2017年3月14日火曜日

【期待しない自由】相手への思いがあるから「期待する」。でも、諦めではなく、愛のある「期待しない」もある

オレンジパイ#スターバックス

ALS患者となった母親の介護をテーマに書かれた「逝かない身体 ALS的日常を生きる」(川口有美子著・医学書院)という本の中に、「期待しない自由」と題して書かれたページがあります。

24時間、母親につきっきりの介護となり、子育てもしなければならず、心身ともに押しつぶされてしまいそうな状況になってしまった著者は、「理想主義と完全主義を一切やめて、なるようにしかならないと運命に身を委ねることにしたら、とたんに身も心も自由に晴れ晴れとしたのである」と書いています。

また、「長生きのALS患者は、自己愛と存在の絶対的肯定によって支えられている」ということと、「病いに侵されて何もできなくなってもなお自分を大切にできる人は、弱く衰えた自分でも愛せる自由で柔軟な思考回路の持ち主であった」と気がついたといいます。
ALS患者に向き合う中で、お子さんへの接し方も変わったそうです。

「期待する」ことは、子どもや家族、恋人や友人、職場の同僚や部下に対して、「こうしてほしい」「こうあってほしい」という思いがあるからこそ、生まれるものだと思います。
「期待されている」ことが伝わると、相手はそれに応えようと頑張ることもあります。
「期待する」ことは、他人との関係において力を発揮するケースもあるといえるでしょう。

しかし、本書を読み返していて、
「期待する」ことが、自分自身にとっても、「期待される」相手にとっても、枷(かせ)のようになることもあるのだと、改めて気が付きました。

「こうしてほしい」「こうなってほしい」と思っても、相手はこちらの期待通りにはならないもの。
相手の心の中に「期待に応えたい」という思いがあっても、病気や障害、その他さまざまな理由により、応えられないこともあるはず。

期待する思いが強ければ強いほど、その期待に応えてもらえない状況は、苦しく、辛いものになるのかもしれません。
そこで、あえて「期待しない」ことを選び、「なるようにしかならない」と考えた時、期待の枷を取っ払うことができるのでしょう。

自分が抱えている「期待」から、いったん手を離してみると、見える景色が変わってくる気もします。

ここでいう「期待しない」は、諦めとは異なり、相手への思いが背景にある選択だと思います。



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