2017年7月20日木曜日

頼りないものであると同時に、それは希望でもある。「私は、私である」を証明するものは?



人の特徴は、生まれながらにして持っているもので決まるのではなく、
環境の中で、関係性の中で、その人の特徴がつくられていく。

生まれて間もない頃は過剰に持っているものを、
そぎ落とされていくことによって、得意・不得意といわれているものが出てくる。

「動的平衡」の著者・福岡伸一さんの講演録に
生物学的な見地から、「私」について書かれてある箇所があり、興味深く読みました。

福岡さんによると、

私が、私であることを生物学的に証明するものはない。
脳の中の神経の伝達経路の結びつき(シナプス)は、
生まれて少し経った後までが一番たくさんある。
それが、その人が環境との間でどういうインタラクションをするのか、
何に興味を持って、どんなことに一生懸命になるか、
そのプロセスでシナプスのパターンは刈り取られていく、
より電気が通るところは強化され、通らないところは淘汰される。
私たちは遺伝子がすべて指示を出しているという物語にとらわれがちだが、
実は遺伝子はむしろ過剰さを与えてくれている。
生命の特徴は、つねに過剰さを与えて、その後、環境のなかでどのようにそれが刈り取られていくかによって、その人がつくられていく。
得意・不得意というのも、だんだん削りとられていくものだと思う。

関係性というのは、さまざまな変化にさらされますが、

福岡さんは、そのことについて

「非常に頼りないことであると同時に、逆にある種の希望でもある」と言います。


変化には、プラスも、マイナスもあり、不安もあり、希望もある。そんなことを考えました。


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