2020年2月20日木曜日

【 田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」】無理やり大きくしても豊かにならない。パラリンピックにもつながる指摘




「まちづくり」「地域活性化」「共生社会の実現」…。
そういうテーマを掲げて取り組まれている物事に、違和感を感じることがある。
それって、本当に「まちづくり」につながるのかな?
一過性の盛り上がりで、本当に「活性化」するのかな?
障害のある選手のパフォーマンスを観ること、パラスポーツを応援することと、
社会を変えることは、どうつながるんだろう?

パン屋さんの本を読んで、違和感の謎が解けた気がする。


著者の渡邉格さんは、天然の菌でつくった酒種をつかって発酵をさせたパンをつくって売る「パン屋タルマーリー」の店主。

高校卒業後、紆余曲折して、25歳で大学に入学。
31歳からパンの修業をはじめて独立した人だ。
本書では、渡邉さんの人生の歩みを紹介しながら、
パンをつくることになった理由、
原材料、水、菌、働き方、暮らし方に関するこだわりなどが紹介されている。
効率的で利潤を追求するパンづくりではなく、
利潤を追求しないパンづくり(腐る経済)を大切にしている理由が解説されている。

渡邉さんは、次のように書いている。

田舎に暮らして5年あまり、「まちづくり」「地域活性化」の名のもとで、
「腐る経済」とは正反対のことが行われている現実を何ども目にしてきた。
地域の「外」から引っ張ってきた補助金で、都会から有名人を呼んで、
打ち上げ花火のようなまちおこしのイベントをやってみたり、
地域の「外」から原材料を調達して、地域の特産物をつくったりする。

これでは地域には何も残らない。
潤うのは、イベントを仕掛けた都会の人たちであり、販促やマーケティングが得意な都会の資本だ。
使われた補助金も、都会からやってきた連中のところへ流れていく。
結局、「外」から肥料をつぎこんで、促成栽培で地域を無理やり大きくしようとしても、地域が豊かになることはない。
むしろ肥料を投入すればするほど、地域はやせ細っていく。

ここで思ったのは、パラリンピックの関連イベントも「同じ」ということ。
「外」からのお金で開催されているし、
まさに「打ち上げ花火」みたいに思えるものもある気がするし、
大きな額のお金が動き、大規模な出来事が起こった結果として、何が残るのだろう、
たぶん、ほとんど残らないだろうなと思うからだ。

「パラリンピックを盛り上げよう」という時、
一体、何を「盛り上げる」のか。
パラリンピック開催で、「共生社会の実現を目指す」というけれど、
「盛り上げる」ことと、「共生社会」が、なんだか遠い。
「外」からでなく、「内」からのアプローチを考えないといけないし、
「内」からの小さなアプローチを実行して続けていくことしかない気がしている。

タルマーリーの渡邉さんは、発酵を通じてできる食(パンやビール)で「ほんもの」を目指すことで、
「外」からではなく、地域の「内」から「まちおこし」「地域活性化」にアプローチをしている。

ああ、ほんもののパン、食べにいきたい。
ほんものを目指す人たちに出会いたい。


田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」 タルマーリー発、新しい働き方と暮らし (講談社+α文庫)

2020年2月13日木曜日

陽のあたる場所で生きることができるか #映画#パラサイト 半地下の家族



アカデミー賞受賞で注目度が高まっている映画「パラサイト 半地下の家族」

ところどころで笑えるのだけど、その笑いは明るいものではない。

格差社会、貧富の二極化をベースにしているのが分かるし、

半地下の空気のように、湿り気を感じさせる。毒を含んだストーリーだ。


山の手に住む富裕層の家族と、半地下に住む全員無職の家族、

家族の間にある差は、何なのか

半地下の家族は、チャンスがあれば、山の手の豪邸に暮らす富裕層の仲間入りすることができるのか。

そのチャンスを掴むことは、できるのか。

チャンスは、努力を積んだり、運しだいで掴めるのか。

そもそもチャンスなど、ありえないのか。

半地下に暮らす家族同士のやりとりの軽さ、明るさが、逆に、家族を取り巻く閉塞感を感じさせる。

その軽さ、明るさの裏に、ものすごく深い諦めがある気がしてくる。

観終わった後に、すがすがしい気分にはなれないけれど、

親子が互いを思いあうところに救いをもたせているのかもしれない。

#映画
#アカデミー

2020年2月5日水曜日

【古くてあたらしい仕事】本を読むことで得られるものは?




「良い人に、出会った」と思った。

実際に会ったことはないが、本の中で出会った人に、励まされた気持ちになった。


ひとり出版社「夏葉社」の島田潤一郎さんの著書「古くてあたらしい仕事」は、

島田さんが、これまで取り組んできた仕事について書いたエッセイ。

出版社を立ち上げたきっかけや、最初に出版した本、著者や装丁者、出版社や書店の人のことに触れながら、

「何を大切にして、仕事をしているか」について書いている。

読み終わった後に、書籍のタイトルを見直して、

今も、昔も、仕事において大切なことは変わらないのかもしれない。

古いと思っていることが、実はあたらしいことでもある気がしてきた。


本書では、「本を読む」ことについて、次のように書かれている。

本を読むということは、現実逃避ではなく、身の回りのことを改めて考えるということだ。

自分のよく知る人のことを考え、忘れていた人のことを思い出すというだ。

世の中にはわからないことや不条理なことが多々あるけれど、

そういうときは、ただただ、長い時間をかけて考えるしかない。思い出すしかない。

本はその時間を与えてくれる。ぼくたちに不足している語彙や文脈を補い、

それらを暗い闇を照らすランプとして、日々の慌ただしい暮らしのなかで忘れていたことを、

たくさん思い出させてくれる。
(本書P112)


本を通して、自分を見つめなおすことができたり、自分のことを少し客観視できた経験がある。

読書が、囚われていた観念や感情から自分を解放するきっかけになったこともある。

読書を通じて、著者と出会い、言葉や思いを交わしたような気持ちになることもある。

「古くてあたらしい仕事」は、

自分自身の仕事や、時間の使い方、人との関わりについて、

改めて見直す機会をくれた一冊だった。


古くてあたらしい仕事