2022年1月24日月曜日

「原因と結果」を直線的に結びつけても解けない問題

 
 「親が変わらなければ、子どもは変わらない」
 「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」 
「トップが変わらなければ、組織は変わらない」 
なるほど、そうかもしれないな。 そういう側面もあるかもしれないと思う。

 しかし、この考え方には注意をする必要がありそうだ。 

 河合隼雄さんと柳田邦男さんの対談集『心の深みへ「うつ社会」脱出のために』(新潮文庫)を手に取った。この本の中に、「悪者探しをするな」という項がある。 

 青少年犯罪、家庭内暴力などについて、河合氏は、因果的には説明できないと言っている。 

 因果的説明というのは、ともすると直線的な論理になります。 父親がこういう悪いことをしたから子どもが悪くなったとか、 子供が父親を殴るからには父親にどこか悪いところがあったからだろうとか。 そういうふうに直線的論理で結びつけるから説明できないのであって、 全体を見ていけば、私はだいたい説明できると思っています。 

 その全体の中には、父親と母親の関係もあるし、おじいさんとおばあさんの関係もある。それから社会的状況もあるでしょう。アメリカの文化が入ってきたということもある。そういうことを全部入れていくと、全体の絡み合いとしての構図が見えてくる。何か一つの原因を究明するのとは違います。 

 おのおのの人間は可能性をもっていますが、ものごとを原因・結果で考える人は、可能性のほうを忘れてしまいがちなんですね。 原因・結果を考えて、その場ですぐ過去にもっていくから。 そこから未来まで見ていった場合、父親や母親が変わらなくても、子どもが変わっていけばいいわけでしょう。
 原因・結果で過去ばかり見ていると、未来をよりよくするために問題が起こってきているケースがとても多いのに、それが分からない。 たとえば、息子の不登校をステップに夫婦の関係が変わるなんてことがあります。 つまり、不登校は、両親の夫婦関係を改革するために息子が努力した結果かもしれない。こうすると、見方がまったく違ってくる。悪者なんて誰もいないし。 (同書・第1話「はじめて門をたたく」「悪者探しをするな」より) 

 「親が変わらなければ、子どもは変わらない」 
「指導者が変わらなければ、選手は変わらない」
 「トップが変わらなければ、組織は変わらない」 などと言う時、親、指導者、経営者など誰かを「悪者」にすることで安心し、 他にあるかもしれない原因を考えずに済ませている気がする。 
 そもそも、子ども、選手、組織が変わらない(それぞれ抱えている問題が解決しない)原因は1つだけでないだろう。子ども、選手、組織を取り巻く全体の構図から、現状を捉えることが大事だ。 そして、より良い未来に向けて、全体の構図の中で、自分の役割やできることを考えていく必要がありそうだ。

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