2021年5月24日月曜日

【おいしいものでできている】読むとお腹が空く1冊

 

 稲田俊輔さんの著書「おいしいものでできている」は、読むとお腹が空いてくる1冊だ。

 目の前に、一皿、出されているように感じながら、読むことになる。 

 稲田さんの「こだわり」には、「美味しいものが好き」という気持ちが溢れている。 

 子どもの頃に、食べたもの。
 学生時代に食べたもの。 
 大人になって、自分なりにこだわりを持って食べているもの。 

 人それぞれ、大なり小なり、食べ物へのこだわりはあると思う。

 料理への「こだわり」を他人から聞くと、ちょっと、うんざりしてしまったり、 「この人と一緒に食べにいったら、ちょっとめんどくさいだろうな」と思ってしまう場合があるが、
 稲田さんの着眼点は、面白かった。 

 本書の中に収められている「遠足のおやつ」の話を読んで、
そういうの、あったなーと似たような経験を思い出した。

 クラスメイトたちが、どんなおやつを持ってきていたか。 
 お菓子の交換の背景に見える、子ども同士の人間関係。

稲田さんのお店のカレー、食べてみたくなった。

2021年5月18日火曜日

【マイノリティデザイン】「弱さ」を起点に、社会を良くする

 
 「見えない。そんだけ。」
 2014年に開催されたIBSAブラインドサッカー世界選手権 ポスターに掲げられたこのキャッチコピーは、印象に残っていた。 

 この広告を手掛けたのが、『マイノリティデザイン 「弱さ」を活かせる社会をつくろう』の著者・澤田智洋さんだったということを、本書を読んで初めて知った。 

 澤田さんは、広告会社に勤務し、コピーライターとして活躍されていたが、 長男が生後三カ月の時に視覚障害があることが分かったそうだ。 

 そのことをきっかけに、さまざまな「障害」のある人に会い、話を聞き始める。
 日常生活をどのように過ごしているのか。 
仕事はどうしているのか。 
障害があるがゆえの、ちょっとした失敗などなど。

 様々な障害者の話を聞く中で、著者は、「できない」「苦手」というものを「克服するもの」ではなく、「生かすもの」と捉えると、新たな価値を創造することにつながることに気がつく。 

 この気づきが、著者の広告関連の仕事の内容や着眼点に反映される。 
できないこと、苦手なことを起点に、社会を良くすることを考える。 
「マイノリティデザイン」のコンセプトが浮かびあがってくる。

 本書では、著者自身の経験や実感、広告の実例を交えて、「マイノリティデザイン」の例が紹介される。

 スポーツに関しては、 もともと運動音痴で苦手な著者が、視覚に障害がある息子と一緒に楽しめるスポーツはないのか。新しいスポーツをつくれないかと考え始め、「ゆるスポーツ」の考案につながる。パラリンピックで実施される競技や種目とは違う点もあるが、着眼点が面白い。

 コロナ禍で生活の仕方が変わったことにより、人それぞれ、これまで気が付かなかった「できない」「難しい」「苦手」な事柄、場面に気づいたのではないか。その気づきを、何か新しい発想や創造につなげることができるのかもしれないと、本書を読みながら考えている。

2021年5月4日火曜日

【福島モノローグ】他人ごとを、自分ごとのように受けとめるには?

 

 東日本大震災から10年が経過した。
 3月11日に、自分がどこにいて、何をしていたか。 
 それはまだ、思い出せる。

 東京・千代田区、神保町の交差点に立ち、 ちょうど信号が変わるのを待っていた。 
 徒歩で4時間かけて、当時住んでいた都内北区の自宅に戻り、 テレビで見た津波の映像、原子力発電所の映像もぼんやり覚えている。 

 ただ、記憶は時が経つにつれて、しだいに薄れるものであることは経験している。 阪神淡路大震災の時、テレビの映像で見た光景を思い出せるか? と問われると、私は明確に答えられない。 

 自分の身に降りかかった出来事や、その時、どんなことを考えていたかは「自分ごと」だから 記憶にも残り、似たような記憶を持つ人の話を聞いて、共感しやすい。 
 しかし、自分が経験したことのない出来事は「他人ごと」で、 それを経験した人から、その出来事や、その時の気持ちを語られても、 「自分ごと」と比べると「距離」がある。
 「もしも、自分だったら」という想像をしてみても、それはやはり想像に過ぎない気がする。 

 「福島モノローグ」は、東日本大震災で被災した福島の人の語りをまとめた1冊だ。 
 本書に登場する人の中には、どこの、誰なのか。氏名が表されない人もいる。 
 ただ、あの時、どこに居て、どうしたか。 
 住まいや、日々の暮らし、仕事、家族、周囲の人との関わりについて、 ページをめくるにつれ、その人の語り「モノローグ」に、直接、耳を傾けているような気持ちになる。

 「自分」と「他人」の間には、 「自分の身近にいる人々」「自分に関わりがある人々」が居る。 
 語りを聞くということは、本書の登場人物たちを、自分と他人の間に位置付けることになる。 
彼らが経験したことは、私にとって 「自分ごと」ではないが、「他人ごと」でもなく、 少し身近な人々のこととして、受けとめることができるような気がしてくる。 

 著者である、いとうせいこうはその気配を消している。
 語る人の前に居ることは間違いないのだが、本書の中で、著者は声を発しない。 
 被災地の人々、彼らを、読者に近い存在にする 彼らの声がよりリアルに読者に届くこと
を願ってつくられた1冊だと思う。