2021年2月19日金曜日

他人と違うことをすることに対する評価

 

 NHK Eテレの番組 「SWITCHインタビュー達人達」(2020年3月21日放送)で放送された ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんの対談を、未放送分も含めて加筆してまとめた1冊。 

 放送された時も見ていたけれど、お二人の考えや指摘を活字で改めて読んだ。

 日本とイギリス それぞれの国で今、何が問題になっているのか。 
 問題になっている事柄について、どう対応していったらいいのか。
 特に、今後の社会の担い手となる子ども教育に必要なものは何か? について語られている。 

 興味深かったのは、「人と違うことをする」ことに対する評価、価値観だった。 

 保育園で、子どもが他の子と違うことをしようとした時、それを妨げてはいけないという価値観があるイギリス。 
 他の子と違うことをしようとしたら止められ、同じことをするように促されたり、強制されたりする日本。 

 日本の学校の中には、髪の毛の色、ストッキングの色まで「校則」で縛る。 生徒・児童が納得のいく理由などない「校則」で、自分たちの身なりや行動を規制されることに慣らされる。 会社という組織に入っても、周囲の人と違うことをするのは難しいかもしれない。

 ただ、新しい事業を起こしたり、他の企業と差別化したりするには、誰かと同じことをしていてもだめなのだから、 目的や理念に沿っていることを前提に、人と違うことをすることは許容されるべきだろうし、 挑戦することを促されるべきだと思う。
それを妨げるような空気のある企業は、長い目でみた時、成長を見込めないのかもしれない。

 今、自分がいる環境について「窮屈だわ」と思う人は、何らかの自覚があるので、救いがあると思う。
 他人や組織を変えるのは難しいので、自分がいる環境について、どう捉えるか。
自分がどう対応していくのか。 
 自分自身が居心地よい環境をどうつくっていくか。なのだろう。 

 学生時代に、変な校則を「そういうものだから」と受け入れ、疑問も持たずに過ごして、 大人になった人は、会社に入っても組織のルールに従って、案外、出世できたりするのだろうか。
 右肩上がりで経済成長していた時代にはそうだったかもしれないけれど、 今後はそうはいかないかもしれない。

 この本のタイトルには「何とかならない時代」と付けられている。

 その時代を生き抜くために必要な視点のいくつかを、お二人の言葉から学んだ気がする。

 

2021年2月13日土曜日

【AX】恐い妻は「恐妻」だけど、どういう妻が「恐妻」?

 

 主人公は、恐妻を持つ殺し屋・兜。 
 文具メーカーのサラリーマンとして、妻と一人息子を養っている。 
 殺し屋という仕事を辞めたいと本気で思うようになった時、 物語は大きく動き出す。

 私は女性なので、「恐妻」って、どういう妻のことを指すのだろう?と思いながら 読み進めた。 
 兜の妻は、私から見ると、とても「恐妻」には思えない。 
 こういう夫婦って、わりと多いんじゃないのかな。 
 夫婦関係で、こういうやりとりってあるあるで、 「恐妻」と思っているのは、主人公だけなんじゃないのだろうか。 
 裏の業界では知られている「殺し屋」が、妻を恐れているって個性が、 小説を面白くする要素だと分かってはいるのですが、 「恐妻」って、どんな人のことを言うのかは、ずっと気になり続けた。 

 夫からみて妻が恐いと感じられると、「恐妻」といわれてしまうけれど、 妻からみて夫が恐いと感じられると、「恐夫」とはいわないよね。 
 「亭主関白」ということになるのか。 
 暴力ふるうような夫は「DV夫」とか、別の言い方がありそうだし。 

 女性、妻は、優しくあるのが「普通」「理想」で、恐れられるのは普通じゃないから 「恐妻」などとマイナスの烙印を押されるのだろうか。 

「恐妻」というワードが最後まで気にかかってしまった。

 物語には、殺し屋とその友達の友情、父が息子に寄せる思いが描かれている。
伏線もクライマックスでちゃんと効いていて、楽しめる娯楽作品。

 

2021年2月8日月曜日

【アーモンド】他人の感情を理解できない少年が、愛を知る物語

 
 他人の感情を理解できない人は、「モンスター」だろうか? 
いや、他人の感情を100%理解できる人など、そもそもいるのだろうか。 
「お互いに、ある程度、理解しあえているよね」という前提で人間関係を築いているのではないか。そんなことを考えさせられた。 

 「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子・訳)は、脳の偏桃体が生まれつき小さく、人の感情が理解できない主人公ユンジェの物語。
偏桃体は、大きさから「アーモンド」と呼ばれているそうで、小説のタイトルもこれを採っている。

 人の感情が分からないという「障害」を抱えた子どもは、どう成長するのか。 成長する可能性があるのか。 著者は、そんな問いを立てて、執筆したのかもしれない。

物語は、主人公の語りで進んでいくが、行間に母親が息子に注ぐような視線の温かさを感じた。 人の温もり、優しさを感じて、ほっこりする一冊。