。
大学で、教え子から相談されたことをきっかけに、たかのてるこさんは、文を書いて贈ったそうです。
その文がもとになってできた一冊の本「生きるって、なに?」は、たかのさんが訪れた世界の国々で撮影した現地の人々の顏写真に、短い文が添えられたもの。

タイトルになっている「生きるって、なに?」という疑問に対して、様々な答えが示されます。
「生きるって、なに?」を探っていく中で、答えの一つに、「人に迷惑をかけることも、人に迷惑をかけられることも 恐れない」ということがあります。

たかのさんによると、インドでは、親が子どもに「おまえは人に迷惑をかけて生きているのだから、人の迷惑も許してあげなさい」と教えるそうです。日本人の場合、親が子どもに「人に迷惑をかけてはいけない」と教えるのが一般的だと思うので、インドの教えは新鮮に感じました。

「どんな人も、生きるうえで必要な全てを自分だけで用意できないから、みんなで力を合せていて、自分もその一員であることを理解すること」も、「生きるって、何?」の答えの一つ。

たかのさんが示す答えの一つひとつに、はっとしたり、頷いたり、自分が、今、ここに生きていることがどういうことか、俯瞰して捉えなおすような気持ちになりました。
お勧めの一冊です。


生きるって、なに?


2019年10月2日水曜日

8%がもたらす歪みは、再び?#高村薫#作家的覚書



「結局、経済成長の終わった先進国に暮らす私たちは、増税を受容して何とか暮らしていくしかないのだが、需要と黙認は違う」

作家の高村薫さんの「作家的覚書」の中に、
2014年4月に、消費税が8%に上がった時に書かれた文章(読売新聞2014年4月22日、寸草便り掲載、八%がもたらす歪み)がありました。

高村さんは、増税について「受容と黙認は違う」と強調された後、
以下のように続けています。

「たとえば税金の使い道は適性だろうか。今回の消費増税は、そもそも社会保障費の増大に対応しながら財政再建を進めるために行われたはずだ。ところが、国家予算は相変わらず膨張し続けているし、医療制度の見直しもほとんど進まず、逆に復興特別法人税の前倒し廃止が決まったり、法人税減税が俎上にのぼったりする始末ではないか」

「いったい何のための消費増税だったのか。8%のうわついた騒ぎに躍っただけで政治のルーズさに怒ることもしなかった私たちは、まだどこかで根拠のない甘い夢を見ているにちがいない」

私は、2014年に書かれた高村さんの文書を読んで、あれ?あれ?と思いました。

10月1日、消費税は8%から10%に上がりました。
やれ、ドラッグストアやスーパーで9月30日に駆け込みのお買いものがあったとか、
8%のものと、10%のものがあって分かりにくいとか、キャッシュレスがお得だとか、それって、やっぱり「うわついた騒ぎ」よね。

今回の増税も、社会保障費の増大に対応して財政再建することが目的だと、
聞いたような…。

私は、結局、黙認してしまっているのかもしれません。

この増税分、本当に、目的を果たすために使われるのかしら?
そこのところ、どうしたら、確認できるだろう。


作家的覚書 (岩波新書)



2019年9月26日木曜日

仏パリの歴史、文化、人物を楽しめるオシャレなアニメ映画 #ディリリとパリの時間旅行

 

映画「ディリリとパリの時間旅行」は、一言でいうと「オシャレ」なアニメ映画。

物語は、ニューカレドニアから船に忍び込んでパリにやってきた少女ディリリが、
「男性支配団」に誘拐された子供たちの行方を探し、助けにいくお話です。

ストーリーはシンプルなのですが、
フランス・パリの建築物、著名な画家とその作品などがぞくぞくと登場。

あ、あの作品は展覧会で観たことある!
あー、あの人も出てきた!などと発見できて、楽しめます。
ストーリーの要所で素敵な音楽と歌声が流れて、スクリーンの中にいる人々の心、
映画を観ている人の心を震わせます。

私は、映画を観ているというより、舞台の演劇を観たような気持ちになりました。

美しい街並み、豊かな文化芸術を見せつけられて、フランスって国はすごいな。
パリって、すごい都市だな、と改めて思わされました。

さりげなく、人権や人種、男性女性の差別などへの視点も織り込まれていて考えさせられ、大人のための映画になっていると思います。

#映画#映画好きと繋がりたい



2019年9月20日金曜日

「面白そう」という期待に応える映画『記憶にございません!』



三谷幸喜脚本・監督の「記憶にございません!」

まず、タイトルのつけ方が上手だと思いました。

国会答弁で、議員が口にしそうなセリフですよね。

観に行く前に高まる「面白そう」という期待に、きちんと応えてくれた作品だと思います。

予想通りの展開だったので、少し物足りない気持ちもしましたが、予想を裏切る展開を求めるのは欲張りかもしれません。

私が好きなのは、三谷さんの脚本で、中原俊監督が撮った映画「12人の優しい日本人」



これ、お勧めです。

三谷脚本の舞台を観にいきたいとずっと思っていて、公演の度に狙うのだけど、チケットを入手できず。未だに実現できていません。 映画も良いですが、お芝居、観に行きたいなー。

2019年9月19日木曜日

【コトノネ 31号】それを聞いて、何を思う?



「水俣病」と聞いて、何を思いだしますか?

私が、まず、思い出したのは、小学校の社会科で教わった代表的な「公害」であるということ。
教科書か副読本に掲載されていた水俣病患者のモノクロ写真に衝撃を受け、「怖い」と思ったことでした。

「怖い」という印象が強く残っていたのか、これまで、水俣病について積極的に知りたいと思うことはありませんでした。

季刊誌「コトノネ」31号の特集は、『水俣病は、どっちだ。「もう、終わった」「いや、はじまってもいない」』というタイトルでした。
水俣病患者や家族、支援者に取材してまとめたものです。

毎号、特集を楽しみにしているのですが、
今回は「水俣病」を取り上げると知り、私は社会科で習ったとおり、辛く、悲しく、重たい話が出てくるだろうと構えました。
まず、「読むぞ!」という気合が必要で、背筋を伸ばし、頁をめくりはじめました。

特集の写真の被写体となった方が、著名な写真家アイリーン・ユージン・スミス氏に撮影してもらった写真が一番好きと話して、コトノネ取材班のカメラマンさんにプレッシャーがかかったことなど、ほっこりするエピソードが散りばめられており、読み進めるうちに、気合や緊張は要らなくなりました。

「水俣」は「福島」に重なるかもしれない。
自分が暮らしている地域でも起こりうる、自分自身の問題になるかもしれない。
もし、自分の身近に「水俣病」が存在したら、どう生きていけるだろう?

そんなことを考えました。

支援者の患者に向き合う姿勢が興味深く、
特集内で参考として紹介されていた書籍を読んでみたいと思っています。

このほか、「コトノネ」31号のぶっちゃけインタビューは
『「数学」で「障害」を解く』と題して、独立研究者の森田真生さんが登場。
面白い切り口の企画インタビューでした。

特集2の「商売で、人を生かす」は、
取り上げられている事業所の施設長の考え方、理念には、読者の多くが共感するものに違いないと思いました。

誰もが共感するような素晴らしい理念を貫いて実践できる組織と、実践できない組織を分けるのは、何なのか。福祉の事業所に限らず、民間の企業にも共通することだと思いますが、気になりました。

今回の号も、盛りだくさんの一冊です。

コトノネ vol.31

#読書#読書好き#福祉#障害者#コトノネ


2019年9月10日火曜日

【みんなの「わがまま」入門】それを「わがまま」と捉えられるのは、なぜ? 「わがまま」と指差されるのを不安に思うのは、なぜ?



「デモ」や「署名活動」、社会問題に関する「学習会」や「シンポジウム」
これらの社会活動に参加することに対して、「なんとなく、嫌」と感じてしまうことがある。
「なんとなく、嫌」と感じている人の中には、社会活動に対して「怖い」「自己満足」「クレーマーじゃないか」などとネガティブな言葉を口にする人もいる。

社会運動をしていると、他人から「みんな我慢しているのに」「お門違いじゃないか」・・・「あなたの、わがままだ」と言われてしまうことがある。直接、言われなくても、そういう空気を読み取ってしまうことがある。

それは、一体、なぜ?なのか。

本書は、「社会に対して自分の意見を発すること(社会運動)」=「わがまま」と位置づけ、
なぜ、この「わがまま」は、なぜ、ネガティブに捉えられるのか? 
理由を解きほぐして説明しています。

不安を感じて、言いたいことを言うのを辞めてしまったり
言いたいのに言えない自分に苦しむことを解消するための手がかりを与えてくれます。

本書での「わがまま」は、あらゆる場面で、自分の好き勝手にふるまる広義のわがままとは異なります。
タイトルだけで判断して購入してしまうと、私の思っていた「わがまま」とは違う!と違和感を感じてしまうかもしれませんが、政治や社会問題について自分の意見を発したことがない人こそ、じっくりと読んでみてほしい。

噛みしめながら読み進め、途中で提案されている思考のエクササイズに挑戦してみると、
自分がどのようなことにとらわれているのか。
考えることになります。

自分の意見を言わずにいることを良しとするように、
いつのまにか枷をはめられていたのかもしれない。
そんな気づきもある一冊だと思います。



2019年9月3日火曜日

地域と自然と文化を味わう旅 #信州#上田#アクティブウェルネスツーリズム


私が何度も訪れる街、長野県上田市。
「何度も」という点が、とても重要なポイントである。
生まれ育った場所ではなく、親戚がいるわけでもないのに、ここ数年、暇さえあれば、年に何度も出かけるのには、いくつか理由がある。

まず、春夏秋冬、さまざまな楽しみ方ができる。
山(登山や散策、冬はスノーシュー)があり、川があり、別所温泉がある。
「やまぼうし自然学校」で開催しているイベントは、いつもとても発見があって
わくわくする。
私が樹木、草花の見方を知ることができたのは、「やまぼうし自然学校」での学びのおかげです

山から下りて、街中を散策するのも楽しい。
映画館の「上田映劇」、演劇などのイベントもしていてお泊りも安くて便利で温かい「犀の角」、ブック&カフェ「NABO」、最近できたお茶のお店「茶色」などなど、寄りたいところ、のんびり、まったりしたい場所が豊富です。

美味しいものもあるのよね。焼き鳥とか。

なので、お休みがあったら出かけようと、何度も、思います。

直近では、
9月14日(土)15日(日)は、自然と歴史と文化に触れる体験型のイベント「アクティブウェルネスツーリズム」と題して、トレッキング、自然散策などの体験型イベントが企画されているとのこと。
詳細 https://akodaira1028.wixsite.com/mysite?fbclid=IwAR2COA32sYSyYBiKQ4W2an_lPNI70XbOJGIrMsG-RLIGpBSTTrvmm52OIIE

FACEBOOK:https://www.facebook.com/events/754705298300475/

街中では「トココト」というイベントも開催。

私が推しの街、上田へ。
ぜひ、お出かけください。


2019年8月29日木曜日

自分自身を演じている #映画#存在のない子供たち 


スラムの貧困と移民の問題を、主人公の子どもの視点を通して描いた映画「存在のない子供たち」。

主人公のゼインをはじめ、主なキャストは、役柄に近い経験がある素人だそうです。
ドキュメンタリーではなく、フィクションの映画なのですが、登場人物一人ひとりがそれぞれの役柄にはまっています。演技とは思えない。
おそらく、それぞれが等身大の役を演じていた。ありのままの自分自身をカメラの前で見せたのではないかと思わされました。

子どもたちが、子狡さや賢さを備えており、やけに大人びて見えるのは、貧困の中を生き抜くには、そうならざるを得ないのかもしれません。

貧困や移民の問題は、映画の中でも解消されないのですが、
映画のラストには、少し救われます。

この夏、お勧めの映画です。

#存在のない子どもたち

2019年8月25日日曜日

【苦しかったときの話をしようか】「やりたいことが見つからない」理由



「苦しかったときの話をしようか」(著・森岡毅、ダイヤモンド社)は、
ビジネスマンの父が子どものために書きためた「働くことの本質」を伝える本だ。

進学や就職、転職に悩んでいる人には、自分の悩みを整理するヒントがたくさん詰まっている。この本を読めば悩みの答えが分かるのではなく、答えを見つけるために、どうすればよいかが分かる本だろう。

例えば、進学や就職にあたり、自分自身の「やりたいことが見つからない」という悩みは、よく挙げられる。
私自身も、特に「これをやりたい」というものは明確になっていなかった。
「なんとなく、好きか、嫌いか」くらいの判断で、文系か理系か、就職先の業種を選んでいたと思う。

著者によると、「やりたいことが見つからない」という問題の本質は、世間のことをまだよく知らないからではなく、本人が自分自身のことを良く知らないこと。つまり、問題の本質は、外ではなく、自分自身の内側にある。
自分の中に基準となる「軸」がなければ、やりたいことが生まれるはずも、選べるはずもないという。

本書の中では、この「軸」のつくり方が示されている。
これが、進学や就職に悩んでいる人が答えを見つけるために、どうすればよいかを自分で考えていくための手がかりになる。

「若い世代のための本か」と思ってしまう方もいるかもしれないが、私がもっとも面白かったのは「第5章 苦しかった時の話をしようか」で触れられている、著者自身の失敗、苦しかった経験の告白だ。

実際の経験から出てきた言葉は重いし、その経験から得た気づきは、深い。

アドバイスの一つは、自分自身の成長にフォーカスする考え方だ。
これは、世代に関係なく、何歳の方でも、男女問わず、
人生100年時代を前向きに生きていくために役に立つ考え方になると思う。

著者は、次のように書いている。

「今日の自分は、何を、どう学んで昨日よりも賢くなったのか」
その1点を問える自分であればいい。

「できない自分」ではなく、「成長する自分」として自分だけは自分自身を大いに認めてあげてほしい。そうすれば苦しくても、心が壊れる前にきっと相応の実力は追いついてくるだろう。

仕事のキャリアを積むには、時間が必要な部分もあり、若い時から「軸」をつくり、方向性を見定めて努力していくことが有利な面もあると思う。

ただ、ある程度、年齢を重ねている人が、これから努力することについて、遅すぎるということはないと思う。人生をより前向きに生きるために、昨日よりも今日、今日より明日へ向けて、自分を成長させていく。そういう志を持てる自分自身でありたいと思う。







苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」


2019年8月20日火曜日

【むらさきのスカートの女】気になる女の存在、誰にでもある心理かもしれない。



気になる女。
そういう存在の人が、誰にでも、一人か、二人いた経験があるのではないでしょうか。

美人ではなく、着飾っているわけではなく、特別目立つ振る舞いがあるわけでもない。
だけど、何だか気になって、つい注目してしまう。
あの人は、いつも、こんな感じの洋服を着て、こんな顏をしている。
あの時刻には、たいてい、このあたりにいる。
どのお店で、こんなものを購入している。
気になる女の情報を、無意識に集めてストックしていたりする。

主人公が気になるのは「むらさきのスカートの女」だ。

物語が進むにつれて、「むらさきのスカートの女」がどのような女性かが明かされていく。
どんな場面で、どんな行動をとる人なのか、エピソードが積み重ねられる。
彼女を見守っている主人公が、「むらさきのスカートの女」の言動に何を感じているのかも示されていく。

そして、ある事件が起こり、「むらさきのスカートの女」が、姿を消す。
その途端、彼女が何者だったのか、再び、分からなくなる。
主人公と「むらさきのスカートの女」が重なってしまったかのような感覚も覚える。
それまで構築されていたはずの世界が、クライマックスを境に、ぐにゃっと曲げられるような気もする。

気になる人物、気になる女は、誰にでもいるだろう。
著者は、誰にでもある「気になる」心理を巧みに突いているのかもしれない。


【第161 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女




2019年8月14日水曜日

【昨夜のカレー、朝のパン】猛暑に疲れた頭にお勧め。くすっと笑って、ほろりと泣ける一冊



猛暑に疲れてしまったら、短編の小説がお勧め。

「昨夜のカレー、明日のパン」(河出文庫)は、9つの短編が連なって、一つの物語になっている。
主な登場人物は、テツコさんと、テツコさんの夫の父親(義父=ギフ)の2人で、この2人を取り巻く人物が一つひとつの短編に登場する。

この作品は読んでいるうちに、ぼぉーとしていた頭の中に、爽やかで、温かく、どこか懐かしい生活の感じが浮かんでくる。

2人の生活に漂よっている空気感が伝わってくる。

暮らすって、こういうことなんだと感じる。

物語が進むにつれて、その暮らしの基盤にあるもの、背景にあるものが見えてきて、
生きていくとはこういうことだと腑に落ちる。

夫の一樹を病で亡くした後、ギフと2人で暮らしているテツコさんの心の動きが細やかに描かれていて、時折、涙してしまう。

私は、汗を拭うふりをして、ハンカチで涙を抑えた。

自分の生活を振り返って、テツコさんのように丁寧に暮らしているかなぁと考えた。
他人とどう向き合っているかなぁ、と考えてみた。
さらりと読めるけれど、結構、深いテーマを描いている作品だと思う。





2019年8月13日火曜日

「平和ボケ」していることに気がつかされる1冊



広島、長崎、終戦記念日
8月が来ると、必ず、テレビのニュースや新聞で取り上げられる話題だが、
子どもの頃に見たり聞いたりしていたのと、
大人になった今、見たり聞いたりするのとを比べると、
その「重さ」に少し変化があるように感じる。

時が経過するにつれて、戦争を体験している人は少なくなっている。
経験に根付いた言葉で語ってくださる方も少なくなっている。
時間が経つにつれて、実際に起きた出来事が遠くなっていく。

次々と新しい出来事が起こり、新しい情報が頭の中に入ってくる。
祖父母やもっと上の世代が経験した「戦争」の情報が、頭の隅へ追いやられてしまう。
記憶が次第に薄れ、子どもの頃、最初に見たり聞いたりした時に感じた「重さ」も変わってしまっている気がする。

どうしたら、いいか。
大人になっても、大事だと思う情報は、繰り返し、頭の中に入れ続けることかもしれない。
何度も、何度も、過去に思いをはせることかもしれない。

「戦争」で、命を奪われた人。それまでの生活を失った人。家族を奪われた人。人生が大きく変わってしまった人。誰かを傷つけなければならなかった人。

もし、自分が、その人だったら、どうしたか。どんな思いをしていたか。想像だけでもしてみるべきかもしれない。

情報を得たり、考えるきっかけをくれる方法が、読書だと思う。

最近、読んだ本の中から、お勧めをご紹介。

「天皇の戦争責任」について、自分の意見を述べなさい。
そんな課題を与えられた時、対応できる学生がどれだけいるだろうか。
米国の高校に通っているマリは、この課題に、どう答えたのか。

「赤坂プリズン」は過去と現在を行ったりきたりしながら、読者に考えさせる。
元号が変わった年でもあり、「天皇」の在り方や権限などについて、改めて、考える時かもしれない。

 

「不死身の特攻兵」は、実際に特攻兵になった人が、特攻という戦略についてどう捉えていたかを知ることができる1冊。軍隊という組織の中で発生した理不尽さも浮き彫りにされている。

「へいわとせんそう」
平和と戦争。何が、両者を分けるのか。
並べられた言葉から、平和と戦争は背中合わせ、紙一重だと実感する。