2018年10月26日金曜日

普通って何? 生きづらさを抱える人が、生きやすくなるには #コンビニ人間





「普通じゃないよね」
「変わっているよ」
小学生くらいから、同級生や近所の友達に、よく、そう言われていました。
普通であることが良いことなのか、
変わっていることが悪いことなのか、
よく分からないと思ったことと、
私は「自分が良ければ、他人から何を言われても、別にいいや」と考えるところがあって、
ほおっておくことがたくさんありました。

思春期の年ごろになると、
なかなかほおっておいてもらえない、
いわゆる同調圧力を感じたこともあり、
なんだか面倒くさいなぁと思いつつ、
同級生の女子たちの興味関心、振る舞いに
表面的に調子をあわせている振りをしてみたこともあります。

学校社会ほど同調圧力は強くないけれど、
会社も一つの組織ですし、
成人して、社会に出てからも同調圧力を感じることはありますが、
最近は「多様性」という概念がずいぶん普及してきてもいるので、
まぁ、私は、私。「普通」の尺度は、自分で測ればよいもの。
と思うようになってから、ずいぶん経ちます。

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」
芥川賞受賞作品として有名ですが、
この作品は「普通」とは何か?を問いかけてきます。

30半ばを過ぎて、コンビニ店員のアルバイトを続けている女性が主人公。
その年齢で、コンビニで、アルバイト。そして、独身。
両親や妹にとっての「普通」
同級生たちにとっての「普通」
コンビニで働く同僚たちにとっての「普通」
そして、主人公の「普通」
それらが交錯します。
生きやすさ、生きづらさ、とは何なのか?
そんな問いも含まれます。

他人にとっての「普通」にあわせて生きても、
自分の「普通」からズレていれば、生きづらい。
でも、自分にとっての「普通」が、
周囲の人たちの「普通」からズレている時、
生きづらさを感じる人もいる。

私の「普通」とは何なのか? 私は、どう生きるか?
そんな問いを突き付けてくる作品です。


2018年10月17日水曜日

生きる、ということを真剣に考える時



どんな生き方をしたいか。

それを真剣に考えることは、

自分自身の「死」について考えることになるのかもしれません。

死に方を選ぶことは難しいかもしれないけれど、

命の終わりがあることを頭に入れて、どんな生き方をしたいか考えると、
思考がずいぶん変わってくるように思います。

高山文彦さんの「いのちの器 臓器は誰のものか」は、
「脳死」「臓器移植」を通して、生きているとは、どういうことか?人の死とは、どういうものか?について考えさせられる作品です。

1997年に出版されていますが、ちっとも古く感じない。
今、読んでも、もし自分が臓器を提供する側だったら?
逆に、臓器移植を望む立場だったら?と考えさせられます。

答えは、すぐには出ません。
いったん結論を出しても、たぶん、それが現実になったら揺れる気がします。

それでも、死について考えることで、生きることに真剣になれる気がします。

#読書#高山文彦

2018年10月2日火曜日

10月になると、急に、今年も終わりな感じが加速します

#上田市#お風呂屋さんをリノベーションした展示

10月に入ると、なぜか、「今年もあと3カ月かぁ」などと考えてしまいます。

9月30日までは、それほど「今年」を意識しないで
冬から春、春から夏を、のほほーんと過ごしていたりするわけですが。

10月に入った途端、今年の終わりが見てきて焦るのが毎年恒例になっています。

思い当る理由はいくつかあります。

10月に入ると、来年の手帳が店頭に並びだして、
そのうち年賀はがきの発売も始まりますし、
仕事では、年末年始の休みに備えて、
新春に関連する企画立案が始まったり、原稿の依頼が始まったりするので、
「あっ、えっ、今年も、そんな季節?!」と思わずにいられなくなるのです。

予定を書き込む手帳のカレンダーをみても、
「わぁ、ここから3カ月は、ばたばたしているうちに、終わっちゃいそう」
という感じが漂っています。

ついつい慌ててしまうのですが、

そんな時は、逆に、手帳のカレンダーを遡って眺めてみることにしています。

1月2月には、こんなことをしていたんだとか、
真夏は、多忙だったし、結構、頑張ったとか、
そういえば、新しいことを一つ、挑戦していたとか、
過ぎた日々の中で、収穫したことや、発見したことを見つけることができます。

小さなことなのですが、まぁ、私も、ちょっとは頑張っているよね。

と誉めてあげる。

そうすると、10月からの残り3カ月も、何か、もう少しチャレンジできそうな気がしてきます。

年末に向けてのカウントダウン、頑張っていこう。

#10月#今年も終わり#モチベーション