2018年2月22日木曜日

過去の怒りを、今の怒りにしない。でも、収めることができない怒りは、どうしたらいい?

#中華丼#上田市


映画「スリービルボード」
http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/cast.html

娘を殺された母親が、街はずれの3つの看板に広告を出すところから、始まります。
その広告は、警察署長に、「娘を殺した犯人の逮捕はまだ?」と訴えかけるもの。
広告をきっかけに、さまざまな出来事が起きていきます。

娘を殺されて、犯人が捕まらないことに対する、母親の怒り。
誰かを「敵」とみなし、攻撃することで、怒りは一つの方向性を持ちます。
どこに向けたらいいのか、分からなかったものが、方向性を持った時、
心の中に貯まっていたエネルギーが、吹きだすように、母親は行動を起こしていきます。

怒りや、攻撃は、傍から見ていて気持ちの良いものではありません。
怒りは誰かにぶつけることで、一時的に解消するかもしれませんが、
ぶつけた後味の悪さは残るでしょう。
そうだと分かっていても、どうしたら、怒りを誰かにぶつけることなく、心の中に収めることができるのか、なかなか難しいことだと思います。

映画の中では、「怒りが怒りをきたす」というセリフが出てきます。
怒りを誰かにぶつけることでは、解消できない。
怒りを解消するのは、怒りではない、別の何かによって、解消するのかもしれない。
そんなことを考えました。

「過去の怒りを、今の怒りにしない」

以前、何かの本で見かけて、印象に残っている言葉です。

過去の怒りは、記憶から消すことができないかもしれないけれど、
別の何かで、自分の心を埋めることで、救われるのだろうと思います。



2018年2月21日水曜日

未来を想うと不安になるのは、なぜ? 仮想通貨の拡がりの背景にあるものは




仮想通貨ビットコイン、お持ちですか?
私は、まったく興味がなかったのですが、
最近のニュースで、私の予想よりもビットコインを持っている人、
使用している人がはるかに多いことを知りました。

たしかに、「お金」を持っていると、欲しいものが買えたり、
旅行ができたりします。(価値あるモノとの交換)

将来、病気の療養や介護が必要になった時に、
お金が頼りになるという側面もありますね(資産)

仮想通貨で持つのがいいのか、日本円で持つのがいいのか分かりませんが、
「できるだけ、たくさんのお金をほしい」
「持っているお金をもっと増やしたい」
そういう気持ちは、多くの人に共通するものなのかなと
改めて、考えているところです。

ただ、どのくらいの「お金」があれば十分なのかは、人それぞれかもしれません。

「モモ」「はてしない物語」などの著者であるミヒャエル・エンデのインタビューや蔵書をもとにまとめられた「エンデの遺言」を手に取りました。

より良い人生を生きるための「お金」であるはずが、
「お金」を得るために、心と身体を消耗しているようなことが起こる。
それは、なぜか。
「お金」そのものの性質について、改めて考えさせられる本でした。

この本に文章を寄せている河邑厚徳さんによると、
エンデは、人は目に見える危機には対処できるが、目に見えない危機には無力な存在であると言っている。
解決ができないような根源的な問題に対しては、気が付いていても目をそむけていると言った方がよいのかもしれない。
さらに、エンデは、かつては、過去の文化や歴史を学ぶことで、現代の問題にどう対処すべきかが了解できたが、私たちが今、向き合っている「お金」の問題では、どう考えるべきかの規範が過去にはない。したがって、未来を想定し、何が起きて来るか予言的に直視しなければならないと語っている。
問題解決を、過去からではなく、未来から考える。それが、エンデのファンタジーの力である。

「お金」を求める気持ちを考えるとき、その心には、未来に対する漠然とした不安があるように思います。

これから先、どんなことが起こるか分からない。
経済の動向、高齢化社会、加齢に伴う体力や気力の低下などなど、
不安につながる要素が出てきた時、
とりあえず、それらに関連する危機を乗り切れるように備えておきたい気持ちになります。
頼りにできるのが「お金」。
「お金」を所有することで、安心が担保されるという発想が沸いてきます。

いざと言う時に頼りにできるのは、「友達」「地域の人々」と思えたら、
「お金」も大事だけど、「お金」を求める気持ちはそれほど強くないかもしれません。

一方で、孤立していて、友達や地域の人々など頼りにならないと思ったら、
「お金」を頼りにするようにも思います。

「お金」は、万能ではないということに、改めて気が付かされた一冊です。



2018年2月13日火曜日

チームプレーと団体行動


#親子丼#岐阜

「日本人は、団体行動とチームプレーの区別がついていない」
スポーツに関する本の中に、こんな指摘がありました。

寝食を共にし、一緒に練習をする。選手たちが皆、同じ行動をとるのが団体行動。
選手それぞれが自分の能力を磨き、個々の選手の違いをうまく組み合わせて結果を目指すのがチームプレー。ということでした。

団体行動は、指導者や団体のトップの指示通りに行動することになり、個人の好みや考え、意見で行動することは控えられると思います。
一方、チームプレーでは、選手が互いの特性を知り、その違いを組み合わせて、結果を出すことを目指す。特性の把握や、違いの組み合わせ方は、指導者の分析やサポートが必要かもしれませんが、最終的には、選手自身が考えて動くことになります。

10年ほど前に発刊された本なので、内容が少し古くなっているところがあるかもしれないのですが、考えさせられます。

「多様性」を認めるといわれるようになり、人は一人ひとり違いがあるとか、個性を認めることが重視されるようになりました。

でも、ここで大きな落とし穴があるように思います。

「多様性」と言いながら「団体行動」を求めていないか?
「多様性」といいながら、「チームプレー」ではなく、
「団体行動」を求める暗黙の規範が残っていないか?
ということです。

個人が自分で考え、自分で行動すること。
個人の特性、それぞれの方法を認め合えていること。
それらを踏まえて、目標を明確にして、それを共有していること。
チームプレーは、個人が自走し、力を発揮する。
自由と責任から生まれるのだと考えています。

#チームプレー#スポーツ#多様性#自由#責任#役割
#組織

2018年2月7日水曜日

「働き方改革」というけれど、そもそも「改革」の必要があるのかな?

#納豆#ラオス#カレー#鱈



「働き方改革」と言われているけれど、
そもそも、働き方は、上から「改革」と言われないとできないものなのか。

そんなことを考えています。

子育てや介護をしている人、外来で病気の治療をしている人、障害のある人などなど、
さまざまな人が働きたいのだから、働き方も多様になるのが当たり前。

その当たり前が、なぜ、当たり前になっていないのか。

例えば、社員の親に介護が必要になった。
在宅でケアする必要があり、これまでと同じように業務に携わることが難しくなった。
でも、働きたいと思っている。
企業にとっても、経験豊富な人材である。

じゃあ、どうすればいい?
これまでの方法を、どう変えたらいい?
そんなふうに、関係する人たちで、
問題解決に取り組むことができないのは、なぜなのか。

上から与えられた「改革」を、チャンスに変えられたらいいけれど、

そもそも、当たり前のことがそうなっていない現状に疑問を持たず、
上から与えられないと解決に取り組まないのは、ダメなのではないか。

映画「みんなの学校」の木村泰子先生と、
オランダの学校教育に詳しいリヒテルズ直子さんの対談を聴く機会があり、
「当たり前のことができない」が気になりました。

子どもが中心であるべき学校で、その当たり前がどうなっているか?

話を聞けば聞くほど、学校の現状は、大人の社会を映していると思いました。

うまくいかないことがある、困っている人がいるという時に、
じゃあ、こうしてみよう。
他の方法を試してみよう
失敗したら、やり直そう。

そういうことができないままでいるのかな。
学校にいる人も、企業にいる人も。



2018年2月5日月曜日

映画のキャッチコピーは「みんなで、救う」アキ・カウリスマキ監督「希望のかなた」

味わい深い作品。温かい優しさに包まれ、所々でピリッと辛く、そして観終わった後、
ずっしりと心に残ります。
お勧めの映画。アキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」

主人公は、シリアから逃れてフィンランドに辿りついた難民の男性。
彼を受けいれるフィンランドの人たちが、とても優しい。
正義感とか、義務感とか、そういうものを振りかざすのではなく、
助けるのは、ただ、「困っているんだから」という理由のみ。
そうですよね、困っているんだから、助ける。
誰が?周りの人が、みんなで、助ける。
それって、本当は、当たり前なんだけど。
今の日本で、この映画に出てくるような人に対して、
みんなで助けることなんて、できるだろうか?と考えてしまいました。

「なぜ、助けるのか?」という理由を持たなければならない気がして、「誰が助けるのか?」ということも、立場や責任、義務のある人を明確にしておかないといけない気がしてきます。

この映画のキャッチコピーは、「みんなで、救う」
「なるほど、そうかぁ」と、観終わった後に思いました。

「困っている人を助けるのが、当たり前」
「みんなで救うのが、当たり前」
ずっと昔には、日本にも、そんな文化があったのではないか。
いつの間にか、とても窮屈な世の中になっていて、
私自身も、その中に埋没して、心に余裕のない一人になっていると感じています。


アキ・カウリスマキ監督は、今回の「希望のかなた」と「過去のない男」以外、まだ観ていない。レンタルで探してみたくなりました。