2021年12月8日水曜日

母娘の関係、こういうことってあるよねって思い出す1冊

 

小学生の頃、私が欠かさず購入していた漫画雑誌は「りぼん」。
同様の雑誌に「なかよし」もあったが、私の同級生は「りぼん」派が多かった。
男子は毎週欠かさず「ジャンプ」を読んでいて、その当時の漫画雑誌ものすごく勢いがあった。 

 好きな漫画家の一人、谷川史子さん。 
ネットの記事でお勧めの漫画の一つに、谷川さんの「手紙」があがっていた。谷川さんの漫画、しばらく読んでいない。しかも、この「手紙」は読んでいない。さっそく手に取った。 

 あー、ある、ある。これは、ある。 
母親の存在って、こういうもんだよね。
子どもの頃、感じていたことを思い出す。 
今でも、時々、子どもの頃と変わらない思いを母親に対して抱く時もある。 

 私は、出産を経験していないし、子育てもしていないので、親の立場になっていないけれど、年齢を重ねた今、子どもがいたら、たぶんこういう気持ちになるんだろうなぁと以前よりは想像できる。 

 年末年始、この2年、コロナ禍で実家に帰省していない。 
今年の年末は、どうしようかとまだ考え中だ。 

日頃は、メールでやりとりし、時折、Zoomを使ってみたりしているが、 たまには、しっかりと「手紙」を書いてみるのもいいかもしれない。

この作品、それほど劇的なことは起こらない。
だけど、心に沁みる。

 やっぱり、谷川さんの作品、好きだなぁ。

2021年10月30日土曜日

【目の見えない白鳥さんとアートを見にいく】新しい美術鑑賞方法ではなく、自己発見の方法

 

 目の見えない人と一緒に、美術館に行って、作品を見る。

 目が見えないのに、どうやって見るのか? 

 それが最初の問いだ。

 著者は、「どうやって」を知り、目が見える自分自身の鑑賞方法では気がつかなかったことに気がつく。 

 本書の前半は、アート作品の新しい見方を提案する内容になっていると思う。

ただ、単にそれだけではないという点が、この本のミソだ。

 著者は、白鳥さんと一緒に、様々な美術館を巡るうち、そしてコロナ禍により互いに直接会えない期間も経て、思考を深める。 

 障害者に対する見方、 自分の中にある偏見も見つめなおす。 

 本書の後半は、著者が自分自身の考え方や価値観を問い直す過程が綴られていて、 混沌としているように感じられる。 その混沌さに、私自身は引っ張られて読み進めた。 

 見る対象は、アートじゃなくてもいいということが分かってくる。 
 行く場所は、美術館でなくてもいいことも分かる。 

 ある場所に、私がいる。 そして一緒に、誰かがいる。 

 私と誰かの間に、何かが共有されている。 

 ただ、単に同じ場所にいるというだけになるかもしれないし、 互いに言葉を交わすかもしれない。 

 共有されることは様々であっていいのだと思う。

 障害がある、なし、関わらず。

 一緒の時空にいることから、何かが生まれるということを感じさせられた1冊だった。

 余談になるが、15年ほど前、エイブルアートジャパンを通じて、白鳥さんの美術鑑賞の取り組みを知り、 NPO法人OurPlanetTVで、「見えないあなたと美術館へ」という映像作品を制作した。

本書の前半で触れられている内容は、その制作の際に私が感じたことと重なっていたが、 私自身は、目が見えない人との鑑賞について「言葉で説明する」という点に囚われすぎてしまって いたように思う。 

 本書を読んで、改めて、
障害のある人と共にある、共にする、ことの意義について、考えさせられた。

2021年10月24日日曜日

【その女、ジルバ】「生きていく」こととは?

 

「ドラマ、見ました?」
お会計をしてくれた店員さんが、話かけてきた。
そのお店にはよく、足を運んでいるが、店員さんから話しかけられたのは初めて。マスクで顔が半分隠れていることもあって、最初は、自分に話しかけられたことが分からなかった。

私が購入したのは、「その女、ジルバ」という漫画。全5巻の漫画の大人買い。
NHKのラジオで、作家の高橋源一郎さんが紹介していて、気になっていたのだが、偶然、古本屋さんにセットで出ているのを見つけたのだった。

店員さんは、店頭に出したばかりだった漫画を、私がすぐに購入したので、「ドラマを見た人かな?」と思って話しかけてきたようだ。

質問されたことが分かり、NHKでドラマ化されたことは知っていたが見ていないこと。ラジオ番組で紹介されて、ずっと読みたいと思っていたこと。
古本屋さんで、かなりリーズナブルに全巻セットを購入できてラッキーと思っていることを店員さんに伝えて、そのお店を後にした。

「その女、ジルバ」は、40代に突入した主人公が、高齢のホステスのみがいるお店に飛び込むところから物語が始まる。

お店に飾られている、初代ママのジルバが、どんな人だったか。
ブラジル移民、戦後、彼らにどのようなことが起こったか。
日本に引きあげてきた人、引きあげなかった人。
私が知らない歴史の一端が描かれている。

一方で、主人公の故郷・福島、東日本大震災の後の今を生きる人々も描かれる。主人公は、デパートの売り場から倉庫へ担当が変わり、独身で彼氏もいない。
40歳、これからどう生きていったいいか。不安や悩みを抱えているのだが
ジルバのお店で高齢のホステスやマスターの話を聞くうちに、変わっていく。

ブラジル移民や終戦後の混乱時に起きた出来事など、知らない歴史がたくさんあることも知った。

「生きていく」ということについて、しみじみ考えさせられる漫画。

< その女、ジルバ(1) (ビッグコミックス)

【小さな声、光る棚】面白いと思うのは、その人が垣間見える時

 エッセイを読んでいて、私が面白いなと思うのは、著者がどんな人かイメージが沸いてくる時、著者の人柄が滲み出ている文に出会った時である。


エッセイは、著者がどのような物事に注目しているか。どのような視点でそれを捉えているか。また、テーマについてどのように論理展開をしているかなど、その人の視点や考え、価値観が反映されるものだと思う。


ただ、同じ著者が書いているものエッセイでも、これは面白かったなぁと記憶にしばらく残っているものと、読んですぐに忘れてしまうものがある。

荻窪の書店「Title」(タイトル)の店主、辻山良雄さんの著書「小さな声、光る棚」の中で、私が一番面白いなぁと思ったのは、『父と「少年ジャンプ」』だ。
著者が父親に対して、どう思っていたか。
その見方に、変化がある。


著者と、父との間に、漫画雑誌「少年ジャンプ」が存在する。
「少年ジャンプ」が、器用とはいえない2人の関係を繋いでいたことが感じられて、じーんときた。

小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常

2021年10月13日水曜日

「まなざし」「まなざされる」と「見る」「見られる」 

京都在住の作家・光島貴之さんからのお便りが届いた。

 アトリエみつしま企画展「それはまなざしか」が、 10月1日(金)~2021年10月31日(日)を開催中とのこと。 
 10月2日に実施したギャラリートークの様子は、 YouTubeにて期間限定で公開(10月16日(日)まで)されている。




視覚障害のある光島さんにとって「まなざし」とは、どんなものなんだろう?と考えてみる。展覧会のご案内には、 「まなざしは通常それを向けられる側の観点から語られることが多いと思われますが、視覚に障害のある人にとっては常に見られる側の視点でしか捉えられないものでもあります。 しかし、まなざしを向けられる側の観点は晴眼者にも同様に存在し、「まなざされる」ことへの意識は、外界とのせめぎ合いの中で自己の輪郭をより明瞭にするでしょう」と書かれていた。

 「まなざされる」って、面白い表現だなと思う。
 「見られる」とは、少し違う感じですよね。 

 「まなざし」「まなざされる」は、 他者と自分との関係性が、「見る」「見られる」よりも、よりハッキリと、強く立ち現れる気がする。

 京都に近い方は、ぜひ、お出かけください。 

2021年10月10日日曜日

【死にたいけど トッポッキは食べたい】自分を愛することは難しい

韓国料理の「トッポッキ」(お餅を使った煮込み料理)について、つい最近まで「トッポッギ」だと思いこんでいて、「最後のキは濁らないんだぁ…」と知った。
そんな矢先、今度は、同じく韓国料理の「プルコギ」(お肉と春雨、野菜などの甘辛い味のお料理)の「コ」の発音は「ゴ」のほうがネイティブの発音だと教えていただいた。 ただ、こちらの表記は、「プルコギ」「プルゴギ」両方使われているようだ。カタカナ、難しいね。

トッポッキも、プルゴギも、大スキ(^^♪ なのだが、自分では作ったことがない。 コロナで韓国料理のお店にも食べにいけていないから、恋しくなってきた。あぁ、食べたい。

韓国料理について考え始めたきっかけは、1冊の本「死にたいけど トッポッキは食べたい」(ペク・セヒ著)だった。

タイトルの「トッポッキ」に目が留まり、「あ、私も食べたい」と思ったのだ。でも「死にたくはないけどね」と心の中でつぶやきながら、古書店の棚の前で手にした。

タイトルの捻りと、この表紙から、どんな本なのだろう?と興味が沸いた。 そして、パラパラとめくりながら、タイトルと表紙から想像していたものよりも、ちょっと深そうだと感じて購入した。

この本は、軽度のうつ病を患った著者が、医師とやりとりした内容をまとめたものだ。著者と医師とのやりとりは、いわゆるカウンセリングを傍らで聞いているような感じがする。

友だちとの関係性や距離感
自分のことを好きになれない
コンプレックスがある
自分を責めてばかりいる
自分に自信が持てない

著者が抱えている悩みは、心の病を患っていない人も大なり小なり、悩んだことがあるものだと思う。 著者ほど深く苦しんだりはしていないけれど、似たようなこと考えたことがある。

自分のことを愛する。
自分のことを大切にする。

これは、他人との関係を構築するうえで基盤になるものだと思う。
でも、自分のことって、自分自身ではよく分からないことも多い。

心の中で「こうしたい」「こうありたい」と思っていることと、実際の言動が食い違ったり、逆のことをしてしまったりすることもある。
自分自身を縛っていて、息苦しくしている価値観、規範がどのようなものなのか。もやもやするばかりで、はっきりつかめないこともある。

私は、コーチングを学んで資格も取得したけれど、
クライアントさんとコーチングしていて、いつも思うのは、心の中にあるものを「言葉」にして外に出す作業は有意義だということだ。
誰にも話せないと思うような出来事の場合、自分の胸のうちを日記などに文字で書き出して、しばらく時間が経ってから読み返すと、気が付くことがある。頭の中だけでなく、文字にして外に出すので、有効な方法の一つだと思う。
ただ、自分一人でこの作業をすると、同じことを繰り返し考え続けて、マイナス感情にとらわれ続けることにもなりやすい。

信頼して話せる、聞いてもらえる他人がいるなら、話すほうがより効果的だと思う。

病気になるような悩みの場合は、臨床心理の専門家に話す。
自分自身の今後のビジョンや目標を明確にすることができなかったり、
頑張っているつもりだけど前に進んでいる気がしないなど、目標や行動の整理や明確化が必要な場合は、コーチングのコーチに話すのが良いだろう。

著者は、医師とのやりとりを録音し、自分の発言を書き出した。


カウンセリングの内容を改めて振り返ることは、自分自身と向き合う作業になったのだろう。

「自分のことが好きじゃない」「自分のことを愛するのは難しい」と思っている人に、お勧めの1冊。



2021年9月21日火曜日

自分の経験を書くこと【海をあげる】

 
 夫に、女がいた。 
 しかも、その相手は、自分が親しくしていた友達であり、 自宅の近所に住んでいた。
 自宅に招いて、一緒に食事をしたこともあった。
 夫との関係は4年続いていたという。 

 著者が、冒頭の一節で書いている出来事は、衝撃的だ。 

 もしも私が同様の出来事の出会ったら、 感情的になって、文章に書くことはできないだろう。
 辛い、悲しい、と書き連ねることはできるかもしれないが、 おそらく文章が混乱して、第三者に読んでもらいたいものにはならない。 

 この著者は、自分に起きた事実を事実として受けとめて、 自分自身がどんな状態なったのか。 どんな気持ちになったのか。 周囲の誰が、どのように自分に接してくれたのか。 
 当事者でありながら、どこか冷静に 観察することができていて、それを文章にできている。

 ある程度の時間が経ち、新しい家族、新しい生活を構築することができたことで 、過去の出来事として書くことができたのかもしれないが、 経験したことを「汚点」とか「黒歴史」と捉えていたら、心の中に仕舞い、 蓋をしておくものだろう。

この著者、すごい。
と思った。

 しかし、なぜ、著者は、こうした自分自身の経験をエッセイに書いたのか。

元・夫や、不倫相手となった友達に対して復讐や、恨みつらみを表明するものでないことは
文章から伝わってくる。

文章に書くことで、自分の中で区切りをつけ、前に進もうとしたのかもしれない。

もしかしたら、深く傷ついた経験は
著者自身が今、沖縄で取り組んでいるという虐待やネグレクトなどで傷ついた若者に向き合う活動の源になっているのかもしれないとも思う。

 2021年上半期(4~9月)に、私が読んだエッセイの中では、ベスト1になりそうな1冊。
 

2021年7月23日金曜日

父と娘の2人暮らし  子育て中のお父さんにお勧めしたい1冊

 
 ある日、母親が家を出て、父親と小学生の娘の二人暮らしが始まる。

 光用千春さんの漫画「コスモス」は、 父と小学生の娘の日常を描いた漫画。

父と娘それぞれ、家族、親戚、同級生たちとの関わりの中で、 感じていること、考えていることが描かれている。

 小学生も、自分が置かれている状況や、親との関係について考えている。

 他人の気遣いに煩わしさを感じたりもする。

 娘がもう少し成長したら、父親との関係はどう変わるのか。見てみたい。

2021年6月20日日曜日

【オリンピック 反対する側の論理】反対の理由をより深く知ることができる1冊

 
 パラスポーツが好きだ。 
より多くの人に知ってほしいし、観てほしい。 
そう思って、障害者スポーツ情報サイト「パラスポ!」をつくってきた。 

パラリンピックは、パラスポーツが注目を集める大きなチャンスだ。

ただ、新型コロナウイルス感染症の問題が続いている中での開催は、どうなのか?
開催中止を求める声が大きく聞こえてくる中で、競技の模様を伝えることは、 コロナ禍での開催を全面的に支持している姿勢を示すことになるのではないか?

 この1年ほど、本当に、ずっと悩んでいる。
問いの答えは、出ない。

最近、「オリンピック 反対する側の論理 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動」 (ジュールス・ボイコフ、作品社)を手に取った。
 反対活動、反対意見を前に、目をふせてはいけないと思ったからだ。
反対する側から、オリンピック・パラリンピックがどう見えているのか。 スポーツについて、どう捉えられているのか知りたかった。

 オリンピック・パラリンピックが開催都市や社会にどのような影響を与えているのか。
 反対運動が国際的な連携をつくって展開されるようにもなっていること、 アスリートや元アスリートの中にも積極的に政治的な発言をする人がいることなど。
本書を読んで、初めて知ったことが少なくない。

 私は、パラスポーツの面白さ、パフォーマンスの素晴らしさにばかり注目していて、
パラリンピックという大会そのものについて、深く考えていなかったのかもしれない。

 本書の補章「反対運動からスポーツの非オリンピック化へ」(小笠原博毅氏)の中に、
 「スポーツとオリンピックが相容れないという認識は、日本ではなかなか理解されないまま現在に至っている」という指摘があった。

この一言に、私は「パラスポーツが好きだ」という思いが救われた気がした。 
 オリンピック・パラリンピックの反対意見、反対運動について、あまり良く知らない人、馴染みがない人は、 この本の一番、最後に収められている「補章」に目を通したうえで、最初から読み始めるといいかもしれない。 今、お勧めの1冊。

2021年5月24日月曜日

【おいしいものでできている】読むとお腹が空く1冊

 

 稲田俊輔さんの著書「おいしいものでできている」は、読むとお腹が空いてくる1冊だ。

 目の前に、一皿、出されているように感じながら、読むことになる。 

 稲田さんの「こだわり」には、「美味しいものが好き」という気持ちが溢れている。 

 子どもの頃に、食べたもの。
 学生時代に食べたもの。 
 大人になって、自分なりにこだわりを持って食べているもの。 

 人それぞれ、大なり小なり、食べ物へのこだわりはあると思う。

 料理への「こだわり」を他人から聞くと、ちょっと、うんざりしてしまったり、 「この人と一緒に食べにいったら、ちょっとめんどくさいだろうな」と思ってしまう場合があるが、
 稲田さんの着眼点は、面白かった。 

 本書の中に収められている「遠足のおやつ」の話を読んで、
そういうの、あったなーと似たような経験を思い出した。

 クラスメイトたちが、どんなおやつを持ってきていたか。 
 お菓子の交換の背景に見える、子ども同士の人間関係。

稲田さんのお店のカレー、食べてみたくなった。

2021年5月18日火曜日

【マイノリティデザイン】「弱さ」を起点に、社会を良くする

 
 「見えない。そんだけ。」
 2014年に開催されたIBSAブラインドサッカー世界選手権 ポスターに掲げられたこのキャッチコピーは、印象に残っていた。 

 この広告を手掛けたのが、『マイノリティデザイン 「弱さ」を活かせる社会をつくろう』の著者・澤田智洋さんだったということを、本書を読んで初めて知った。 

 澤田さんは、広告会社に勤務し、コピーライターとして活躍されていたが、 長男が生後三カ月の時に視覚障害があることが分かったそうだ。 

 そのことをきっかけに、さまざまな「障害」のある人に会い、話を聞き始める。
 日常生活をどのように過ごしているのか。 
仕事はどうしているのか。 
障害があるがゆえの、ちょっとした失敗などなど。

 様々な障害者の話を聞く中で、著者は、「できない」「苦手」というものを「克服するもの」ではなく、「生かすもの」と捉えると、新たな価値を創造することにつながることに気がつく。 

 この気づきが、著者の広告関連の仕事の内容や着眼点に反映される。 
できないこと、苦手なことを起点に、社会を良くすることを考える。 
「マイノリティデザイン」のコンセプトが浮かびあがってくる。

 本書では、著者自身の経験や実感、広告の実例を交えて、「マイノリティデザイン」の例が紹介される。

 スポーツに関しては、 もともと運動音痴で苦手な著者が、視覚に障害がある息子と一緒に楽しめるスポーツはないのか。新しいスポーツをつくれないかと考え始め、「ゆるスポーツ」の考案につながる。パラリンピックで実施される競技や種目とは違う点もあるが、着眼点が面白い。

 コロナ禍で生活の仕方が変わったことにより、人それぞれ、これまで気が付かなかった「できない」「難しい」「苦手」な事柄、場面に気づいたのではないか。その気づきを、何か新しい発想や創造につなげることができるのかもしれないと、本書を読みながら考えている。

2021年5月4日火曜日

【福島モノローグ】他人ごとを、自分ごとのように受けとめるには?

 

 東日本大震災から10年が経過した。
 3月11日に、自分がどこにいて、何をしていたか。 
 それはまだ、思い出せる。

 東京・千代田区、神保町の交差点に立ち、 ちょうど信号が変わるのを待っていた。 
 徒歩で4時間かけて、当時住んでいた都内北区の自宅に戻り、 テレビで見た津波の映像、原子力発電所の映像もぼんやり覚えている。 

 ただ、記憶は時が経つにつれて、しだいに薄れるものであることは経験している。 阪神淡路大震災の時、テレビの映像で見た光景を思い出せるか? と問われると、私は明確に答えられない。 

 自分の身に降りかかった出来事や、その時、どんなことを考えていたかは「自分ごと」だから 記憶にも残り、似たような記憶を持つ人の話を聞いて、共感しやすい。 
 しかし、自分が経験したことのない出来事は「他人ごと」で、 それを経験した人から、その出来事や、その時の気持ちを語られても、 「自分ごと」と比べると「距離」がある。
 「もしも、自分だったら」という想像をしてみても、それはやはり想像に過ぎない気がする。 

 「福島モノローグ」は、東日本大震災で被災した福島の人の語りをまとめた1冊だ。 
 本書に登場する人の中には、どこの、誰なのか。氏名が表されない人もいる。 
 ただ、あの時、どこに居て、どうしたか。 
 住まいや、日々の暮らし、仕事、家族、周囲の人との関わりについて、 ページをめくるにつれ、その人の語り「モノローグ」に、直接、耳を傾けているような気持ちになる。

 「自分」と「他人」の間には、 「自分の身近にいる人々」「自分に関わりがある人々」が居る。 
 語りを聞くということは、本書の登場人物たちを、自分と他人の間に位置付けることになる。 
彼らが経験したことは、私にとって 「自分ごと」ではないが、「他人ごと」でもなく、 少し身近な人々のこととして、受けとめることができるような気がしてくる。 

 著者である、いとうせいこうはその気配を消している。
 語る人の前に居ることは間違いないのだが、本書の中で、著者は声を発しない。 
 被災地の人々、彼らを、読者に近い存在にする 彼らの声がよりリアルに読者に届くこと
を願ってつくられた1冊だと思う。 



2021年4月26日月曜日

【文芸ピープル】英語圏で日本人作家の作品が相次いで出版、「コンビニ人間」は「Human」ではなく「Woman」で

 

「文芸ピープル」(著者・辛島ディヴィッド)は、最近、日本の作家、特に女性作家の作品が英語圏で相次いで翻訳され、出版されている状況について、

アメリカやイギリスの翻訳者や編集者に話を聞いて、まとめたものだ。

「村上春樹は、海外でも人気」ということは知っていたが、それ以外の作家の作品の動向はあまり気にしていなかったので、興味が沸いた。

若手の翻訳家が出てきたこと、

新しい作品、作風が求められており、韓国や日本の女性作家の作品も注目されていること

大手の出版社ではなく、独立系の出版社から出されていること

などなど、イギリス、アメリカの出版業界の状況を断片的に知ることができて、面白かった。

当然だが、原作をそのまま、日本語⇒英語にすれば済むというものではない。

登場人物の名前が、英語では読みにくい・覚えにくい場合、別の名前に変えたり、

「姑」を、どう表記するか、検討したりしている。

作品のタイトルをどう訳すか、表紙をどうするかは、

書店で手に取ってもらえるか、目をとめてもらえるかに関わることで、当然、重視されている。

村上沙耶香さんの作品「コンビニ人間」

英語翻訳版のタイトルは、「Convenience Store Woman」

本書によると、出版社は、あえて「Human」ではなく、「Woman」を採用したという。

表紙の雰囲気も、日本の書籍とはかなり違う点が面白い。


 小山田浩子の「穴」、タイトルはそのまま「Hole」だけど、表紙の雰囲気はやはり異なる。

 

 新型コロナウイルス感染症が終息して、海外に旅行できるようになったら、
 英語圏の書店の棚を覗いてみたい。

2021年4月15日木曜日

【<責任>の生成 中動態と当事者研究】「自己責任」って言われるけれど、そこに「自己」はあるのか? 結果の原因は、どこにあるのか?を考えさせられる1冊

 

 
 「責任」という言葉は、重い。 

 自分の発した言葉、自分がとった行動が、 特に誰かを傷つけたり、何かを損なったりする結果につながった時、「あなたの責任だ」と言われる。

「責任をとってください」と言われる。 謝罪の言葉を述べたり、金銭を渡すことが発生するかもしれない。 

 でも、そもそも「責任」って何なのか? 

 なぜ、自分の発した言葉、自分のとった行動に「責任」が求められるのか? 

 この本は、「責任」の基盤となっている「意思」について解説する。 

 「自己責任」と言われる時、なぜ、「責任」と「自己」が結びつけられるのかを示してくれる。 

 「自己責任」を言われていることも、よくよく考えてみると、 そこに「責任」はないのかもしれない。 

 結果について、その原因を「自己」に結びつけることが適切でないこともありそうだ。 

 哲学の話だが、著者の対談でまとめられているため、比較的読みやすい。

 能動態、受動態、中動態の話、当事者研究に関心がある人には特にお勧めの1冊。



 

2021年4月12日月曜日

【なぜ人と人は支え合うのか】他人を支えるのは、自分を支えること

 

 コロナ禍2度目の春。新年度がスタートした。
 小中学生、高校生など、進級、進学した若い人たちに特にお勧めしたい本を考えた。

 まず、思い浮かんだのがこの1冊。「なぜ人と人は支え合うのかー「障害」から考える」(渡辺一史著)だ。 

 障害のある人、生活をするうえで誰かの助けを必要とする人について書かれているが、障害のない人(健常者と呼ばれる人)だって、一生、誰の手も借りずに生きていける人などいない。 

 病気になったり、高齢により介護が必要になることもある。
健康な人でも時と場合によって、多かれ少なかれ、誰かの助けを借りることはある。
そういう前提を、改めて、思いださせる。 

 さらに、重度の障害があり、日常生活をおくるうえで誰かの手を借りる必要がある人について、彼らは「支える側」にいるだけでなく、実は「支える側」にもなりうることを示してくれる。 
 「障害」を通して、人と人の関係性について考えさせられる。
 自分自身の存在価値についても考えるきっかけになるだろう。
 

2021年3月24日水曜日

【そして、バトンは渡された】血縁?育てた人?共に暮らしている人?「家族」の定義を考えさせる1冊

 

 「家族」とは、何か? 

 血がつながっている人が、家族なのか。

 戸籍が同じ人が、家族か。 

 それとも生活を共にしている人が、家族と言えるのか。

 「家族」の定義、在り方を考えさせる1冊。

 主人公を取り巻く「家族」の人間関係は、小説だから成り立つもので、リアルさはない。 

 非現実的だと思うけれど、こういう「家族」関係があってもいいかなと感じさせる。
読後は爽やか。


 

2021年3月18日木曜日

【Weの市民革命】より良い社会にするために、私にできること

 

 佐久間裕美子さんの著書「Weの市民革命」を読んで、元気が沸いてきた。

この社会をより良くするために、私も何か少しやってみよう!と思えたからだ。

本書は、「消費」を通して、企業や行政に影響を与えている市民の活動を紹介している。

例えば、環境に配慮しない企業の製品は買わない。

従業員の雇用格差や賃金の低さが問題になっている企業の工場の誘致に反対する。

アメリカでは、そうした活動が大きな影響力を持ち、企業が当初の方針や計画を転換せざるを得ない例もあるという。

ミレニアル世代(1981年から96年生まれ)、「Z世代」(諸説あるが、97年から2000年生まれ)の世代は、学生ローンを抱えていたり、政治に対する不信感が強くあり、自分たちで社会を変えなければならないという危機意識、モチベーションが高いそうだ。

自分一人だけのためではなく、誰かも含めた「We」のために行動する。
そういう人が一定数に達すると、企業や行政に対しても影響力を持つのだろう。

日本でも、SNSを上手に活用して、自分たちが直面している問題についてより多くの人と共有したり、デモに参加して政府に問題への対応を訴える人は以前より増えているように感じる。

良し悪しがあると思うが、SNSで意見を発信しやすくなり、同じ問題意識を持つ人とつながれる可能性が広がったからだろうか。 ただ、企業や政治を動かすくらいの活動につなげるには、まだまだ工夫や戦略が必要なのかもしれない。

私個人にも、まず、消費者の一人としてできることがある気がしてきた。


2021年3月9日火曜日

【たいせつなこと】大人のための絵本

 
 「たいせつなこと」とは、何なのか?

 子どもも読める、シンプルな言葉で 物事の本質、核心に迫っていると思う。

 小さな子どもに読み聞かせることを想定しているけれど、 
読み聞かせをする大人の心に、ずしーんと響くメッセージが込められている。  

胸打たれる大人、多いんじゃないかな。



 

2021年3月5日金曜日

【かくかくしかじか】こんな大人に出会いたい


漫画「かくかくしかじか」 絵画教室の「先生」と、著者である私の物語。

 著者が高校から美大受験、卒業して漫画家になっていく過程を、 先生とのエピソードを交えて綴っている。 

 先生は、熱い。怒鳴ったり、乱暴だったりする。
 今なら、パワハラなどでクレームが寄せられる人物かもしれない。 

 ただ、先生は、教え子たちにしっかり向き合っている。 先生自身は、描くこと、創作することにまっすぐ向き合っている。 

 先生のすごさを、若いころの著者は気が付かない。 

 著者が年齢を重ねたからこそ、先生の存在の大きさに気づき、 漫画化したくなったのかもしれない。 本当は先生に伝えたかった言葉を、作品に込めているように思う。
 

2021年3月1日月曜日

【推し、燃ゆ】そういう感じ、分かる

 
 芥川賞受賞作品「推し、燃ゆ」

 まず、タイトルから魅かれて「面白そう」だなと思っていた。 

 「推し」とは、アイドルや俳優などで、自分が一番応援している対象人物を指す。

 「燃ゆ」とは、燃える。つまり、インターネット上で「炎上する」(批判などが殺到して、収拾がつかなくなる)ことだ。 

 自分の推しが炎上するという出来事は、小説の世界だけでなく、現実に起こるかもしれないと思わせる。 
 そして、読者の私と、主人公のあかりとは、10代の時の社会背景も、家庭環境も異なるのだけど、あかりが感じているものを自分も10代の頃に感じたことがあったような気がしてくる。 主人公と「そういう感じ、分かる」と共有する感覚を持った。 
 「テーマ」は大事だけど、そのテーマを伝えるうえで、いかにディティール(detail)を描くかが大事だなと、改めて思った一冊。 

 

2021年2月19日金曜日

他人と違うことをすることに対する評価

 

 NHK Eテレの番組 「SWITCHインタビュー達人達」(2020年3月21日放送)で放送された ブレイディみかこさんと鴻上尚史さんの対談を、未放送分も含めて加筆してまとめた1冊。 

 放送された時も見ていたけれど、お二人の考えや指摘を活字で改めて読んだ。

 日本とイギリス それぞれの国で今、何が問題になっているのか。 
 問題になっている事柄について、どう対応していったらいいのか。
 特に、今後の社会の担い手となる子ども教育に必要なものは何か? について語られている。 

 興味深かったのは、「人と違うことをする」ことに対する評価、価値観だった。 

 保育園で、子どもが他の子と違うことをしようとした時、それを妨げてはいけないという価値観があるイギリス。 
 他の子と違うことをしようとしたら止められ、同じことをするように促されたり、強制されたりする日本。 

 日本の学校の中には、髪の毛の色、ストッキングの色まで「校則」で縛る。 生徒・児童が納得のいく理由などない「校則」で、自分たちの身なりや行動を規制されることに慣らされる。 会社という組織に入っても、周囲の人と違うことをするのは難しいかもしれない。

 ただ、新しい事業を起こしたり、他の企業と差別化したりするには、誰かと同じことをしていてもだめなのだから、 目的や理念に沿っていることを前提に、人と違うことをすることは許容されるべきだろうし、 挑戦することを促されるべきだと思う。
それを妨げるような空気のある企業は、長い目でみた時、成長を見込めないのかもしれない。

 今、自分がいる環境について「窮屈だわ」と思う人は、何らかの自覚があるので、救いがあると思う。
 他人や組織を変えるのは難しいので、自分がいる環境について、どう捉えるか。
自分がどう対応していくのか。 
 自分自身が居心地よい環境をどうつくっていくか。なのだろう。 

 学生時代に、変な校則を「そういうものだから」と受け入れ、疑問も持たずに過ごして、 大人になった人は、会社に入っても組織のルールに従って、案外、出世できたりするのだろうか。
 右肩上がりで経済成長していた時代にはそうだったかもしれないけれど、 今後はそうはいかないかもしれない。

 この本のタイトルには「何とかならない時代」と付けられている。

 その時代を生き抜くために必要な視点のいくつかを、お二人の言葉から学んだ気がする。

 

2021年2月13日土曜日

【AX】恐い妻は「恐妻」だけど、どういう妻が「恐妻」?

 

 主人公は、恐妻を持つ殺し屋・兜。 
 文具メーカーのサラリーマンとして、妻と一人息子を養っている。 
 殺し屋という仕事を辞めたいと本気で思うようになった時、 物語は大きく動き出す。

 私は女性なので、「恐妻」って、どういう妻のことを指すのだろう?と思いながら 読み進めた。 
 兜の妻は、私から見ると、とても「恐妻」には思えない。 
 こういう夫婦って、わりと多いんじゃないのかな。 
 夫婦関係で、こういうやりとりってあるあるで、 「恐妻」と思っているのは、主人公だけなんじゃないのだろうか。 
 裏の業界では知られている「殺し屋」が、妻を恐れているって個性が、 小説を面白くする要素だと分かってはいるのですが、 「恐妻」って、どんな人のことを言うのかは、ずっと気になり続けた。 

 夫からみて妻が恐いと感じられると、「恐妻」といわれてしまうけれど、 妻からみて夫が恐いと感じられると、「恐夫」とはいわないよね。 
 「亭主関白」ということになるのか。 
 暴力ふるうような夫は「DV夫」とか、別の言い方がありそうだし。 

 女性、妻は、優しくあるのが「普通」「理想」で、恐れられるのは普通じゃないから 「恐妻」などとマイナスの烙印を押されるのだろうか。 

「恐妻」というワードが最後まで気にかかってしまった。

 物語には、殺し屋とその友達の友情、父が息子に寄せる思いが描かれている。
伏線もクライマックスでちゃんと効いていて、楽しめる娯楽作品。

 

2021年2月8日月曜日

【アーモンド】他人の感情を理解できない少年が、愛を知る物語

 
 他人の感情を理解できない人は、「モンスター」だろうか? 
いや、他人の感情を100%理解できる人など、そもそもいるのだろうか。 
「お互いに、ある程度、理解しあえているよね」という前提で人間関係を築いているのではないか。そんなことを考えさせられた。 

 「アーモンド」(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子・訳)は、脳の偏桃体が生まれつき小さく、人の感情が理解できない主人公ユンジェの物語。
偏桃体は、大きさから「アーモンド」と呼ばれているそうで、小説のタイトルもこれを採っている。

 人の感情が分からないという「障害」を抱えた子どもは、どう成長するのか。 成長する可能性があるのか。 著者は、そんな問いを立てて、執筆したのかもしれない。

物語は、主人公の語りで進んでいくが、行間に母親が息子に注ぐような視線の温かさを感じた。 人の温もり、優しさを感じて、ほっこりする一冊。

2021年1月31日日曜日

【人間の土地へ】日本で暮らす私は、何を大切にして生きるのか?

 
 「とにかく、読んでみてほしい」というしかない1冊。 

 テレビや新聞などでは、なかなか分からない。知ることができない、シリアという国。
 そこで暮らしている人々の暮らしや習慣について、著者が出会った人々や出来事を通して 描かれている。
 読み進めるうちに、遠い国のことだという先入観は消えていき、 生きていくうえで、必要なものは何なのか? という問いが浮かんできた。 

 シリアと日本との間には、様々な違いがある。 
 日本は、経済的に豊かであるとされ、空爆で生命が脅かされることはない、安全だ。 
 シリアの情勢は悪化し、一般の市民が安全で暮らせる状況ではなくなった。
 しかし、情勢が悪くなる前のシリアの人々の生活の営み、家族の関係に「豊かさ」を感じるところもあった。 

 シリアの人々は、家族を大切にする
 助け合う 
 男性と女性の役割の違いがある 
 土地に根差した暮らし、経済がある 日本とは異なる部分も多いけれど、日本で暮らす人々、家族と共通する部分もある気がしてくる。 

 著者は、日本人女性で初めて世界2位の高峰K2に登頂した小松由佳さん。 
 小松さんはK2登頂後、山の麓で生活を営む人々に興味を持つ。 
 シリアで出会った人たちと交わり、日本とシリアを行き来する。 
 シリアの知人、友人を通して、情勢が急速に悪化していく過程を見てきた。 

 私たちが「内戦」と呼ぶものを、別の人は「革命」と呼ぶ。 
 立場が変われば、捉え方が変わる。 
 立場も、本人が主体的に選んだものとは限らない。 
 大切な家族を守るため、生活を維持するため、目の前にあった方法を選択した結果かもしれない。 
 正義とは、善悪とは、何か。 
 日本で暮らす私自身は、何を大切にして、生きるのか? 自分に問い直す1冊。

  

2021年1月26日火曜日

【バウルを探して 完全版】外出自粛の今だから、より一層、響くかもしれない一冊。自分が何を求めているのか、改めて考えてみたい

 

 川内有緒さん・著、中川彰さん・写真の「バウルを探して 完全版」 

 外出自粛の今、手にして、読んで良かったと思えた一冊。 

 自宅で過ごす時間が長いと、あれこれと考える時間も増える。 

 自分の生き方って、これで良かった? 

 時間やお金の使い方、大切にしたい物事、関わりたい人、関わりたくない人、あれこれ考える。 

 はっきりした答えは出ないが、本書を通じて、自分が大切にしたいものは何か。自分の本心に従うことが大切だと 改めて感じた。 

 本書「バウルを探して 完全版」は、 

 国連の仕事を辞めた著者が、以前から気になっていた「バウル」を探しに出かけ、 その旅の行程や出会った人々、「バウル」の歌について綴っている。 

 旅の背景として、 著者が、国連の支援の仕事に矛盾を感じていたこと。 その矛盾を抱えながら、続けていくことが、気持ちのうえで難しかったこと。 
 辞める決断をしたものの、それから先の見通しがはっきりしているわけではないこと などが紹介される。 

 著者と同様ではないものの、自分の生活や仕事の中で矛盾を感じたり、 もやもやしていてすっきりしないことは、私にもある。 

 自分は、何を、どうしたいのかが明確になれば、すっきりするのだろうが、 たいてい、求めているものが何か、自分自身では明確に掴みきれないものだと思う。 

 著者は、旅に出た。 
 「バウル」や、彼らが伝承している歌、その歌詞の意味を探る旅は、 自分とは異なる文化、生活、価値観の人と出会う旅であり、 自分自身の価値観や、生き方について見つめなおす旅になったのかもしれない。 
 そして、著者自身が何を大切にしたいのかが見えてきたのだと思う。 

 「完全版」でない本は、幻冬舎から2013年に出版されているが、 三輪舎から出版された「完全版」には、旅に同行した中川さんの写真が掲載されており、装幀も素敵だ。
 

2021年1月24日日曜日

【ファースト ラヴ】映画では、この役がどう描かれているかに注目したい




島本理生さんの直木賞受賞作品「ファースト ラヴ」 

 幼い頃に、心に傷を負った人たちの物語。 

 傷を自覚していなかったり、 
 傷に気づきつつも、どう対処したら分からず、抱えたままでいたり、
 誰かに出会うことで救われたり、癒されたり、
 傷つけた相手を許すことはできなくても、受けとめたりしていく。

 2021年2月公開予定の映画では、 主人公を北川景子さんが演じる。

 映画の脚本が、原作に沿ったものなのか、
原作から離れたものなのか分からないけれど、

私は、 この作品のキーパーソンは中村倫也さんが演じる庵野迦葉だと思うので、 

映画では、迦葉がどう描かれているのか。

それを中村さんがどう演じるかに注目したい。

  

2021年1月17日日曜日

【見えないスポーツ図鑑】見えない人に、スポーツの選手の動きや試合の臨場感をどう伝えるか。観戦ではなく、感戦へ挑戦した1冊

 

 目で見て捉えたものを、目の見えない人に、どう伝えるか。

見えない人が、「分かる」「想像できる」ように伝えるには、どう表現したらよいか。

スポーツを素材に、思考錯誤する過程も含めて紹介した1冊。

テーマの切り口、思考錯誤の過程、写真やイラストを交えた図解などが面白く、

なるほど、へぇーと思う。

スポーツ観戦の機会を得るのが難しくなっている今、

自分が好きな競技について、見えない人に翻訳する方法を試しに考えてみるのも面白いかもしれない。


2021年1月10日日曜日

【エンド・オブ・ライフ】命には必ず終わりがある。重いテーマだけど、読み終えたら気持ちが晴れやかになった1冊


「命には必ず終わりがある」ということは、分かっているけれど、
自分自身の「死」には、向き合いたくない。
身近な人、大切な人の「死」についても、積極的に考えたいものではない。

ただ、向き合わざるを得ない時は必ず来るし、
考えたくなくても、考えなくてはならない時が必ず来る。

そう思い、佐々涼子さんのノンフィクション「エンド・オブ・ライフ」を購入した。
いつでも読み始められるように机の上に置いていたのだが、「重そうだなぁ」「気が沈んでしまうかも」という気持ちがあり、表紙をめくるまでに少し時間がかかった。

新しい年を迎え、「えいっ!」と気合いを入れて読み始めたら、
一気に、読み終えてしまった。
確かに「重い」エピソードも綴られている。

しかし、あぁ、こういう命の閉じ方もあるのだと、教えてもらえた。
必ずしも「辛い」「重い」ばかりではないのだということを知ることができ、
救われる。

自分自身が希望するような命の閉じ方ができるのかどうかは分からない。
考えていても、いざ、その時が近づいてきたら、心が揺れて乱れてしまうかもしれない。

でも、命には必ず終わりがあるということに向き合わないまま、
ただ恐れている状態より、本書を通していくつかのケースを知ることができたのは
良かったと思う。

重いテーマだと敬遠する気持ちのハードルを乗り越えて、ぜひ、読んでほしい1冊。

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