生に意味を持たせると、その裏側に「意味のある死/意味のない死」という考え方が出て来るような気がするので、それはとても危険だなと思うんです。
「誰も知らない」「そして父になる」などの映画を監督されている是枝裕和さんの対談集の最新刊「世界といまを考える3」。
是枝さんは、オウム真理教信者や日航機墜落事故遺族に関する著作がある野田正彰さんとの対談の中で、「生きる意味」について触れており、
映画の上映後に、劇場で観客とディスカッションする機会に、10代の子たちから「生きる意味は何でしょうか?」という質問が寄せられることが多いことから、意味のある死/ない死という考え方に危険性を感じていると言います。
精神科医で作家の野田さんは、生きる意味を問われたら
「いろいろな生命、人、動物、植物と対話していくなかで、自分が生きているリアリティーを感じている。さしあたっては、この社会の中で起きていることに気づいて、それについて分析する。
その過程で少しでも現実を見る目が深くなっていくということに、意味を見い出すことができる。仕事以外の世界では、身近にいる人に自分の感じたことを伝えたり、理解し合ったりしていくことに、生きている意味がある。
そういうふたつの面をもって、私は生きていることとつながっている」
と説明すると言います。
人との対話を通じて、植物や動物などとの対話を通じて、生きていることを実感する。
そして、自分が感じたことを、身近な人と伝えあい、互いに理解しあうなかに、生きている意味があるというご指摘に、なるほど、と思います。
是枝さんは、ジャーナリズムの問題点についても触れ、
野田さんに「どうすれば、観る人の思考を促す報道になるか?」と質問します。
野田さんは、「報道する側が、一つひとつの出来事について、自分が考えたことを伝えること」と答えます。
裏を返せば、報道する側が何も考えず、強者と弱者、善人と悪人という、ステレオタイプ的な伝え方をしていることを問題だと考えているということです。
事件、事故の報道を見たり、読んだりするとき、
報道している人たちの「考えたこと」があるか。
また、それらの報道を受け取っている自分に「考えていること」があるか。
つど都度、捉えなおしてみたいと思っています。
#読書#是枝裕和#対談集#世界といまとを考える
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