2022年1月30日日曜日

「女の敵は、女」「男の嫉妬は、女よりやっかい」にまつわるモヤモヤを解消する1冊「差別はたいてい悪意のない人がする」

 
 「女の敵は、女だよね」 
「男の嫉妬は、女のより、やっかい」
 友達や知人とのおしゃべりで、こんな言葉を口にしたことがある。 
 この世の中にいる女性すべてについて、互いに「敵」同士であると思っているわけではない。 敵ではなく、味方の女性もいると思っている。 
同じように、すべての男性に対して、女性と比べて、嫉妬がやっかいだと思っているわけでもない。 嫉妬はそもそもやっかいで、その程度を性別で比較するものではないとも思う。 

それなのに、なぜ、こうした言葉を口にしたのだろう?
これらの言葉は、自分が経験したこと、見聞きしたことを基にして出てきたものだ。
 特定の個人を頭の中に置いて、その人が女性だったから、その人が男性だったからと、性別に結び付けて、一括りにしている。 
その特定個人に対して面と向かって、これらの言葉を口にしたわけではなく、他の友人・知人との会話の中で口にしたもので、特定個人を批判することを考えていたわけではない。 
だから、特に問題がある言葉だとは思っていなかった。 

 これらの言葉について「一体、何が問題なのか?」
改めて、考える機会があった。

 サンリオのキャラクター「マイメロディ」のお母さんのグッズが、発売中止になったというニュースがあった。
 インターネットのニュースによると、マイメロディのお母さんには「女の敵は、女」などの格言を持っているキャラで、これをグッズにして発売しようとしたところ、ジェンダーバイアス(性別に基づく偏見)を助長するという批判があがった。 これを受けて、サンリオは発売中止に至ったという。

 私自身、「女の敵は、女」だと思ったことも、口にしたこともあるので、このニュースに引っかかった。
 ジェンダーバイアスと言われたら、たしかにそう受け取られるかもしれないと思う。 一方で、発売中止という企業の判断について、公にこうした言葉を口にすることは問題になるのだと考え、少し窮屈に感じる面もあった。 

一体、何が問題なのか。分かるようで、よく分からず、もやもやした。
 「差別はたいてい悪意のない人がする」は、私が感じたもやもやを解消してくれた1冊だ。

 正社員と契約社員との間で、社員証のストラップの色を変えている。 
大学の理工系学部には、女性が少ない。 
それらが、なぜ、そうなっているのか。
 なぜ、「差別」の助長になるのか。 
社会的・文化的背景、人々の価値観などから説明している。

 差別は、意識的に行うものばかりではなく、むしろ無意識に行われてしまうものがたくさんあること。 
無意識なので、差別した人は気がつかない。 
差別されている人も気がつかず、そういうものだと受け入れて過ごしてしまう。その結果、不平等な環境が維持される。
 また、どこに問題があるのか説明するのは、かなり難しいものだということが分かってくる。 

 マイメロディのお母さんのグッズが発売中止になったニュースを読んで、もやもやした人には特に、お勧めの1冊。

2022年1月24日月曜日

「原因と結果」を直線的に結びつけても解けない問題

 
 「親が変わらなければ、子どもは変わらない」
 「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」 
「トップが変わらなければ、組織は変わらない」 
なるほど、そうかもしれないな。 そういう側面もあるかもしれないと思う。

 しかし、この考え方には注意をする必要がありそうだ。 

 河合隼雄さんと柳田邦男さんの対談集『心の深みへ「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫)を手に取った。この本の中に、「悪者探しをするな」という項がある。 

 青少年犯罪、家庭内暴力などについて、河合氏は、因果的には説明できないと言っている。 

 因果的説明というのは、ともすると直線的な論理になります。 父親がこういう悪いことをしたから子どもが悪くなったとか、 子供が父親を殴るからには父親にどこか悪いところがあったからだろうとか。 そういうふうに直線的論理で結びつけるから説明できないのであって、 全体を見ていけば、私はだいたい説明できると思っています。 

 その全体の中には、父親と母親の関係もあるし、おじいさんとおばあさんの関係もある。それから社会的状況もあるでしょう。アメリカの文化が入ってきたということもある。そういうことを全部入れていくと、全体の絡み合いとしての構図が見えてくる。何か一つの原因を究明するのとは違います。 

 おのおのの人間は可能性をもっていますが、ものごとを原因・結果で考える人は、可能性のほうを忘れてしまいがちなんですね。 原因・結果を考えて、その場ですぐ過去にもっていくから。 そこから未来まで見ていった場合、父親や母親が変わらなくても、子どもが変わっていけばいいわけでしょう。
 原因・結果で過去ばかり見ていると、未来をよりよくするために問題が起こってきているケースがとても多いのに、それが分からない。 たとえば、息子の不登校をステップに夫婦の関係が変わるなんてことがあります。 つまり、不登校は、両親の夫婦関係を改革するために息子が努力した結果かもしれない。こうすると、見方がまったく違ってくる。悪者なんて誰もいないし。 (同書・第1話「はじめて門をたたく」「悪者探しをするな」より) 

 「親が変わらなければ、子どもは変わらない」 
「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」
 「トップが変わらなければ、組織は変わらない」 などと言う時、親、指導者、経営者など誰かを「悪者」にすることで安心し、 他にあるかもしれない原因を考えずに済ませている気がする。 
 そもそも、子ども、選手、組織が変わらない(それぞれ抱えている問題が解決しない)原因は1つだけでないだろう。子ども、選手、組織を取り巻く全体の構図から、現状を捉えることが大事だ。 そして、より良い未来に向けて、全体の構図の中で、自分の役割やできることを考えていく必要がありそうだ。

2022年1月19日水曜日

【わすれられないおくりもの】大人にもお勧めしたい絵本 死ぬこと、生きることについて考えさせられる1冊



 子どもはもちろん、大人にもお勧めしたい1冊。
スーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」は、「死」をテーマにしている。

年老いたアナグマさんが亡くなる。
アナグマさんが、どんなふうに亡くなるのか。
アナグマさんを慕っていた皆が、彼の死をどう受けとめるのかを描いている。

身近な人の死について考えると「喪失」という言葉が頭に浮かぶ。
亡くなった人に再び会ったり、話をすることは叶わなくなるからだ。

しかし、亡くなった人が遺していった「おくりもの」に気づくと、悲しさや寂しさだけでなく、少し異なる気持ちが沸いてきそうだ。

 一方、自分自身の死について考える時、それを迎える瞬間まで、どう生きてるかが課題になる。
生きていくということは、自分に関わりのある人に「おくりもの」をつくっていくことなのかもしれない。
その「おくりもの」が、誰かにとっては「忘れられない」ものになることもあるだろう。

   わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

2022年1月17日月曜日

「こういうこと、あるよね」と思える心



 「なかなか先が見えないなぁ」 再び、新型コロナウイルスの感染拡大。
手指衛生、マスクの着用、密を避ける。日頃の感染対策を続けることでしかないけれど、一体、いつまで続けたらいいのか。とつい、思ってしまう。

 しかし、「柚木沙弥郎のことば」(グラフィック社、柚木沙弥郎、熱田千鶴・著)を読んでいて、「いやぁ、そんなこと言ってちゃダメだわ」と思い直しました。

 「もともと人間というのは、生まれて死ぬという定めがある。誰もが時代は移り変わるということはわかっていることだから、世の中は変わるものだという前提でどっしり構えること」

 「今の時代は特に変化するエネルギーがある社会だと思うんだ。それは毎日の生活、日常の中にもたくさん満ちている。普通に平和に暮らしている人たちの周りにも、今回のウイルスのようなものがやってきた。でも、これまでどの時代でもそういうことはたくさんあった。 もっと日常に目を向けて、暮らしの中で何を大切にしていくか、自分で考えなければいけない。表面的な豊かさに溺れず、個人個人がエポックを画する時代と、楽しみながらきちんと向き合わなければいけないと思いますよ」


 1922年生まれの型染めの染色家。
アートや民藝に詳しい方は、ご存じの方かもしれないが、 私が柚木さんについて知ったのは、つい最近だ。同書に写真掲載されている型染めの作品がオシャレで、実物を見てみたいと思っている。

 自分を取り巻く環境、社会は、変化する。 長く生きていると、様々な変化と遭遇する。
 新型コロナウイルス感染症も、その一つ。 そう思いながら、受けとめていく姿勢を持つことなのだろう。

「こういうことも、あるよね」と思える心でいることが、大切かもしれない。

柚木沙弥郎のことば

2022年1月5日水曜日

「自分らしさ」って何?「生きる」ってどういうこと? 年の初めに心に刺さる1冊



新年早々、心に刺さる言葉と出会う本だった。 
 「読書のちから」は、「言葉のちから」と言い換えてもよいだろう。
 著者、作者の言葉の「ちから」を、人は、その言葉を読むことによって手に入れることができる。

 皆が同じように、そのちからを手に入れるわけではない。
 同じ言葉を読んでも、スルーしてしまうことがあるだろうし。 
 何度も読み返して、その度に、新しい気づきを得ることもあるだろう。 
 その人にとって必要な時に、その言葉、その本と出会えると、それは「ちから」になるのだと思う。

 本書は、著者・若松英輔さんが出会った本・言葉から思考したことを書いている。 
 今回、私の心に響いてきた箇所を書き出してみた。
世の中が押し付けてくる「自分らしさ」から離れ、傷ついた自分の手を、己れの心中でにぎりしめること。 それが自由である。 そして、自由とは、文字通り、「自らに由る」ことにほかならない。
「どう生きるか」を考えるのは悪いことではない。 しかし、それがゆえに自分が「生かされている」ことを感じにくくなるのも事実だ。 それだけではなく、自分という存在が、他者とのかかわりなしには存在し得ないことを見過ごしがちになる。
人生に「答え」などない。 このことは誰もがどこかで感じている。 しかし、その一方で「答え」がないという不安に耐えることができない。 私たちに必要なのは、ありもしない「答え」めいたものではなく、 たしかな「人生」の「手応え」なのではないか。 「答え」ではなく、「応え」を求めよ。 考えるとは謎を解き明かすことではない。 謎を愛することを重んじよ。


新しい1年をどう過ごそうか考える時期のためか、 「自分らしさ」「生き方」などが、私にとってキーワードになっていたようだ。 
 本書で取り上げられている 茨木のり子さん、池田晶子さんの著作など、もう一度、読み直してみたくなった。