「あなたは、障害者じゃないから、分からないでしょ」
「あなたは、障害者の家族じゃないから、分からないでしょ」
「あなたは、福祉の考え方を知らないでしょ」
そんなふうに、言われることがあります。
「たしかに、そうですね」と思う気持ちもあれば、
「だから、何ですか?」と思う気持ちもあります。
私は、「おかしいな」「変だな」と思うことを、
ほおってはおけない性格なので、それを口にしてしまうことが多いです。
私から「おかしくないですか?」「変じゃないですか?」と問われた相手にしてみれば、
「それは、言ってほしくなかった」と思う気持ちがあるのだろうと思います。
問いに対して、答えがなかったり、
答えを表に出せない事情があるから、
「あなたは、知らない」「あなたには、分からない」と返すしかないのかもしれません。
「あなたは、知らない」「あなたには、分からない」と言われた私は、
自分の知識や経験の不足、立場の違いなどを確認することができます。
しかし、
「知っている」と「知らない」の間に線を引く一言で片づけられてしまうと、
そこから何も生まれない気もします。
「あなたは、知らない」「あなたには、分からない」という言葉の裏側に、
「知ってほしい」「分かってほしい」という思いがあるならば、
どうしたら、その思いが伝わるか。
どうしたら、その思いを共有できるか、が大切なのではないでしょうか。
丸谷才一さんの著書「思考のレッスン」に「謎を育てる」という項目があり、
次のように書かれています。
考える上でまず大事なのは、問いかけです。
つまり、いかに「良い問」をたてるか、ということ。
「良い問いは良い答にまさる」という言葉だってあるでしょう。
では、「良い問」はどうすれば得られるのか?
それにはかねがね持っている「不思議だなあ」という気持ちから出た、
かねがね持っている謎が大事なのです。
一番大事なのは、謎を自分の心に銘記して、常になぜだろう、
どうしてだろうと思い続ける。
思い続けて明確化、意識化することです。
丸谷さん自身は、疑問に思ったことを、ずっと心の片隅において
問い続けたことで理解できた経験をお持ちだそうです。
「謎」は言い換えると、「違和感」にも当たる気がします。
スッと受け入れられないこと、なんか嫌だなと思ったこと、
それらについて「なぜ?」と問いを持つことが、
考えることのスタートかもしれません。
「知らない」「分からない」からこそ出てくる「なぜ?」を
大切にしていこうとも思います。
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