2019年5月27日月曜日

社会を楽しくする障害者メディア 季刊誌「コトノネ」Vol.30の読みどころ


  
仕事の都合で全国各地に出かけるが、毎度、その土地ならではのお土産を一つ、買って帰ろうと思っている。
社内で一緒のチームで仕事をしている同僚に配ることができる、お菓子を選ぶことが多いが、時々、選ぶのに困ることがある。
パッケージは、その土地の観光名所の風景やその土地に縁がある歴史上の人物が描かれているが、中身のお菓子は、別の土地でも似たようなお菓子があったなぁと思うのだ。
真空パックになっていて、日持ちもするお菓子。なんだか美味しそうに思えない。

少しさびれた商店街。個人経営の和菓子屋さん
有名ではないけれど、地元の人が買っているおまんじゅうが、土産物店で売られている観光客向けのお菓子より、美味しそうに見えたりする。

どこにでもあるような、小豆の薄皮おまんじゅう。
お土産としてはふさわしくないかもしれないけれど、と思って、迷う。

そして、結局、私は、自分が「食べたい」と思うほうを選ぶ。

季刊誌「コトノネ」の最新号Vol.30
特集1で紹介されているのは、長野県伊那市の産直市場グリーンファーム。
社長の小林さんの「いちばんの観光資源は、地元の人が生き生きしていること。そこに地域性があって、地域の文化がある」
という言葉が響いた。

それで、上記に書いた観光地のお土産のことが頭に浮かんだ。
作っている人が生き生きしていたら、美味しそうなお菓子ができるんじゃないか。
と思ったのだ。
グリーンファーム、伊那市に行ったら訪ねてみたい場所です。

特集2は、大分県別府。
住吉温泉、太陽の家、立命館アジア太平洋大学(APU)、居酒屋さん、韓国料理屋さん・・・。リレー形式のような誌面のつくりで、街をぶらぶらしながら、覗き見したり、人と出会っていくような雰囲気で紹介されるのが、楽しい。
大分国際車いすマラソンを取材にいく時に感じていた街の感じが、紹介されている気がします。

小児外科医・ノンフィクション作家の松永正訓さんのインタビューと、江連麻紀さんの「家族って」のエッセイも、「命とは」「生きるとは」「家族とは」ということを改めて考えさせられる頁だった。

今号も、「コトノネ」が自宅に届いて、まず、目を通したのが「ご購読者さま」という編集長のお便り。本誌の内容とは直接的な関わりがない事柄、編集長・里見さんの個人的な出来事、それによって感じたこと、思い出などなどが綴られているだが、これが、やっぱり面白い。
もう一つ、編集部取材班の「ことばを授かる」も好きな頁。
作り手が、どういう人なのか、どこに着眼したのか、取材や編集を通してどんなことを感じたのかが気になるせいかもしれません。
  

2019年5月24日金曜日

【点滴ポール 生き抜くという旗印】頑張らなくては、と思うか。頑張らなくていい、と思うか。



筋ジストロフィーを患っている作者の歌集だというと、「大変な人が、頑張っていることを書いているんでしょ」と思う人がいるかもしれない。教訓めいたことが書かれていると懸念されるかもしれない。

この本について、その想像は、完全にハズレているとは言えない。

しかし、手に取って読んだ人は、良い意味で裏切られると思う。

「生きている」。その状態が、どういうことなのか。
毎日、忙しく、活動的であればあるほど、知らないのではないか。
沢山のモノに囲まれ、情報の渦の中にいるほど、見えていないのではないか。
読み手自身に、「生きている」ことを実感させてくれる歌が収められている。

ある人は、明日から、また頑張ろうと思うかもしれない。
また、ある人は、そんなに頑張らなくていいんだと思うだろう。

ぜひ、読んでほしい一冊。

点滴ポール 生き抜くという旗印

2019年5月22日水曜日

【生きるかなしみ】生きることは、なぜ、かなしい? #山田太一#ちくま文庫#読書



山田太一・編の「生きるかなしみ」(ちくま文庫)は、このテーマに基づいて選ばれた作品が収録されている。1995年に初版が出されている本だが、巻頭に収められている山田太一の「断念するということ」というエッセイの指摘に、頷かされる。

山田氏は、
『いま多くの日本人が目を向けるべきは人間の「生きるかなしさ」であると思っている。人間のはかなさ、無力を知ることだという気がしている』
『大切なのは可能性に次々と挑戦することではなく、心の持ちようなのではあるまいか?可能性があってもあるところで断念して心の平安を手にすることなのではないだろうか?
私たちは少し、この世界にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?
本当は人間の出来ることなどたかが知れているのであり、衆知を集めてもたいしたことはなく、ましてや一個人の出来ることなど、なにほどのことがあるだろう。相当のことを成し遂げたつもりでも、そのはかなさに気づくのに、それほどの歳月は要さない。
そのように人間は、かなしい存在なのであり、せめてそのことを忘れずにいたいと思う』
と綴っている。

初版発刊当時と比べると、高学歴、高収入、優良企業への就職などを目指す上昇志向を持つ人ばかりではなくなったかもしれない。
しかし、インスタ「映え」を目指し、SNSでの「いいね!」の獲得を気にする人がいることは、「他人に対して自分をより良く見せたい」「他人から評価されたい」という願望に縛られていることの現われだと思う。
また、自己肯定感を持てないと悩むこと背景には、「他人に話して恥ずかしくないような何か好きな事、得意なことを持っていなくてはならない」というような観念に縛られていることがある気がする。山田氏が指摘しているように、暗部を見つめることから目をそらしてしまうゆえに、「自分が出来ることなどたかが知れている」「自分の成し遂げたことなど、はかないもの」だという考える方向に、吹っ切れず、もやもやしてしまうのかもしれない。

山田氏が編んだ作品は、一つひとつ、それほど長いものではない。
著者の背景や、書かれた時代、社会もさまざまで、そこに描かれた「生きるかなしみ」も多様だ。人には様々なかなしみがあり、それぞれのかなしみを抱えて生きているのだと教えてくれる一冊。




2019年5月5日日曜日

殺人も、謎解きも、ない。だけど、ある意味、とても怖い。アガサ・クリスティ作品



AERA.dot
鴻上尚史さんのコラム「鴻上尚史のほがらか人生相談」
4月9日掲載「友人に絶交されました」鴻上尚史が指摘する“無意識の優越感”
にて、紹介されていたアガサ・クリスティの作品。

アガサ・クリスティといえば、「そして誰もいなくなった」などのミステリー作品、
ポワロやミス・マープルなど名探偵が登場するドラマが思い浮かびますが、
「春にして君を離れ」は、ミステリー作品ではありません。

主人公の専業主婦が、病気になった娘のもとを訪れて、これからイギリスへ帰国するところから、物語が始まります。
旅の間に、これまでの出来事を振り返り、夫との関係、娘との関係について考えるうちに、あることに気がつく。それは彼女の人生を大きく変えることのように思われる気づきなのですが・・・、そして、彼女は、結局、どうなったのか。

彼女の気づきは、殺人に関わるわけでも、財産分与に関わるわけでもありません。
でも、最後まで読むと、彼女は幸せなのか、不幸せなのか、考えさせられて、ジワリと怖い。

自分が抱えているもの、備えているものに、気づくことができるか、気づくことができないか。気づいたことを受けとめて、行動するか。
気づいたことを受けとめきれず、気づかなかったことにするか。
そうした判断の積み重ねで、人生は過ぎていく。
小さなことだと思っていることが、実は、大きなこと、重要なことなのかもしれない。
ミステリーは、読み終わった時に、「そういう仕掛けだったのか!」「あの人が犯人だなんて」などという面白さを味わえますが、本作品は、自分自身と照らし合わせて、すぐに答えがでないことを、いろいろなことを考えさせられる作品でした。

#アガサ・クリスティ