2016年5月27日金曜日

【語彙力こそが教養である】 語彙にも、量が質に転化するポイントがある




「量が質に転化するポイントがある」

斎藤孝さんが著書「語彙力こそが教養である」のなかで、

次のような指摘をされていました。

「語彙力とは、単にたくさんの言葉を覚え、知識があることではなく、

言葉を臨機応変に使いこなせる力も含む」。

「そのためには、膨大な言葉のインプットが必要。

言葉をストックしているから、適切な状況でアウトプットできる」

「仕事や、スポーツと同じように、語彙にも、量が質に転化するポイントがある」

と指摘されていました。

でも、「量が質に転化するポイント」って、どこにあるのでしょう?

インプットが、ある程度、できた時かな。

適切な場面で、相手の心に響くような言葉を使えるようになれたら、

かっこいいですけれど、

私はインプットもアウトプットもまだまだ足りてない感じがします。

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2016年5月25日水曜日

「自分が何をしたいのか、よくわからない」 そんな時の直感は意外と正しい

「自分が何をしたいのか、よく分からない」

大学受験で学部を選ぶとき、私は、考えました。

理数系の科目よりは、

文系の科目のほうが得意だったので、学部は「文系」かな。

でも、どの学部に進みたいのか、なかなか選べない。

法学部?経済学部?教育学部?

なかなか、ピンときませんでした。

受験ガイド本をパラパラめくっていて、

目にとまったのは「社会学部」

「社会」のことを勉強するなら、面白いかもしれない。

そんな理由で選んだのが「社会学部」でした。

大学生の頃は、それほど一生懸命に勉強していたわけでは

なかったけれど、

最近、人と人の関係や、モチベーション、組織開発などの本を読むことが多く、そのなかに、社会学の理論が出てきます。

学部を選んだ頃は、
「本当は、何をしたいのか、分からない」と思っていたり、

社会学部に進んだ後も、

「面白いけれど、これが実際に役にたつのかを説明できない」

と思ったりしたけれど、

今、私が興味を持っていることは、

学生時代に興味を持っていたこととつながっている。

自分の選択は、

実は、とても「わかっていた」から、できたのかもしれません。

直感は、意外と正しいですね。

2016年5月24日火曜日

心に余裕がないときには、他人に優しくなれない



「心に余裕がない時は、他人に優しくなんてできない」

夜遅くまで働いて、くたくたになったり、

人間関係のストレスでピリピリしたり、

先が見えなくて不安になったり

そういうことが積み重なると、心に、余裕は持てなくなりますね。

自分が直面していることで、

頭の中がいっぱいになってしまうと

周囲の人(他人)に起きている小さな変化に気がつかないものです。

他人の言動の背景にある感情や思いにまで、想像が及ばなくなる。

結果、他人に優しくなれない、ですね。

心に余裕がない⇒他人(相手)に優しくなれない
他人に優しくできない⇒自分も優しくされない⇒癒されない。

なんだか、とても悪循環に思えてきます。
ストレスの高い状況を打開するため方法は、いくつかあると思いますが、

「ケアする人も楽になる 認知行動療法入門 BOOK1」は、
物事に対する自分の「認知」(とらえ方)を変え、「行動」を変えていく「認知行動療法」について、分かりやすく書かれています。
ストレスマネジメントにも、役立ちそうです。
お読みになりたい方は 「認知行動療法入門 BOOK1」

2016年5月23日月曜日

「チーム力」って、何ですか? 



「チーム力」って、何ですか?
スポーツについて文章を書いているとき、
「チーム力」という言葉を使うことがあります。
でも、時々、「あ、ダメだな」と、思うことがあります

「チーム力」って、何なのだろう?と、自分で自分に質問した時、
「こういうことだ」というイメージが沸いてこないことがあるからです。
それは取材が十分でなく、チーム力のイメージを持てるだけの情報をとれていない状態です。
そんな時は、「チーム力」という言葉を使わないようにしています。

チーム(組織)を眺めてみて、
「こういうことができている」
「あの人は、こんなふうに行動できている」
「あの人とこの人が、こんな言葉を交わしている」
そんなふうに「チーム力」を発揮できているイメージが沸いてきたとき、
「チーム力」という言葉を使っても大丈夫と思えてきます。

あいまいな言葉では、伝わらない。
それが、どういうことなのか。
具体的なイメージを持てる状態にする。
そのイメージを、共有する。
会社のような組織で「チーム力」をつくろうとするときも
同じかもしれません。

なかなか難しいですが、
あいまいな言葉で、うわべだけごまかして
伝えたつもりにならないようにしたいです。

2016年5月20日金曜日

頑張っているはずなのに、なんだか上手くいかない。壁を感じた時に、突破する方法


頑張っているはずなのに、なんだか上手くいかない。

ゴールに近づいているのかどうか、分からない。

そんなふうに感じることがあります。

そんな「壁」を突破するためには、どうしたらいいでしょうか。

必要なことは、自分が「正しい」と信じているものを疑ってみること。

自分が目指していた「ゴール」は、ずっと遠くにあるのではなく、

「遠い」と思っているだけで、実はすぐ傍にあるのかもしれない。

事実は、変えられないけれど、

事実をとらえる視点は変えられます。

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いびつで、未完成な自分を抱えたまま、走ればいい。

最初はボロボロに負けようと

人から笑われようと、

納得できるまで、じっくり時間をかけて回り道をして考え、

あえて、定石やセオリーとされているものを疑い、

時には崩してみる。

自分で体験し、体験を通じて学んでみる。

そして、そのセオリーの意味を自分で再発見する。

そういう基礎固めが大事だ。

「勝負論」の著者・プロゲーマー梅原大吾さんの言葉です。

梅原さんが強調するのは、自分で考え、自分の身をもって体験すること。

手間や時間がかかるかもしれないし、

つらい思いをすることがあるかもしれないが、

自分の体験から手に入れたものがある人は、強い。

と指摘されています。

不器用でも、自分で苦労しながら頑張った人が、強くなるということです。

今日も、頑張ろう。

お読みになりたい方は 
「勝負論 ウメハラの流儀」



2016年5月18日水曜日

「理不尽なことは、ある」 と言う技術



「理不尽なことも、ありますよ」

福祉関係の仕事をしている友人が、
何かの折に、ぽろりとこぼした。

具体的なことは、何も言わなかった。

仕事のなかで向き合っている相手やご家族の
プライベートなことに関わることだったのかもしれない。
職業上、それを他人に明かさないという守秘義務がある。

しかし、話の隙間にこぼれた「理不尽なことも、ある」という
一言が、私の中で、とても印象に残った。

「困っている人には、手を差し伸べるべきだ」
「自立のためには、甘やかしてはいけない」
「時間は、守るべきだ」
「人を傷つけることは、いけないことだ」

人はそれぞれ、自分の中で、「こうしたほうがいい」「こうするべきだ」という価値観、
信念を持っている。

しかし、社会の一員として生きているなかで、

自分の価値観と、異なる価値観を持ってる人と出会うことがある。


「違う人も、いるよね」とか

「世の中には、いろいろな人がいるなぁ」と考えて、

自分と他人との違いを流せればいいのだが、

頭の中でそう思っていても、気持ちがモヤモヤしたり、イライラすることがある。

「理不尽なことも、ある」という一言は、

モヤモヤやイライラの感情を、

いったんスパッと切り捨てる言葉だと思った。


価値観や信念が傷つけられ、

それらが揺らぐような出来事があった時、

「理不尽なことも、ある」と言うことで、

しなやかに乗り切っていくことができるかもしれない。

「諦め」とは、違う。

しなやかに、強く生きるための技術だろう。



2016年5月17日火曜日

【勝負論】アスリートも、ビジネスマンも、「勝負」について考える人に読んでほしい本



「勝負とは何か」を知りたければ、結局のところ、

「自分にとって幸せとは何か」を考える作業が必要になる。

「勝つ」と「負ける」
そして、「勝ち続ける」とは何なのか。

自分なりに定義してみてほしい。

なぜ、勝ち続けることが大切なのか。

勝ち続けることによって、何を得られるのかをじっくり考えてほしい。

プロ・ゲーマー梅原大吾さんの著書『勝負論』に書かれている言葉です。

スポーツも、ビジネスも、
「勝負」の哲学を、自分なりに持っていることが必要な気がします。

表面的な勝ち負けでないところに、本当の勝負があると思います。

お読みになりたい方は
↓ 

2016年5月13日金曜日

イケメンとすれ違って、ドキッとするのは?

イケメンとすれ違った時、ドキッとする

楽しいことがあった時、ウキウキする。

嫌なことがあった時、イライラする

何かの出来事に、自分の心が動くことがあります。

刺激に対する心の動きは、「反応」。

「反応」そのままでは、人間関係はうまくいかないので、

「反応」を上手に扱うことが必要ですね。


「イケメンとすれ違って、今、ドキッとしちゃった。初恋の人に似ていたからかな」

「楽しいことがあるから、足取りが軽いし、早起きも苦ではなくなる」

「相手の言動がとても身勝手だと思うから、イライラしているんだわ」

自分の心の動き、「反応」について、

「なぜ、そういう動きが起こったのか」

ちょっと冷静に見てみる

どんな時に、どんな理由で、どういう反応が出ているのか、

振り返ってみる。

自分の「反応」に良し悪しをつけるのではなく、

イライラしたり、凹んだりする感情も、
そのまま、しっかり受けとめる。

受けとめてみると、

「子供っぽいなぁ」とか、

「結構、いろいろなことを考えて頑張っているよね」とか

「小さなことにこだわっていた」と気づくことが出てきます。

これができると、思考がもう一つ、深まります

「イライラしたのは、相手の行動が身勝手だと思ったからだけど…、

本当にそうなのかな? あの人は、なぜ? あんな言動をするのだろう?」

自分の心の「反応」をしっかり受けとめたうえで、

相手に向き合うことを「対応」と言うそうです。

「反応」と「対応」は、異なるもの。

異なるけれど、つながっている。





2016年5月12日木曜日

「あたりまえ」を手に入れるために


「ありがとうございます」
手を伸ばしてチラシを受け取ると、女性は凛とした声でそう言った。

チラシには、白い紙に赤字で「介助者 急募」と書かれている。

重度の障害者の自立生活を支える人を探しているらしい。

夕刻の東京・神保町。

「本の街」といわれ、古書店や大型書店が並んでいるが、

大手町から近いこともあり、近年は再開発が進んでオフィスビルが増えている。

スーツ姿のサラリーマンが家路を急ぐ時刻、

地下鉄の出入り口は、

地下へ入ろうとする人と、外へ出ようとする人が混ざり合い、

うまく流れをつくれずにごった返していた。

女性が2人、その流れを見ていた。

一人は車いすに乗っている。

チラシを手渡そうとして、何かを言っているが、

風にかき乱されて聞こえない。

ほとんどの人が、2人を視野に入れないようにして通り過ぎていった。

「介助者 急募」の上に、

「重度障害があっても地域で暮らし続けたい!」と添えられている。

「地域で暮らし続ける」ことは、

多くの人にとって「あたりまえ」だろう。

しかし、

その「あたりまえ」を手に入れるために、

女性たちは交差点に立ち、チラシを配っている。

誰かの「あたりまえ」を手に入れるために、

彼女たちは、頑張らなくてはいけないのだ。

私にお礼を伝えた声は、明るく、感じがよかった。


「あたりまえ」が、すぐそこまで来ているかのような響きだった。