2023年8月30日水曜日

「スピリチュアル」なものを信じるのは、現実逃避?

 



渋谷や吉祥寺などの繁華街、ビルの一角に「占い」の看板を掲げている店舗を見かけることがある。外から中の様子は分からない。営業しているようなので、それなりにお客さんがいるのだろうけれど、人が出入りしているところを目撃したことはない。気になっているけれど、私自身はまだ実際に入ったことがない。「占い」に対してなんとなく「怪しい」という印象があり、現実から逃避する手段のように考えてしまう。お金を使うなら、美味しい食事や新しい洋服とか、具体的なものに使った方が良いような気がするからだ。

 

Z世代」とは、1990年代後半から2010年頃までに生まれた人たち。2023年現在、10代~20代前半の人たちを指す。この世代の特徴として挙げられるのは、スマートフォンやSNSを子どもの頃から使っているということだろう。米国在住の竹田ダニエルさんの著書「世界と私のA to Z」(講談社)は、1997年生まれの著者の視点から見たZ世代の傾向や特徴について紹介している。

 

この本の中で、興味深かったのは「スピリチュアル」について書かれた箇所だ。スピリチュアルなものとは、タロットリーディングや瞑想、星占いなどが挙げられる。

 

著者は、次のように書いている。

『テクノロジーが発達した中で育ったZ世代が、「スピリチュアル」という精神的で非科学的に見える文化になぜ関心を持つのか、不思議に思う人も多いかもしれない。しかし、Z世代が子どもの頃から不安定な世界を生き、将来に不安を抱えていることを考えれば、心の拠りどころとして科学や目に見える世界以外のものを信じたくなる傾向にも納得がいくのではないだろうか。繋がりすぎている時代において、星占いで運勢を占ったり、TikTokのタロットリーダーをフォローしたり、水晶の力に頼ったりすることは、既に決まっていて自分の力では変えられないものを知ることであり、安心感を得られるのだ。』

(中略)

『古くからの宗教の慣習を捨て、科学や理屈では説明ができない、不思議で魔法的でどこかわくわくするような「信じられる」ものを、Z世代は求めているのだ』

 

Z世代にとって、スピリチュアルなものを利用することは、息苦しさや不安を感じている現実から自分自身を解放する手段なのかもしれない。彼らにとって、スピリチュアルなものは現実から目をそらしたり、逃げたりするための手段ではないのだろう。科学的に説明が付かない物事に触れることで自分自身の世界観を拡げ、それによって目の前の現実に向き合い、そこにある厳しさ、息苦しさを乗り越えようとしているのかもしれない。

 

SNSなどで占いやタロットなどを楽しみながら、自分自身の世界観を拡げているとしたら、Z世代は逞しい感じもする。


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2023年8月21日月曜日

「あいつは絶対に許せない」と思う相手を、許す意味

 

「あいつは、絶対に許せない」と思う相手がいたら、どうするか?
私なら、そんな相手には「関わらない」「距離を置く」だろう。
何らかの理由で関わらなくてはならないとしたら、どうか?
恨みを晴らすために何かするかもしれない。相手に対して何かをすることはなくても、心の中で軽蔑し続けるかもしれない。
だが、ネガティブな感情を持ち続けることは、気持ちの良いことではないし、疲れてしまいそうだ。
「絶望図書館」(頭木弘樹・編、ちくま文庫)に入っている「虫の話」(李清俊:イ・チョンジュン・著、斎藤真理子・訳)は、「許す」ということの意味について考えさせる短編だ。
薬局を営む夫婦の1人息子が誘拐され、惨殺され、死体で発見される。犯人はすぐに捕まり、夫婦の知り合いだった。
この物語は、この夫婦の夫の視点で語られる。
不幸な出来事を前にした妻の様子が語られていく。
息子の死後、生きる気力を失っていた妻は、熱心な知人の勧誘により、キリスト教を信仰しはじめる。亡くなってしまった息子のために祈り始めるのだが、熱心に信仰するにつれて、獄中にいる犯人を「許す(赦す)」ことについて考え始めることになる。
「神」は、すべての人をお許し(赦し)になっている。
妻は、信仰に基づいて、犯人を許そうと考える。そして、ついに犯人との面会が実現する。
クライマックスは、犯人との面会が実現した後のことだ。
彼女が犯人と会い、話をした後、どうなったのか。
結末まで、ぜひ、読んでほしい。
読者の多くは、妻の選択を知った後、自分自身にとって「許す」ことはどのような意味を持つか考えることになる。
結局、「許す」ということは、相手のためではなく、自分自身のためのものだということになるだろう。「許す」ということは、恨みや憎しみから自分自身を解放するものだと思う。「許す」ことで救われるのは、自分自身だ。
どんな人でも、大なり小なり「許す」「許される」経験をしたことがあるだろう。この物語は、読者自身が自らの経験を振り返り、「許す」ことの意味を考える機会を与えてくれる。

2023年8月8日火曜日

【諦める力】「自分らしさ」は、創り出せるものではない

 

学習塾へ通うか、通わないか。

どの学校へ進学するか。

部活をどうするか。専攻はどうするか。

国家資格取得を目指すのか。

どの業界、どの会社に就職するか。

 人生において、選択しなければならないことがたくさんある。

小学生くらいまでは、保護者の意向がかなり反映される気がするが、

年齢が上がってくるに連れて、「これが好き」「これをやってみたい」など、自分自身で考えて選択することが増えてくる。

結果的に「自分で選んだ」としても、保護者や周囲の人々の影響は大きいだろう。

後から振り返って考えてみると、「それほど好きではなかったけれど、親に褒められるのが嬉しかったから続けた」というような選択もあるかもしれない。

 どんな選択であっても、大切なのは、自分自身が納得することに違いない。

 

元・陸上選手の為末大さんの「諦める力 勝てないのは努力が足りないからじゃない」(プレジデント社)は、現役を引退した2012年の翌年に出版された書籍だ。今から10年近く前の本だが、「諦める」というキーワードをベースに、その時その時の人生の選択について、その基盤となる考え方や視点が書かれている。スポーツ選手だけではなく、高校生や大学生、社会人でも参考になる本だと思う。

 

本書の中に、『「オンリーワン」の落とし穴』というテーマで書かれた箇所があり、

為末さんは、ヒットソングに出てくる、「ナンバーワン」にならなくても、「オンリーワン」であればいいという考え方に注目して、次のように書いている。

 

「あなたはオンリーワンだからそのままでいい」という考え方の落とし穴は、社会に存在する物差しで自分を図ることを諦めなさい、ということである。どんなに恵まれている人でも、自他ともにオンリーワンと言い切れるほど特徴がある人間なんてほとんどいない。

「あなたはあなたのままでいい」という言葉を疑いなく受け入れられるほどの自己肯定感は、「社会側から自分に一切認められなくてもいい」という諦めと一体なのだ。(中略)

自分らしくあればいい、と言われても、自分らしさとはいったい何かということがわからないから人は苦悩しているのだ。

 

究極的には、誰にも自分らしさなどないのではないかと思う。

自分らしさと思い込んでいるものは、他人から聞いたこと、どこかで見たもの、何かで読んだことの寄せ集めにすぎない。一つひとつを取り出せば特徴がなくても、その組み合わせが自分らしさと呼ばれているものになる。それを「オンリーワン」という言葉でくくってしまうと、かえってハードルが高くなる。

(本書P183-184

 

「自分らしさ」とは何なのかと考えてみると、私自身、他人に説明するのは難しい。

何かを選択して、その理由を誰かに説明した時、他人が「あなたらしい」と言い、それを「自分らしさ」と思うこともあるかもしれない。他人からそう言われても、自分ではそう思っていないこともある気がする。

 

結局、「自分らしさ」は、さまざまな言動の結果であって、意図して作りだせるものでもないのではないか。

 

日常生活のその時その時で、

目の前にある事柄について考えて、選んだり、決めたりして、行動する。

それを繰り返していくことがが、自分の人生を生きていくということで、

その結果が「自分らしさ」かもしれない。

 

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