2015年8月4日火曜日

人生の主語を自分にする

人生の「主語」を、自分にする。

再度、福島智さんの著書「ぼくの命は言葉とともにある」

の中に、福島さんが成人する若者に向けて贈った言葉があります。

タイトルは、『自分を「主語」にした人生を』となっており、

自身の20歳の頃の経験も交えて、次のように書かれています。

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十八歳までの視力と聴力を失い、

盲ろう者となった私は、二十歳で大学に進んだ。

盲ろう者としての大学進学は日本初。

マスコミは「日本のヘレン・ケラー」などと、私を持ち上げた。

私を支援してくれる多くの人たちもいた。

しかし、なぜか私は孤独だった。

春の夜。

下宿の六畳間で、点字書の入った段ボールに囲まれながら、

私は一人で途方に暮れていた。

「これからの人生で、オレは何をすればよいのか」

「オレに、一体、何ができるのか」

あれから30年が過ぎた。私は今も悩みと迷いの連続だ。

ただ、先への問いへの答えは、少し見えてきたような気がする。

(中略)

簡単に言えば、人生の「主語」を常に自分にする、ということだ。

つまり、自分が人生で何をしたいのかは、「自分(あなた)」が考え、

どんな生き方をするのかも「自分」が決める。ということである。

もちろん、「自分」だけでは生きられない。

多かれ少なかれ、生きることは他者との共同作業だ。

ただし、それを前提としつつも、

人生を決める主体は自分しかないということである。

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福島さんの「孤独」は、

視力も聴力もある人の「孤独」とは、

異なるものかもしれません。

でも、

「自分の人生をどう生きていくか」という問いに向き合う時、

人は、誰しも、孤独なのではないでしょうか。

孤独であることは、決してマイナスの状態ではなく、

自分を主語にして生きていくためには、

それを受けとめることも必要なのかもしれない。

と思ったりします。




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