2020年5月24日日曜日

コロナ禍の「禍」と、文字禍の「禍」




最近、よく目にする言葉「コロナ禍」、これまでなかった新しい単語ですね。

「禍」は、よくないこと、不幸を引き起こす原因、災難を意味していて、

新型コロナウイルスによる災い=コロナ禍 です。

中島敦の短編小説に「文字禍」という作品があることを、最近知り、

文字によってもたらされる災い????

それは、どういうものなのだろう?

なぜ、文字が災いするんだろう?

と思って、さっそく読んでみました。

なかなか、すごい。

この作品、
「文字」があることによって、「人」は幸せになれるのか?
という問いを、投げかけてくる。

今、「新型コロナウイルス」は、災いの原因と位置付けられて、
それがあることで、様々な困難が生じているとされている。
だから「コロナ禍」だ。

でも、「文字」は、何かを意味するものであり、
知識をもたらすものであり、
それをもとに文化や科学が発展してきたものだと思う。
多くの人にとって、「文字」は、災いの原因とはされていない。
それが、この作品では、災いをもたらすものとして描かれ、「文字禍」になっている。

そして、
「文字」は、災いをもたらすものになりうるんだと、思わされる。

読み終えた後、私が
思い当たったのは、SNS、Twitterで生じる「炎上」や「バッシング」だ。
それに巻き込まれた人や、叩かれた人にとって、
それらは、文字によってもたらされる「禍」といってもいいだろう。


「文字」に、どう向き合うのか。
「文字」を、どう使うのか。

「新型コロナウイルス」に、どう向き合うのか。
「新型コロナウイルス」を、どう扱うのか。

かけ離れているようで、実は、つながっていることかもしれない。


山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)








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