2018年3月5日月曜日

この本に、呼ばれたのかもしれない。



3.11」は、特別な意味を持つ数字の組み合わせになりました。

「東日本大震災」が起きたあの日からです。
あの日以前の「3.11」は、
個人的に誕生日だとか、記念日とかでなければ、
その前日の「3.10」と、その翌日の「3.12」と、
それほど変わらない位置づけの日でした。

それが、あの大震災が起きてから、特別な日になってしまいました。

その特別な日を1年に1度、迎えることになりましたが、
年を重ねるたびに、何かが少しずつ変わっているように思います。
変化は、あの震災に対する自分の受けとめ方かもしれないし、
あの時感じていたことを鮮明には思い出せないような記憶の薄れかもしれません。

そんなことをつらつらと考えていた時に、

長野県上田市に遊びにいくことがあり、
大好きなブックカフェNABOの棚で、視界に飛び込んできたのが、
この本。高橋源一郎さんの著書「非常時のことば 震災の後で」です。

「あ~ぁ、私、たぶん、この本に呼ばれているわ」

と思ってしまいました。即、購入。

本書は、震災の前と後で、変わったもの(変わらないもの)について触れており、
自分が「考える」こと、
自分が「書く」こと
おそらく、それは、自分が「生きる」ことにつながること、
改めて、考えさせられる本でした。

「非常時」は、震災ばかりでありません。

ある時、ある場所では「戦争」であり、「水俣病」などもあります。

この本では、石牟礼道子さんが、水俣病の関係者、地域の人々について丁寧に聞き取りをされて綴られた文章の「美しさ」についても解説されています。

先日、お亡くなりになったニュースを耳にしたこともあり、石牟礼さんのお仕事の素晴らしさを、高橋さんの解説でよりよく理解できたことも、「あぁ、やっぱり、私は、この本に呼ばれたのだわ」と思った理由です。

出会いは自分でつくるものとか、計画的偶然性とかいう言葉もありますが、やっぱり、「呼ばれた」というのがしっくりきます。
 

非常時のことば 震災の後で (朝日文庫)

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