2016年11月15日火曜日

「仕方がない」って、なんだろう?

「仕方がない」という言葉、どんな時に使っていますか?

「一人で頑張っても、状況が変わらないから、仕方がない」
「私には才能がないから、仕方がない」
「もう齢だから、仕方がない」

いろいろありますね。

望むような結果が出なかった時、
自分の気持ちに区切りをつけるために、「仕方がない」と使うこともあります。

一つのことに区切りをつけて、別のことに挑戦できるなら、
「仕方がない」という言葉には、前向きな意味があるようにも思います。

でも、「仕方がない」という言葉を、
目の前にあることに対して、「何もしない」ことの言い訳に使うとき、
「本当にそれでいいのかな?」と考えたい。

「何もしない」ことを正当化するために、
「仕方がない」と使ってしまうと、
目の前にある問題に向き合わないままになるようにも思います。

そして、目の前にある問題に向き合うことなく、
何もしないままでいることは、
その瞬間は、良くても
将来的には、自分自身にとって、良くないのではないかと思うのです。

いったん逃げると、
逃げることが癖になるかもしれません。

「仕方がない」と言ってしまった時、
「本当に、仕方がないのか?」と、もう一度、自分に問いかけてみたいものです。

詩人の伊藤比呂美さんの講演を聞く機会があり、
岩波文庫から出版されている「石垣りん詩集」のなかから
「雪崩のとき」という詩を朗読してくださいました。


平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積もっていた

(中略)

それも過ぎてしまえば束の間で
まだととのえられた焚木もきれぬままに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と

雪はとうに降りやんでしまった、

降り積もった雪の下には
もうちいさく、野心や、いつわりや
欲望の芽がかくされていて
“すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”
というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそって
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。

ああ、あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが

私にはきこえる
私にはきこえる

『雪崩のとき』より(石垣りん詩集 伊藤比呂美 編)


0 件のコメント:

コメントを投稿