2015年7月31日金曜日

他人とは 「ない」より「ある」で通じ合う。 自分も、「ない」より「ある」で行動する。

誤解が生じた時、

「やってない」「言っていない」と言っても、

「ない」ことを証明するのは難しい。

「ない」ものには、根拠や論拠も「ない」からです。

それよりも、「ある」もの。

自分が日頃、心から思っていることを伝えるほうが、

説得力がある。

なにしろ「ある」ものだから、実感がこもるし、

事実や根拠も出せるわけだ。

山田ズーニーさんの著書「働くためのコミュニケーション力」

の中で、「誤解をとく」方法として、紹介されていたものの一節です。

職場に限らず、家族や、友人の間でも、

「なかなか伝わらない」「分かってもらえない」など

「ない」が発生すること、ありますね。

「どうして、分かってくれないのだろう?」と感情的になったり、

ストレスがたまることもあるように思います。

でも、

「ない」ものを「ある」に変えることは難しい。

「ない」ものは、「ない」のだから、いったん横においておき

互いの間に「ある」ものを探してみるといいのかもしれません。

「こういうところは、伝わっている」「理解しあえている」

「大切に思っていることは、共感できる」などなど、

「ある」に焦点をあてて話をしていくと、通じ合うことが出てきそうです。

他人とのコミュニケーションだけでなく、

個人のレベルでも、「ない」より「ある」に焦点をあてることは大切。

才能が「ない」から。

私には、どうせ魅力が「ない」から。

景気がよく「ない」から。

今は、その時期じゃ「ない」から。


探していくと「ない」に該当することは、たくさん出てきます。

でも、本当に「ない」のか?

考えてみると、具体的な根拠はなかったりする。

挑戦する気持ちは「ある」

今日は、これが「できる」

明日は、これを頑張ることが「できる」

努力を続けることが「できる」

「ある」ものを挙げていくと、

自分がとるべき行動がはっきりみえてくる気がします。

「ない」より「ある」で、他人と通じ合う。

「ない」より「ある」で、自分自身で行動する。

今日も元気に♪



2015年7月30日木曜日

でも、変化しなきゃいけない

進歩しなくてもいい。
進化しなくてもいい。
でも、変化しなきゃいけない。

サッカー元日本代表監督の岡田武史さんが、よく使っている言葉だそうです。

岡田さんと、松江英夫さん(デロイト トーマツ コンサルティング パートナー)の
「持続的な成長への挑戦」をテーマにした対談が、ダイヤモンドオンライン
に掲載されていて、面白かったです。

どんなに強いチームでも、「勝ち続ける」という状態は、ありえない。

落ちること、ダメになることを最小限にとどめ、

ハイレベルを維持していくには、どうしたらいいか?

岡田さんがキーワードとしてあげるのは「変化」です。

経営者、指導者、親や教師が、命令や指示などを「与えること」では、

社員や選手、子どもたちを変化させるのは難しい。

「気づきを促す」「答えを引き出す」方法をとり、

社員や選手、子供たちが、自発的に動けるようにする。

個人が自発的に動けるようになると、組織として変化が起こる。

そんなお話だったと思います。

状況が悪い時は、「変える」ことに意識が向きますが、
比較的うまくいっている時は、「変化」の必要性に対する意識が薄れてしまいそうです。

昨日より、今日。
今日より、明日。

よりよい状態に向けて、変化できることを探してみよう。

2015年7月28日火曜日

モノづくりサロン2015 

「今年のモノづくりサロンは、同じ職場の○○さんが受講します!」

障がい者福祉施設の職員さん向けに「モノづくりサロン」という講座を開催しています。
福祉施設のモノ(商品)づくりを、よりよいものにするために、学び合う講座です。

主催者の一人として、「開催していて、良かったなぁ」と思うのは、

受講生が、同じ施設や同じ法人に所属する同僚や、部下、後輩を、

翌年度の受講生として連れてきてくださっていることです。

2013年、2014年と開催してきた中で、

「来年は、同じ施設の同僚、部下にも受講してほしい」と

思ってくださる受講生の方がいることは、

「モノづくりサロン」の内容に対して、

評価をいただいているということだと思い、本当に嬉しいです。

「昨年のほうが、よかったね」などと思われないように、

主催者としては、前年度よりさらに充実した内容にしなければと
身が引き締まる思いもあります

 2015年度の「モノづくりサロン」、

お席がだいぶ埋まってまいりました。

受講をご希望の方は、お早目に、下記よりお申込みください。

■モノづくりサロン2015


「スポーツの力」という言葉の力

「スポーツの力」

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定により、

こんなキャッチコピーを見かけたことがありました。

「スポーツの力」って、なんでしょう?
 
と思います。

私は、パラスポーツのいくつかの競技を観て、

いろいろなことを感じて、

それを共有したいと思ったりして、

取材をして、ほそぼそと発信をしています。

私に何かを感じさせるものが、

「スポーツの力」なのかな?

と考えたけれど、

なにか、ちょっとズレる感じがして

私個人は、ピンときていません。

最近、読んでいる盲ろう者の福島智さんの本に、
こんな指摘がありました。

「言葉そのものには、力はない」。
「行動が伴わないと、言葉から力は生まれないのです」

なるほど、と思いました。

「スポーツの力」という言葉は、

とても抽象的で、ざっくりした言葉だと思うので、

ざっくりしていることによって、

共感できる人が多くなるのかもしれないし、

ざっくりしていることによって、

「なんとなく分かる」で終わってしまい、
心に強く響かないのかもしれません。

「言葉そのものに、力はない」のだから、

言葉に、どんな行動が伴うかによって、

力が生まれることもあるし、

力が生まれないこともある。

同じ言葉でも、それを受け止める人、それを使う人によって、

言葉のもつ力は、異なるものになるはずだと思いました。

逆から考えると、

人に伝えたい、人から聞きたいという思いがあり、

その思いに、何らかの行動が伴うとき、

ほんの一言であっても、言葉から力が生まれる。

そういうことかもしれません。



2015年7月24日金曜日

【ぼくの命は言葉とともにある】生きる意味は、自分の中にある


生きる意味は、自分の中にあるものです。

生きる意味を、自分の味方にするか、敵にするかは自分次第です。

自分の中にある生きる意味という「宝」を

見つけ出せるか、出せないか。

気づくか気づかないか、

そこが人生の豊かさを左右する分かれ目なのだと思います。

生きる意味に気づける人は、

自分の弱さをとことん知っている人ではないかと思います。

自分が弱くて、醜い存在であるということをとことん見抜き、

とことん経験する。

そうすると、自分はいかにちっぽけな存在で、

つまらなくて

くだらないものかとわかってくるのです。

生きるつらさ、苦しさ、むなしさ自体にも意味があり、

それがひいては、生きる意味につながっていくのだと

自身に言い聞かせることが大切なのだろうと思います。

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目が見えない。耳も聞こえない。盲ろう者の福島智さんが、

著書「ぼくの命は言葉とともにある」に書かれていた一節です。

福島さんは、とても気持ちの切り替えが早い性格だそうですが、

それでも苦悩は多いといいます。

苦悩はあるけれど、その苦悩にも意味があり、

生きる意味につながっていると考えているそうです。

苦悩の中にも、意味を見出すことができるのは、

自分の弱さを知っているから。

意味を見つけることで、強さを手に入れているのかもしれません。

自分の命に意味を持つ自由は、誰にでも与えられている。

生きる意味は、自分の中にある。

探してみたいと思います。

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2015年7月23日木曜日

まず、面白く生きる。結果はあとからついてくる。

「まず、面白く生きる。結果はあとからついてくる」

沢木耕太郎さんのエッセイの中に、

「まず、面白く生きる。書くことは、あとからついてくる」

という一言があって、とても印象に残っています。

沢木さんの場合、

自身が興味を持ったものを追いかけたことが、

作家という職業につながったのだと思います。

書くために「ネタを探す」のではなく

面白いネタに出会ってしまったから、書く。

私自身も、そんなふうにありたいと思います。

少し解釈を変えて、

「まず、面白く生きる。結果は、あとからついてくる」

と捉えてみたら、どうでしょうか。

夢や目標を設定して、

それに向かって行動するとき、

その行動が、

本当に夢の実現や目標の達成につながっているのかどうか、

迷いが生じることがあります。

失敗することを恐れたり、

もっと効率的な方法はないかと、

他の方法が気になることもありますね。

じっくり考えることが必要なこともあるけれど、

ほとんどの場合、

行動してみなければ、どうなるかは、分からないものだと思います。

迷いや不安が生じた時、

「まず、面白く生きる」を思い出すと、心が強くなれる気がします。

自分が無我夢中になれる方向へ進んでいけばいい。

と背中を押されます。

「面白く生きる」というベクトルがあると、

行動を選択しやすくなりますし、

一つ選択すると、次の選択肢が見えてきそうです。

気持ちを前へ。今日も元気に。


2015年7月21日火曜日

真のライバルとの摩擦が、運を作る

「真のライバルとの摩擦が、運を作る」

週末、パラ陸上の日本選手権を観にいってきました。

スポーツに限らず、ビジネスの世界でもよく言われることですが、

ライバルの存在は、互いに刺激を受けて、

高めあっていくことにつながりますね。

若い選手は、

「トップの選手に追いつき、いつか追いこしたい」

と思っているでしょうし、

ベテランの選手も、若い選手の成長を感じて、

「まだまだ負けられない」と思うかもしれません。

同じくらいの実力だと思っていた選手に負けて、

悔しい経験をした時は、

「次は、絶対、勝ってやろう」と思い、

練習への取り組み方が変わることもあると思います。

本田健さんの本に

「真のライバルとの摩擦が、運をつくる」という言葉がありました。

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本当のライバルとは、決して足を引っ張り合うような関係ではなく、

かといって、ダメなのを慰め合って終わる関係でもありません。

お互いの摩擦によって新しい可能性を発芽させ、

一緒になって成長していける間柄です。

誰をライバルにするのかは、とても大切なところです。

何事につけ、「自分よりちょっと上だな」と思えるくらいに実力がある

ライバルがいたら幸運です。

そういう人となら、お互いに勝ったり負けたりしながら、

揃って上に行けるでしょう。

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自分とは異なる仕事をしている人、

まったく知らない業界に関わっている人でも、

自分が刺激を受けて、頑張ろうと思える相手なら、

ライバルと呼んでよい存在なのかもしれません

でも、

世の中には、

ライバルにすべき存在ではないのに、

ライバルとみなしてしまったり、

互いに高めあえたらよいのに、

互いに足を引っ張りあったり、

そんな関係もありそうです。

そんな関係になるなら、

無理に、ライバルという存在をつくらなくても

いいのでは?と思います。

「真のライバル」の間で起きる「摩擦」は、

互いに力を高める方向へ働くけれど、

「真のライバル」ではない人間関係で起きるのは、

摩擦ではなく、衝突であり、

徒労、疲労だけで終わってしまいそうです。

「真のライバル」と思える存在に出会えたら、

それだけで幸運ですね。