2017年5月26日金曜日

その「マイ・ルール」は、必要ですか?

平らな花器を買いました@別所温泉にあるアースワークスギャラリー

母が、旅に出る時、新幹線の車両の6号車の3列目に席をとるそうです。
その席を選ぶのは、目的地の京都に着いた時、ホームから下へ降りる階段に近いからという理由があります。
そして、1列目2列目では、他の駅で乗客が乗り降りするたびにドアが開いて気になりますが、3列目なら大丈夫だからです。

人それぞれ、自分が決めたルール、「マイ・ルール」がありますね。

「こだわり」のような厳格なルールもあれば、
時と場合によって、柔軟に変更可能なルールもありそうです。

どうしても譲れないマイ・ルールは、徹底して貫けばよいと思いますし、
一方で、「このルール、本当に必要?」と見直してみることも大切な気がします。

正しいか、正しくないか
良いか、悪いか
ある程度は、共有することが必要なルールはありますが、
人それぞれ、「大切だ」と思っているものは違いますね。

「大切だ」と思うものが共有できる人と、できない人がいて、
そのズレが原因となって、人間関係に軋轢が生じることもあります。

「マイ・ルール」を改めて見直してみると、
自分自身のつまらないプライドに気が付いたりします。

知らないうちに、マイ・ルールをつくり、
自分で自分を縛っていることもあります。

新幹線の6号車3列目みたいに、
自分が楽しめる程度の「マイ・ルール」なら良いですね。



2017年5月25日木曜日

【そこにあるものを、見よう】




2020年 オリンピック・パラリンピックに関連して、さまざまな物事が動いています。
国のレベルで言えばオリパラ関連の予算がそうですし、民間企業がCMに障害者アスリートを起用したり、障害者雇用に熱心になったり、スポーツのイベントが盛んに開催されたりしています。

2020年オリパラなんかより、重要なことがあるんじゃないか。
超高齢社会に突入しているのだから、医療や介護の施策にもっと力を入れるべきなんじゃないのか。
オリパラで儲けるのは、大手の企業ばかりなんだ…。などなど、
そんな意見が聞こえてくることもあります。

「意見」について、高橋源一郎さんがスーザン・ソンタグの言葉を引用して、次のように紹介しています。

「意見というものの困った点は、私たちは常にそれに固着しがちだという点である。何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ、それ以上のことが、そこにあることを覚えておきたい。なにか「意見」があるとしても。(「ぼくらの民主主義なんだぜ!」より)

自分が何らかの「意見」を持ったとき、その意見は、自分の目で捉えられているものや、自分の知識で解釈できるものを基にして生まれたものですね。
しかし、自分の目で捉えられるものや、自分の知識は、ある程度の範囲のものでしかないはず。つまり、捉えていないもの、解釈できていないものがあるということを、心のどこかにおいておくことが大切ということだと思います。

「それ以上のもの」を捉えられるような、「余白」「余地」を心の中において、
そこにあるものを見ようとする姿勢を持ちたいですね。

2020年に向けて。


2017年5月24日水曜日

成長って、どういうことですか?

なぜか生姜焼き@出雲市にて

「いろいろあったけど、少しは成長できたかな」

これまで気が付かなかったことに気が付いたり、
物事について違う見方ができるようになったりした時、
「成長」を感じること、ありますね。

小さなことでも、変化を感じることができた時、
「成長」といえるのかもしれません。

どうしたら、成長できるのか
何が、成長を促すのかを考えてみると、

私の場合、
「壁」にぶつかったり、人間関係でもめたり、失敗をしたり、結果が出なかったり、
成長の手前には、これまでにない課題があったり、想定外のことがあったりすることが多いです。

高橋源一郎さんが、教育の本質について書かれていました。

『体も動かず、ことばも発することのできない心身障害児(者)が、親を動かし、成長させる。そして、その親たちが鈍感な社会をまた、成長させてゆく。常識とは異なり、弱い者、小さい者もまた、強い者、大きな者を育てることができるのだ。ここに「教育」のもっとも重要な本質、相互性(互いに教えあうこと)を見た』(高橋源一郎:ぼくらの民主主義なんだぜ!より)

障害者のドキュメンタリー映画をご覧になった感想を踏まえて書かれたものですが、
「弱い者、小さい者が、強い者、大きな者を育てる」という点、
「教育とは、一方向性ではなく、互いに教えあうことである」という点、
大切でありながら、忘れがちなものかもしれません。

成長は、自分自身が「成長しよう」としてするというよりは、
気が付かないうちに、「成長させられる」
振り返った時に、そのことに気が付くもので、
自分を成長させる物事や経験の真っただ中にいる時は、ただ一生懸命であることしかないのかもしれません。

■「自分掘り起し」ワークショップ
527日(土曜日)午前10時~











2017年5月23日火曜日

【標的を探す、粗を探す、探しているものは何ですか?】

出雲名物のバラパン

標的を探して、叩く。
誰かの粗を探して、攻撃する。

高橋源一郎さんの著書「ぼくらの民主主義なんだぜ!」を読みなおしていて、
一般社会の中で発生するいわゆる「バッシング」や、ネット上での「炎上」について考えています。

一言で言えば、余裕がないのか、
叩いたり、攻撃することで、自分を正当化して満足する傾向があるのか。
うまくいかない原因を、自分の中にではなく、他人のせいにすることで、安心するのか。
原因はよく分かりませんが、バッシングや炎上には陰湿さを感じますし、気持ちは良くないですね。

ある出版社の社長が、「コミュニケーションの主体は、相手だ」ということをお話されていました。

言葉は、受け取った相手の解釈次第であり、
自分が伝えたい主旨と、相手が受け取った主旨は、ズレる可能性がある。
そのズレを解消するのも、また、コミュニケーションであるということだと思います。

コミュニケーションの主体を、相手に置くことを念頭にしたら、
バッシングや炎上も減るのかな。

標的探しや、あら探しをする人が、探しているものは、何だろう?

探しているものは、相手の中ではなく、自分の中にあるのではないかな?

2017年5月22日月曜日

無心とは、心を無くすと書くけれど



無心とは、心を無くすと書きますが、
心を完全に無くすのではなく、
「邪心」を無くすという意味だそうです。

何か気にかかることが発生して、
あれこれ、ぐだぐだと考えている時、
考えるのを辞めればいいのですが、それがうまくいかなかったりして、
同じところをぐるぐる回ってしまうことがあります。

無心になる方法を探していた時、
体験的に思い当ったのは、
思考に「別の動き」をつくることです。

例えば、
ちょっと体を動かしてみるとか、
ちょっとお料理をつくってみる。
作業をつくることで、半ば強制的に、別の方向に意識を向けます。
その作業に集中できると、何かをあれこれ、ぐだぐだと考えることが減り、
必然的にあれこれ、ぐだぐだと考えるのを辞めていたりします。

「リセット」という言葉にも近い意味があるように感じています。

いったん別の動きを入れることで、これまでの動きに区切りをつけ、
より良い方向に向かう動きにつなげるようなイメージが沸いてきました。



2017年5月18日木曜日

【「最後は、気持ちが強いほうが勝つ」。それって、本当ですか?】

焼き鳥丼、買いました

同じくらいの実力持つ人同士が競い合う時、どちらが勝つか?
そんな問いがあったら、どう答えますか?

「最後は、気持ちで勝敗が決まる」
「勝ちたいという気持ちが強い人が、勝つ」
そんな答えがありますが、いかがでしょうか?

「気持ち」は、計測できないものだと思うので、
本当か間違いかを証明できないのですが、
気持ちが関わるのは「最後」じゃなくて、もっと「手前」からのような気がします。

スポーツでいえば、大切な大会や試合が、実力を発揮すべき場になり、
ビジネスでいえば、大切な案件を交渉する場になるかもしれません。
その時点に立った時には、「気持ち」の上ですでに勝負が決まっているように思うのです。

本番でじたばたしてもダメということ。
私自身、そういう経験がありますし、
パラスポーツを観ていても、そのように感じることがあります。


気持ちを強くする方法は、いろいろあるのだと思いますが、自分に適した方法を見つけるに尽きますね。

コーチングを学んだこともあって、私は、まず、自分自身を知ることが大切だと考えています。

そこで、「自分掘り起し」をテーマにワークショップを開催しようと思いました。

「自分」を掘り起す作業は、自分の気持ちに向き合い、本当の気持ちに気づくことにつながります。

この作業を一回経験しておくと、大切な場面にぶつかったとき、揺らいだり、迷うことが少なくなります。

今回は「転職」を考えている人を対象にしていますが、「仕事で悩みを抱えている」とか、「仕事の仕方を一度見直したい」という方でも大丈夫。

ご関心のある方、ぜひ、ご参加ください。


■開催日時
527日(土曜日)午前10時~12時(2時間)
■会場
渋谷駅周辺(参加申し込み済みの方に詳細をお知らせします)
■参加費
1名 2,500
■申し込み方法

2017年5月17日水曜日

「一緒がいいね」と、気軽に言えますか?

大きなしいたけでした。

「のんびる」6月号の特集タイトルは、
「いっしょがいいね。障がいがあっても、なくても」です。

FACEBOOKのボタンを押すように、気軽な気持ちで「いいね」と言えたらいいのかもしれませんが、今の私は、少し躊躇してしまいそう。

「いっしょがいいね」は、これまでの経験の中で強く実感しているので、「そのとおり」と思えます。

でも、一方で「いっしょがいいね」と気軽に言えない出来事がありますし、「綺麗ごとばかりじゃない」という気持ちも沸いてきます。

つまり、私は、まだ道半ばにいて、「いっしょがいいね」と言える状態を目指して、右往左往しながら歩いている途中です。

ただ、「いっしょがいいね」を、どうしたら実現できるのか悩んだり、
どんな工夫ができるか話し合ったりするからこそ、得られるものもあります。
自分自身の性格や行動の癖に、改めて気が付くことも多くあります。

「いっしょがいいね」を目指すプロセスに価値がある。そういうことかもしれません。





2017年5月16日火曜日

「書くことなんて、もう、何もないんじゃないの?」と思ったら

野外でピザを焼きました@やまぼうし自然学校
「行者ニンニク」を「餃子ニンニク」と聞き間違え、笑いました。

ある時、「ひょっとしたら、もう、それほど、書きたいと思うことなんてないのかもしれない」と思ったことがありました。

ブログでもFBの投稿でも、自分が書きたいことを書いているのだから、書きたいことがなくなったら、辞めてしまえばいいのですが、 そんな思いに駆られると、たいてい、「でも、やっぱり、あのことが気になる」とか、「このことを書いてみたい」というものが出てきます。枯れそうだと思ったら、井戸の奥底から新しい水が沸いてくるような感じがします。

最近、読んだ本の中に下記のような記載があり、文章を書き続ける理由が腑に落ちた気がしています。

『作家が書くのは知識を授ける(impart)ためではなく、自分を元気づける(Inform)ためだという事実は見落とされがちだ。書くことは重労働で、集中力の微妙なバランスを要し、「世界を閉め出すことによってではなく、世界の存在をすべて許すことによって」なされる』(「クリエイティブ・ライティング」のまえがき、ジュディス・ゲスト)


私は、「書く」ことによって自分自身を調整している面があり、日々の暮らしの中に書くことが必要なのかもしれません。

2017年5月10日水曜日

【成功と幸福は、どちらが先ですか?】

地酒どらやき@松江のお土産


「成功と幸福は、どちらが先だろう?」
この問いは、マツダミヒロさんの著書「賢人たちからの運命を変える質問」という本の中に、アルベルト・シュバイツァーの言葉として紹介されていたものです。

人は、問いかけられると、答えを出そうとする傾向を持っています。
この問いを、自分自身に投げかけた時、どんな答えが出せるか?考えてみました。

私個人は、「成功」と「幸福」を比べて考えると、
「成功」を得られなくても、「幸福」を感じる場面があるように思います。

例えば、「失敗」と思うような結果が出ても、
「この失敗から、こんな気づきが得られた」と思えたら、
そこに「幸せ」と感じられる気がします。

著者のマツダさんの解説によると、
世間一般の「成功」は、「○○ができると成功」というように行動がベースになってしまっていることがあり、多くの人はそれができなければ幸せになれないと思っている。
行動が実現できたら幸せではなく、幸せに必要なのは、感情に気づく力。
人は好きなことができていれば、それだけで幸せであり、その幸福を感じる力を大切にしていれば、行動や条件に惑わされず、自然に成功する。と指摘しています。

私自身、「幸せだ」と感じるのは、何気ない瞬間です。
そう感じる瞬間を数多く持てる状態をつくりだす努力することが、
「幸せ」につながるのかもしれません

目標を明確にして頑張ることも一つ、
気持ちのゆとりを持つことも一つ、
趣味を楽しむことも一つ
一つ一つを積み重ねて、「幸せだな」と感じることを増やしていきたいです。



2017年5月9日火曜日

【仕事がデキる人とは?】




仕事が「できる人」とは、どんな人でしょうか?
バリバリと仕事をこなしている人?
与えられた仕事についてキッチリ成果を出す人でしょうか?

有川真由美さんの著書「働く女の77のルール」には、
次のように書かれていました。

仕事がデキる人とは、『感動を与えられる人』
与えられた仕事を極めて、返せる人。
仕事ぶりが期待以上で、人の心をとらえれば、
「さすがプロ」ということになります。

『人生フルーツ』
というドキュメンタリー映画を観て、
「仕事」について改めて考えされられたところだったので、
「感動を与えられる」という指摘は、とても心に響きました。
 映画は津端修一さん(90歳)と妻の英子さん(87歳)の暮らしぶりを追いかけたもの。
お二人が大切にされていること、本当の豊かさとは何か、を描いている素晴らしい映画です。お二人は、お金ではなく、心を込め、手を掛けた暮らしをされており、

まさに「プロ」です。胸が熱くなりました。

2017年4月28日金曜日

【「自分が本当に感じていることが何なのか分からない」のは、なぜ?】

生姜焼き定食@島根県出雲市にて

『外の情報は圧倒されるほど溢れているが、自分自身の情報はとても乏しい。
自分のからだやこころが何を感じ、何を望んでいるのか、実はよくわかっていない。
よく確かめないまま走り続け、あげくの果てにストレスをためたり、身体をこわしたりする。
とにかく、この世は忙しく、自分自身とゆっくり触れる暇がない。
というより、あってもつい外側の刺激に気晴らしを求めて次から次へとうろうろしてしまう』

現代社会学の本の中で、中野民夫さんが書かれていた言葉です。

情報がたくさん溢れている社会の中で、忙しさに流されていると、
たしかに、自分が何を感じているのかが分からなくなる気がします。

自分が感じていることをきちんと汲み上げることができると、
自分自身を取り戻すことができるのかもしれません。

では、どうしたらいいか?

中野さんは、感じていることをそのまま受けとめてもらえる場をつくり、自分とは違う感じ方をする他者の立場を尊重し、共感的に理解することを学びあう方法を提案しています。

実践に向けたポイントはいくつか挙げられていますが、私の心に響いたものは次の事柄です。

①自分や社会について深く求めるとき、「絶対」の真理を求めたくなるが、「絶対」などというものはない。

②呼吸や歩くこと、食べることなど、日常的なことを丁寧に心をこめて行うことから、我に還り、今ここで自分や世界に起こっていることをはっきり知ることができる。

③孤立からつながりへの突破口を開き、自分と社会にまともなフィードバックをかけていくためには、真実を語ること、互いに素直に語り合える場、互いをしっかり聴きあえる関係が必要である。




2017年4月27日木曜日

【「考える」という、スポーツ】


「考える、というスポーツに固有の、カラダとアタマの動かし方を知る。知るだけじゃなくて体得する」

加藤昌治さんの著書「アイデア」は、アイデアを出す方法について分かりやすく解説している一冊です。

本書によると、「考える」という行為は、スポーツ。

企業はチーム、一個人は選手です。

それぞれの選手が自分の仕事をしっかりとして成果を挙げて、チームの勝率を上げていくことが大切。

また、ビジネスはトーナメント戦よりもリーグ戦であることが多く、プロフェッショナルであれば「率」で勝負しています。

勝ち負けがあることは理解しながら、個人の打率を上げ、チームの勝率を高めようと努力を続け、結果を出すことを目指していくべきということです。

加藤さんは「アイデア」について書いていますが、小手先の技術ではなく、無意識にできるようにアタマとカラダに染み込ませることや、打率や勝率を高めるかたちで総合的な「勝ち」を目指す考え方は、アイデアの話だけにとどまらず、さまざまな事に当てはまる気がします。

自分自身の現状を眺めた時、「どちらかといえば良かった」と感じられたら、勝率が比較的に高いのかもしれません。

人生は、勝ち負けだけじゃないけれど、
望んでいる方向へ近づくために、「率」を高める努力をしたいと思います。




2017年4月26日水曜日

【「いい人」って、どんな人?】

 

「いい会社」に投資ができる仕組みをつくりたい。
しかし、「いい会社」をどのように定義したらよいのだろう?

鎌倉投信の取締役・新井和宏さんは、著書「持続可能な資本主義」で、鎌倉投信の投資の考え方や仕組みを紹介しています。

鎌倉投信をつくる際に、新井さんがぶつかった悩みは、「いい会社をどのように定義するか?」という課題。

新井さんは、目に見えない「ホスピタリティ」を経営の核としているリッツ・カールトン・ホテルの元日本支店長・高野登さんに相談にいったそうです。

新井さんが「どうしたら、ホスピタリティを定量化できるのでしょうか?」と尋ねたところ、高野さんの答えは簡潔。

「ホスピタリティを定量化してはダメ」というものでした。

高野さんによると、「ホスピタリティは、標準化すると、ただのサービスになる。お客様に出会い、その時々の状況で、目の前の人のために何かしようと思うから感動が生まれる。目の前のお客様に、その時、その場所で、1対1の関係で生まれるのが、ホスピタリティ」ということです。

新井さんは、「指標をつくって画一化しようとすれば、企業は指標を満たそうとするあまり個性を失い、社会から多様性が失われてしまう」と書いています。これが、鎌倉投信が投資をする「いい会社」について定量化していない理由です。

私は、ここで、「いい会社」を「いい人」に置き換えてみたらどうだろう?と考えてみました。

人の場合、「指標」や「定量化」といえるような明確な基準で「いい人」を判断することは少ないかもしれません。

ぼんやりとした価値観や好みに基づいて、「いい人」かどうかを考えているように思います。

もちろん、自分の価値観や好みは大切にしたいものです。

しかし、それらにこだわりすぎると、見えなくなるものもあるような気がしてきました。

つまり、「いい人」も定義してはダメかもしれない。

自分が持っている価値観では測れないものがあることを頭の片隅に置いておき、これまでの人生で経験したことのない事や異質な人に出会った時に、「何かしよう」と思える余地をもっていたいなと考えたりしています。

お読みになりたい方は⇒持続可能な資本主義