2018年12月20日木曜日

絶望した時には、本を。#絶望読書




「部屋の灯りを消して、毛布を頭からかぶって、中島みゆきを聞きたい時がある」

学生時代、同級生の男の子から、こんな話を聞きました。

「…うーん。それって、ますます気持ちが沈まない?」

「いや、だから、いいんだよ」

相手の答えを、「そうなんだぁ」と受けとめつつ、
その時の私には、まったく分かりませんでした。

頭木弘樹さんの著書『絶望読書』を読んで、
頭から毛布を被って、中島みゆきを聞きたくなる瞬間がある人の気持ちが、
今なら、少し、分かるかもしれないと思っています。

著者の頭木さんは、大学生の時に難病を患い、その後、13年間闘病生活をされたそうです。
就職するか、大学院に進むかして、その後は、結婚して、子どももできて・・・などなど
ぼんやりと描いていた人生の「脚本」は、難病によって無理やり「書き換え」なければならなくなりました。

「絶望」は、人によって捉え方が異なるものかもしれませんが、
頭木さんの場合は、難病を患うことにより、「絶望」に陥いります。
絶望に陥っている期間を、どう過ごすか。
その期間に必要になるものが、読書だそうです。

本書では、「絶望」した時に、なぜ、読書が必要か。
その理由が説明されています。

また、「絶望」の期間には、前向きなことが書かれている本や、明るく楽しい本ではなく、「絶望」の本を読むのがよい理由と、著者が読んだ「絶望」の本も紹介されています。

頭から毛布を被って、中島みゆきを聴いていた男の子、
この「絶望読書」について話したら、
「やっと、分かってもらえた?」と返ってくるかもしれません。

本書(文庫)の帯には、こんなキャッチフレーズが書かれていました
「悲しいときには、悲しい曲を」
「絶望したときには、絶望読書を」

なるほどね。

絶望読書 (河出文庫 34-1)







2018年12月3日月曜日

「普通」って何?を突きつけられる。「普通じゃない」と言われる子供たちの物語 #映画#お勧め#ドキュメンタリー#いろとりどりの親子


ドキュメンタリー「いろとりどりの親子」
今、一番、お勧めしたい映画です。

原作は「Far from the tree」

同性愛である息子
自閉症がある息子
ダウン症の息子
低身長の娘
犯罪を犯してしまった息子などなど

いわゆる世間からは「普通じゃない」と位置づけられる子どもたち。

その親たちは、息子・娘についてどんな思いを抱き、どう接してきたのか。
子どもたちは、親に対して、どんな思いを抱き、どう向き合っていくのか。
親子の間には様々な思いがあり、葛藤があり、愛情があふれています。

同性愛者である原作の著者の物語を軸に、
さまざまな親子のこれまでを紹介するストーリー。
どの親子、家族にも希望があり、観終わった後に温かい気持ちになれます。
子どもから大人、あらゆる世代に観てほしい。

「普通」って、何なのか?を改めて考えさせられます。

原作は、「Far from the tree




2018年11月30日金曜日

平成も最後だから、この1冊。「昭和の子」だと口にする同級生たちの物語 #読書#小説#同窓会



年末年始に地元に帰省して、同じ学校に通っていた同級生たちと集う人もいるのではないでしょうか。

久しぶりに会うと、「大人っぽくなったね」「垢抜けた」とか、
「太った」とか「老けたね」とか、お互いに様々な感想を持つことになります。

仕事とか家庭環境の変化とか聞いて、刺激を受けたりすることもありますね。

学生時代のことをあまり思い出したくない場合は、同窓会なんて出席しないでしょう。

私自身は、同窓会にはご無沙汰しているタイプです。


小説「田村は、まだか」は、同窓会の後、三次会で、同級生だった「田村くん」を待っている人たちの物語。

田村くんがどんな人か。

なぜ、田村くんを待っているか。

が明らかにされた後、

田村くんを待っている人たち、一人ひとりがどんな人物かが分かる物語が展開されます。

彼らが自分たちのことを「昭和の子」だと口にする場面があり、

私も「昭和の子」なもので、ちょっとしみじみしちゃったりします。

平成も最後の年となり、自分たちのことを「平成の子」だと思っている人たちもいるのだろうと想像すると、

ちょっと、歳を重ねちゃったわね。なんて、思います。


田村くんを待っている人たちの物語はとても面白いですが、

スピンアウト的な作品

特別収録「おまえ、井上鏡子だろう」もお勧めです。

田村くんを待っている人たちの物語が、人と人のつながりを感じさせて、とても温かいので、

井上鏡子をめぐる物語が、ちょっと肌寒く感じられ、それが結構リアルな感じで、私は好きです。

「ああ、こういうことってありそうだな」と思います。


#朝倉かすみ#同窓会#読書#札幌

田村はまだか (光文社文庫)

2018年11月29日木曜日

「書く」ということを、仕事にしなくてもいいんじゃない #文学界#東浩紀



会社を辞めて、都会からどこかに田舎に移住して、
畑を耕したり、お花つくったり、のんびり生活してみたいと思うことがあります。

もし、そういう決断をしたら、どうだろう?と想像を拡げてみると、
でも、やっぱり、私は、どこに居ても何かを書いている気がします。

出版社に勤務して、「書く」という仕事を続けてきて、
会社を辞めても、「書く」ことを辞めることはないのだろうと思うんです。

現在は、「書く」ということが仕事になっていて、
「書く」という手段で生計を立てているのですが、
例えば転職して、生計を立てるための仕事が「書く」ことでなくなっても、
おそらく、「書く」という行為は続けるでしょう。

私の場合は、たまたま「書く」ことを仕事にすることができ、
それで生計を立てられているのだから、まぁ、幸せだ。と言えるのかもしれません。

「文学界」2018年12月号のテーマは、「書くことを「仕事」にする」です。
寄稿の一つ、東浩紀さんの「職業としての「批評」」を読んでいて、
①「書く」ということ、②経済的に成功すること(生計を立てること)
①と②は、必ずしもつながらなくてもよいのだと、自分の中で整理ができました。

職業として作家を目指すのなら、
「書く」ということと、経済的に成功すること(生計を立てること)がつながる状態を
目指すことになります。
私自身、「書く」ことを仕事にしたいと思って、実際に仕事にしているわけですが、
私が目指しているのは、「職業としての作家」ではないかもしれない。

東さんは、「職業としての「批評」」の中で、

そもそも書くという仕事で経済的に成功することだけが目標なら、必要なのは、「いっぱい連載を持って書評もどんどん書いて、どんな依頼も断らずに現代の世の中を貪欲にウォッチ」みたいなことに尽きます。
けれども、そうやってトレンドをつねに追いつつそれに合わせて文章を書くというのは、資本主義の中で商品開発しつづけるのと同じです。

言い換えれば、哲学者や批評家というのは、たんにおもしろい文章=商品を書けばよいのではないのです。


と書かれています。

私自身が取り組みたいことは、トレンドを追いつつ、それに合わせて商品開発し続けることとはちょっと違う気がします。

たくさんの人には売れないかもしれないけれど、
丁寧に作り上げた、手仕事みたいな「書く」ことをしたい。

ただ、美術品や伝統工芸とは異なり、文章という商品は、仮にそれが手仕事みたいに丁寧につくったものであったとしても、それほど高く売れません。

だから、書籍や記事をつくるのは一つの目標であり、通過点ではあっても、最終的なゴールじゃない。

生きていくために、経済的に成功すること(生計を立てること)は必要。

それを踏まえて、「書く」ということのゴールを、どう設定するか。

改めて、自分のビジョンをつくってみよう。

文學界 2018年12月号

#東浩紀#文学界#職業としての「批評」


2018年11月28日水曜日

【夜長に、この一冊】ミステリーだけど、報道の在り方について受け手である読者に問いかける作品 #王とサーカス



異国の地で、王族が殺害されるという事件に遭遇する女性記者が主人公。

ミステリーなので、犯人は誰かという謎解きのストーリーなのですが、
主人公が自身の仕事である報道について、その在り方を自問し、答えを追い求めていくことが、ストーリーの軸になっています。

「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」
「恐ろしい映像を見たり、記事を読んだりした者は言うだろう。考えさせられた、と。そういう娯楽なのだ」
登場人物が、主人公に投げた言葉。

惨劇は、娯楽。
厳しいけれど、核心をついていますよね。

テレビや新聞で取り上げられた出来事は、なぜ、ニュースになったのか。
世の中にある様々な出来事のうち、ニュースに取り上げられていないものは、
なぜ、取り上げられないのか。

何について知ろうとするのか。
その出来事について知った後、どうするのか。
知ったことを伝えることに、どんな意味があるのか。

問われた時に、明確に答えられるものを持っているかしら?
報道に携わる人は、改めて考えさせられるかもしれません。

このミステリーの読み手、
つまり、報道やニュースの受け手である人たちに、
報道やジャーナリズムの在り方について考えさせるようになっている点が面白いと思います。

#このミステリーがすごい#王とサーカス#米澤穂信




2018年10月26日金曜日

普通って何? 生きづらさを抱える人が、生きやすくなるには #コンビニ人間





「普通じゃないよね」
「変わっているよ」
小学生くらいから、同級生や近所の友達に、よく、そう言われていました。
普通であることが良いことなのか、
変わっていることが悪いことなのか、
よく分からないと思ったことと、
私は「自分が良ければ、他人から何を言われても、別にいいや」と考えるところがあって、
ほおっておくことがたくさんありました。

思春期の年ごろになると、
なかなかほおっておいてもらえない、
いわゆる同調圧力を感じたこともあり、
なんだか面倒くさいなぁと思いつつ、
同級生の女子たちの興味関心、振る舞いに
表面的に調子をあわせている振りをしてみたこともあります。

学校社会ほど同調圧力は強くないけれど、
会社も一つの組織ですし、
成人して、社会に出てからも同調圧力を感じることはありますが、
最近は「多様性」という概念がずいぶん普及してきてもいるので、
まぁ、私は、私。「普通」の尺度は、自分で測ればよいもの。
と思うようになってから、ずいぶん経ちます。

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」
芥川賞受賞作品として有名ですが、
この作品は「普通」とは何か?を問いかけてきます。

30半ばを過ぎて、コンビニ店員のアルバイトを続けている女性が主人公。
その年齢で、コンビニで、アルバイト。そして、独身。
両親や妹にとっての「普通」
同級生たちにとっての「普通」
コンビニで働く同僚たちにとっての「普通」
そして、主人公の「普通」
それらが交錯します。
生きやすさ、生きづらさ、とは何なのか?
そんな問いも含まれます。

他人にとっての「普通」にあわせて生きても、
自分の「普通」からズレていれば、生きづらい。
でも、自分にとっての「普通」が、
周囲の人たちの「普通」からズレている時、
生きづらさを感じる人もいる。

私の「普通」とは何なのか? 私は、どう生きるか?
そんな問いを突き付けてくる作品です。


2018年10月17日水曜日

生きる、ということを真剣に考える時



どんな生き方をしたいか。

それを真剣に考えることは、

自分自身の「死」について考えることになるのかもしれません。

死に方を選ぶことは難しいかもしれないけれど、

命の終わりがあることを頭に入れて、どんな生き方をしたいか考えると、
思考がずいぶん変わってくるように思います。

高山文彦さんの「いのちの器 臓器は誰のものか」は、
「脳死」「臓器移植」を通して、生きているとは、どういうことか?人の死とは、どういうものか?について考えさせられる作品です。

1997年に出版されていますが、ちっとも古く感じない。
今、読んでも、もし自分が臓器を提供する側だったら?
逆に、臓器移植を望む立場だったら?と考えさせられます。

答えは、すぐには出ません。
いったん結論を出しても、たぶん、それが現実になったら揺れる気がします。

それでも、死について考えることで、生きることに真剣になれる気がします。

#読書#高山文彦

2018年10月2日火曜日

10月になると、急に、今年も終わりな感じが加速します

#上田市#お風呂屋さんをリノベーションした展示

10月に入ると、なぜか、「今年もあと3カ月かぁ」などと考えてしまいます。

9月30日までは、それほど「今年」を意識しないで
冬から春、春から夏を、のほほーんと過ごしていたりするわけですが。

10月に入った途端、今年の終わりが見てきて焦るのが毎年恒例になっています。

思い当る理由はいくつかあります。

10月に入ると、来年の手帳が店頭に並びだして、
そのうち年賀はがきの発売も始まりますし、
仕事では、年末年始の休みに備えて、
新春に関連する企画立案が始まったり、原稿の依頼が始まったりするので、
「あっ、えっ、今年も、そんな季節?!」と思わずにいられなくなるのです。

予定を書き込む手帳のカレンダーをみても、
「わぁ、ここから3カ月は、ばたばたしているうちに、終わっちゃいそう」
という感じが漂っています。

ついつい慌ててしまうのですが、

そんな時は、逆に、手帳のカレンダーを遡って眺めてみることにしています。

1月2月には、こんなことをしていたんだとか、
真夏は、多忙だったし、結構、頑張ったとか、
そういえば、新しいことを一つ、挑戦していたとか、
過ぎた日々の中で、収穫したことや、発見したことを見つけることができます。

小さなことなのですが、まぁ、私も、ちょっとは頑張っているよね。

と誉めてあげる。

そうすると、10月からの残り3カ月も、何か、もう少しチャレンジできそうな気がしてきます。

年末に向けてのカウントダウン、頑張っていこう。

#10月#今年も終わり#モチベーション



2018年9月26日水曜日

本当に伝えたいことを、どう伝える?#映画#500頁の夢の中

最近、観に行った 映画「500頁の夢の束」

この映画は、自閉症のウェンディが、スター・トレックの脚本コンテストに応募する過程を描いています。

彼女が、なぜ、脚本を書いたのか。

観客は、映画の終盤で、その理由を知ることになりますが、

私は「ああ、文章を書くことの本質って、こういうことなんだなぁ」と思いました。

簡単にいうと、「誰かに、何か、伝えたいことがある」ということです。

この映画は、自閉症を持っている主人公ウェンディよりも、

彼女をサポートする人たちや、家族に焦点を当てています。

特に、ウェンディの姉、オードリーの心の揺れが描かれていて、

それが、この映画で描きたかったことなんじゃないかと感じています。

500頁の夢の束 #映画好きの人とつながりたい

2018年9月20日木曜日

スポーツノンフィクションの傑作がずらり。平成生まれの子は知らないかもしれない、あの名選手たちの物語。それでも、たぶん十分に面白い。#肉体の鎮魂歌





「肉体の鎮魂歌」(増田俊也・編)は、沢木耕太郎の「三人の三塁手」、山際淳司の「江夏の21球」などなど、スポーツノンフィクションが好きな方なら、「あぁ、あの名作ね」と思われる作品が収録された本。

作者が異なるスポーツノンフィクションを1冊で読めるのは、美味しいモノが少しずつあれこれ入っている豪華な幕の内弁当のようです。

「三人の三塁手」は、プロ野球・読売ジャイアンツの長嶋茂雄と、長嶋がいたことによって運命が変わった三塁手2人に注目した作品。

そして、「江夏の21球」は、日本一をかける試合で投げた広島カープの江夏豊に注目した作品です。

広島が1点リードで迎えた9回裏の場面
マウンドにいる投手・江夏が、何を感じていたのか。
日本一につながる21球に、ぎゅっと焦点を絞って書かれています。

最初に手にとったのは、私がまだ学生の頃で、さらっと読んでしまったのだけど、
それから何度か読み返すたびに、読んでいる自分の年齢が高くなっているせいか、
しみじみと味わい深く感じるようになりました。

「昭和」の雰囲気というか、
「スポーツといえば、野球」であり、
テレビでもナイター中継していた時代が少し懐かしくなります。

この本で初めて読んだのは、高山文彦の「遥かなる祝祭。―吉村禎章の奇跡。―」
この作品、良かったです。

試合中にチームメイトとの衝突により大怪我を負った読売ジャイアンツの吉村選手が復活し、代打で活躍し、やがて引退を迎える話を書いています。

吉村選手が自身の怪我をどう捉えて、復活へ向けて歩んできたか。

再起し、代打で活躍し、やがて迎える引退に、周囲の人々はどんな対応をしたのか。

一方で、将来有望と期待されていた吉村選手に大怪我を負わせてしまった選手が、どんな思いで、吉村の復活や引退を観ていたか。これは、この作品の核になっています。

光と影とか、
栄光と挫折とか、
そんな一言、二言では片付けられないから、

著者それぞれ、自分が焦点を当てた一つひとつ丁寧に書いている。

選手や競技に対する著者の熱気が、行間から滲み出てくるような気がします。

スポーツノンフィクションをまだ読んだことがない人にも、お勧めです。


#肉体の鎮魂歌#読書#読書好きな人と繋がりたい

肉体の鎮魂歌(レクイエム) (新潮文庫)







2018年9月18日火曜日

安室ちゃん引退と、希林さんご逝去、2つの芸能ニュースから、ふと考えたこと。

#soin cafe #上田市#茶色#ワークショップ


安室ちゃんは、引退して、ようやく、自分らしく過ごせる時間を持てるようになったのかな

樹木希林さんは、亡くなる瞬間まで、自分らしく過ごされたのか。

週末の芸能ニュースから、そんなことを、ふと考えました。

1日24時間は、誰にでも平等だけど、その時間を、どう積み重ねていくかは、人それぞれ。

時間に流されてしまいがちだけれど、時々は、自分の時間の使い方を考えてみたいです。

楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいます。

もっと時間がほしいけれど、時間があるときには、意外と上手く使えてなかったりします。

だから、ちょっと忙しいなぁと思っているくらいが、実は、ちょうど良い気がします。

楽しいことをするために、他の用事をいかに効率よくこなすかを考えられるなら、

それは、余裕があるってことかもしれません。

忙しいとき、そうでないとき
楽しいこと、辛いこと、
考えているとき、何も考えていないとき、
ちょうどよい按配、バランスを保ちながら、すごしていけるといいのだけれど。


2018年9月14日金曜日

「旅×アジア」の読書本 #読書会#西荻窪#旅


ゆるっと読書会(929日開催予定)の次回テーマは「旅」です。

参加者は、自分の「旅」に関係する本を1冊、持ち寄ることになっています。

さて、私は、どの本を選ぼうかな。いろいろ考えているところです。

さしあたり、これまで読んだ本のなかで、身近な国、特にアジアの国や歴史などに関する興味を駆り立ててくれた本を思い出してみました。

まず、沢木耕太郎さんの「深夜特急」は王道ですね。
そのほかにも、まだまだありそう。
「旅×アジア」で、まず、思い出した本は、次のとおりです。
ずいぶん昔に読んだ、懐かしい本もあります。


「アジアスケッチ」(高山義浩・著)

ASIAN JAPANESE」(小林紀晴・著)

「あの戦争から遠く離れて」(城戸久枝・著)

「日本を捨てた男たち」(水谷竹秀・著)

2018年9月6日木曜日

自分には関係ない、悪いのはアイツ。それが危険 #世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい



オウム真理教の信者たちを被写体にしたドキュメンタリー「A」「A2」をつくった森達也さんの著書「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。

この本の中で、森さんが繰り返し書いているのは、オウム真理教の信者たちのほとんどが善良で、穏やかで、純粋な人たちであるということだ。

しかし、そういう善良で穏やかな人たちが、「組織」を作った時に、何かが停止して、暴走することがある。
そして、穏やかで善良な人たちが、限りなく残虐になれる。

「組織」といえば、「学校」や「企業」が思い浮かぶ。
小さな単位では「家族」もそうかもしれない。
森氏は、組織に属する限り、善良で穏やかな人が残虐になる可能性(リスク)を、どこかに抱えているという。

重大な事件や犯罪が起きると、犯人の成育歴や動機を探ったりする。
自分とは「別の」人間であることを確認して、安心するのだと思う

自分には関係ない。
悪いのはアイツ。アイツのせい。
そんなふうに考えて、
それ以上の思考を停止をしてしまうのは、とても危険だと感じている。


2018年8月29日水曜日

人生は、紙一重。オウムと、清原と、芥川賞。 #文藝春秋・9月特別号




159回芥川賞「送り火」と、候補作の一つとなった北条裕子さんの「美しい顏」がどのように評価されていたのかが気になって、文藝春秋・9月特別号を手に取りました。
この号には、弁護士の滝本太郎氏の「私とオウム真理教の三十年闘争 四女と麻原彰晃の遺体を見送って」、薬物で逮捕された元・プロ野球選手清原和博氏の「独占手記 薬物依存症と甲子園の夢」なども掲載されています。

オウム、清原、芥川賞それぞれ、いろいろ思うのですが、言葉にするのは難しい。

人間って、弱いなぁ。
ちょっとしたきっかけで、暴力を正当化してしまったり、薬物に手を出してしまう。
その背景を考えると、孤独だったのだろうとも思えるし、
心に隙があったとも言えるし、幼稚なのかもしれないとも思います。

将来のことが、100パーセント予想どおりに、望みどおりになることはないのだろうけれど、「ちょっとしたきっかけ」がなかったら?、孤独や、心の隙が、少しでも埋まっていたら?と考えたりします。

オウムにしても、清原氏にしても、「あの人たちは、自分とは違うから」と考える方法もあるけれど、それは、やっぱり違う。

「自分とは違うから」ということで思考を停止してしまうことは、危険をはらんでいる気がします。


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2018年8月19日日曜日

頭が良くて、リーダーシップができて、お金も稼げて、そんな僕に足りないものは? #世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?



世界のエリートは、「美意識」を鍛えているらしいです。

「僕って、頭はいいし、お金もあるし、結構イケメン?。だから、あとは感性を磨けば完璧さっ」とかいう、お話ではありません。


著者によると、世界情勢における、最近のキーワードは「VUCA」だそうです。
これ、知っていました? すみません、世界情勢について、あまりよく知らず、私は初めて知りました。
私は、アルファベットで短縮された用語がなかなか覚えられないので、
自分に念を押すために、書いておきます。「YMCA」じゃありませんよ。「VUCA」です。
VVolantility 不安定
UUncertainty 不確実
CComplexity 複雑
AAmbiguity 曖昧
の省略で、これが最近の世界情勢を現すそうです。

なんだか、ふわっとしていて、どうなるか分からない感じで、先行き不透明で、暗い感じが漂いますよね。

問題を構成する因子が増えていて、
その関係が複雑で、
しかも動的に変化しているので、
解決方法を見つけるのが難しい。

問題とその要因の因果関係を見つけて、
それをモデルとして抽象化して、解決方法を考えていく、これまでの論理的な論理的な問題解決アプローチでは、解決方法が見いだせない。

では、どうしたらいいか?

その時に役立つのが、直感、感性、つまり美意識。
「この世界を、どのように変えたいか?」というミッションやパッション。

論理的には説明ができないけれど、「こっちが、いいよね」というものを選んでいくことが、
問題解決の糸口になるようです。

論理的思考がなくてもいいということではなく、
論理的思考は、それは、それで重要。
論理的思考ができて、さらに、感性、美意識も備えるべきということです。

頭がよくて、リーダーシップができて、お金も稼げて、感性も磨いている。
世界のエリートに、足りないものがあるとしたら、あと何があるのだろう?

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#読書#読書好きの人とつながりたい#ブログ




2018年8月15日水曜日

目の前のことを整理する方法

#モッチョム岳#屋久島
2018年も半分以上、過ぎました。
この猛暑が終わって涼しくなったなぁ、なんて感じた頃から、
時間はあっという間に流れてしまいそうな予感。

このタイミングで、自分の目の前にあることを、一回、整理しておきたい気がします。

大切にしたいのは、1年後の自分、あるいは3年、5年後の自分の理想像に近づくために、今、これから「やりたいこと」

実行したいことが複数ある時は、直近で取り掛かりやすいことや重要度をみながら、
優先順位をつけたいです。

生活を維持するために必要なこともあるので、「やらなくてはならないこと」が
どれだけあるのかも見ておきたいです。

コーチングの視点でみると、「やりたいこと」「やらなくてはならないこと」に加えて、
「すでに、やってみたこと」「やってみたいと思っていたけど、できていないこと(積み残し」なども挙げてみたいです。

「すでに、やってみたこと」は、行動を起こしていることなので、
上手くいっていても、そうでなくても、とても参考になります。

「積み残し」は、これから取り掛かってみたいものが含まれていることもあり、
また、積み残しになってしまった理由を考えると、課題が見えてきます。

私がコーチングをするなら、

理想の私の状態を100%としたら、今は、何%なのか。
その何%には、何が含まれているのか。(すでに、やってみたこと)
残りの何%には、何が含まれているのか。(やってみたいと思っていたけど、できていないこと)
100%に近づけるために、何をしなければならないか。(やらなくてはならないこと)
明日から何をするか。(やってみたいこと)

こんな質問を使いながら、掘り下げていきたいと思っています。

1on 1コーチングは、対話を通して、あなたの現状を整理し、課題を明確にし、
ゴールに近づくための行動計画をコーチと一緒につくっていくものです。
ご関心ある方は、reikakawahara@gmail.com まで。メールにてご連絡ください。

#コーチング#自分掘り起し#質問の力




2018年8月13日月曜日

自分が気がついていないことに、気づくには?

#屋久島#ヤクスギランド

自分が気がついていないことに、気がつく
これって、なかなか難しいです。
なにしろ、気がついていないのだから、気がつく「きっかけ」が必要だと思います。

「きっかけ」をつくっているつもりで、気がついた「つもり」になって、
それで自分を納得させたり、満足している気持ちになったりすることも多い気がします。

中野民夫さんが講師、森雅浩さんが進行をつとめる
Be-Nature School マインドフルリトリート屋久島に参加してきました。

気がついたことは、たくさんありますが、
まずは、上記のとおり、
自分が気がついていないことに気づくことは、
できているつもりで、案外、できていないことがあるということ。
それが、私自身の体験から得た「気づき」です。

自分が、がんばっていること。
自分が、緊張していること。
自分が、疲れていること。
自分が、忘れていたこと。
自分が、大切にしてるもの。
自分が、大切にしていなかったもの。

屋久島の自然に身を委ねたら、最初の2日間は、体がぐったり。頭と心は開放できているのだけど、なぜか、体がぐったり。
その時は、なぜか、理由が分からなかったのですが、
きっと、体の奥底に蓄積していたものが、どどどっーと排出されてたのだと思います。

しだいに体調の軌道が変わって、
体の中に新しいエネルギーが生まれてくるのを感じるようになりました。

ああ、この状態が良い状態なのだと、実感。
頭で考えない、体で感じる「気づき」がありました。

言葉を使う仕事をしていると、言葉にすることで解決しようとします。
それは、確かに、一つの有効な手段であるとも思います。

でも、考える前に、そのための身体の在り方、体調の基盤がつくれていないと、
考えのベクトルが良い方向にも向けられないのだと改めて思いました。

自分がどんな状態にあるか、自分が気が付いていないことに気がつく方法、
「きっかけ」のつくり方は、人それぞれだと思いますが、

身近なところにある自然に身を委ねる時間を持つことは、
かなり有効な方法だと思います。

#屋久島#マインドフルネス#リトリート#Be-Nature School#気づき#学び

2018年8月7日火曜日

教えること、学ぶこと


知識や技術、経験から得たことを「教える」
学校の先生、親、大人だからできる「教える」ことがあると思います。

一方で、先生や親、大人だからこそ、「教える」ことの「落とし穴」もある気がします。
「教える」ことの目的は、学生や、子ども、後輩に、何かを「学んでほしい」から。
本当は「学んでほしい」のに、「教える」ことに力が入ると、相手が自分から学ぶ力を奪ってしまうかもしれません。

コーチングのセッションをしていて思うのは、

まず、コーチングを受けようと思っている時点で、
クライアントさんの姿勢は「前向き」です。
自分の課題を見つけて、解決していこうと考えているからです。
「前向き」の姿勢になっている方が、前に進めるように、
声を掛けていくことが、私のコーチングだと思います。

だから、コーチングでは、何も「教えない」。
その代わりに、クライアントさんに「気づき」があるように質問をしていきます。

学校や家庭、仕事の場で、
最低限の知識や技術は「教える」ことが必要かもしれないけれど、

本当は、自ら「学ぼう」とする姿勢をつくることが大事な気がします。
すぐに成果を求めるあまり、その姿勢をつくる作業がおろそかにされたり、すっ飛ばされている気がしています。

プロセスを大切にしないと、
結局は環境が変わったり、新たな課題が出てきた時に、
これまでに「教わった」答えでは対応できずに
どうしたらよいか、分からなくなってしまうのだと思います。

答えがない時に、どこから手をつけたらいいか。
次に、どうしたらいいか。
考えて、前に進める姿勢をつくるには?
コーチングは使えるけれど、それ以外にも、いろいろな方法があるのかもしれません。



2018年8月3日金曜日

子どもたちの姿は、社会や文化を反映している? 仏ドキュメンタリー映画 #子どもが教えてくれたこと


病気の治療を続けているけれど、
家族や友達とともに、笑いながら、時には涙しながら、
精一杯、今を生きている子どもたち。

子どもたちの姿を、静かに、見守るように映し出した
フランスのドキュメンタリー映画「子どもが教えてくれたこと」

子どもたちの言葉に、さまざまなことを気が付かされます。

「友達が死んだら、長い間、つらい気持ちになる。
でも、それは不幸じゃない。
自分の考え方次第で、幸せになれるんだ」

私が少し驚いたのは、
子どもたちが、自分の病気や治療について、
大人に説明できるくらい、きちんと知っていること。

医師は、子どもに向き合って、病気の状態や治療について説明していて、
その傍らで、親が聞いているシーンも出てきます。

患者は子どもなのだから、本人に説明するのは当然なのだけど、
日本の場合は、どうなのだろう?
子どもには、簡単な説明をして、
詳しいことは、保護者(親)に説明するのではないでしょうか。

子どもたちが、一人一人、個人として尊重されていると感じた映画でした。

映画「子どもが教えてくれたこと」