2017年3月27日月曜日

目の前にあることの意味が見いだせなくても、いいですか?


自分が望んでいない出来事が発生した時、どんなふうに考えますか?

戸惑ったり、「運が悪い」と思ったり、誰かのせいにしたり、さまざまな思いが生じます。自分を見失いそうになるかもしれません。

何事も良い側面を見出し、プラスにとらえたいものですが、
自分が望んでいなかった出来事には、なかなかそう思えないものだと思います。

生物学者の福岡伸一さんが、クリエイティブディレクターの水野学さんとの対談で、
次のようなことを話していました。(「アウトプットのスイッチ」水野学・著、朝日文庫)

「いろいろあれこれやっているうちに、なんとなくいろいろなことがつながってきたり、
思いもよらないところに関係性が生まれて、だんだん、いろいろなことが出てくる。だいぶ時間が経ったある時点から逆にみると、ああ、なるほどと、いろんなものがつながっていって、それは非常におもしろいものだというふうになる。だから、設計したんじゃなくて、発生してきたものが本当の解」

一つひとつの出来事には、意味を見いだせなくても、
バラバラだった一つひとつの点と点がバーッとつながって、
「そういうことだったのかもしれない」と意味を見いだせることがある。
そういう捉え方ができることもあるということです。

目の前の出来事に、今、ここで、意味を見いだせなくても、
これから先、それが何かとつながって、何らかの意味が見いだせることがある。
そう信じて、前に進むことが必要なこともあるかもしれません。

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