2018年4月27日金曜日

観察する覚悟は、あるか。#観察映画「港町」


想田和弘監督の観察映画「港町」http://minatomachi-film.com/
を見て、改めて、「観察する」ということは、ものすごく、覚悟が要ると思いました。

想田監督の「観察映画」は、被写体や題材に関するリサーチは行わず、打ち合わせも原則的にしない。台本はなく、テーマや着地点も撮影中にはしないそうです。
つまり、行き当たりばったりでカメラを回して、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」撮影していくことを心掛ける。そうして撮影できた映像をもとに、一つの作品を構築しています。

いわゆるテレビのドキュメンタリー番組が、台本ありきだったり、予定通りに撮影できない場合のやり直しありだったりするので、そうではないものを撮ろうとされているのでしょう。

「観察」という言葉だけで捉えると、離れたところから対象を見ている「傍観者」のイメージが沸いてきますが、「観察映画」の撮影は、そうではありません。

映画「港町」では、海辺の町で生活している人たちのなかに、カメラを持ってずんずん入っていく。声を掛け、一緒に歩いたり、話を聞いていく。知り合いとなり、関係性をつくっていくなかで、被写体となった人のほうから語りかけてくるものを撮影していきます。

映画「港町」で、カメラを向けられた人たちは、さまざまなことを語りました。
漁業のこと、魚のこと、猫のこと、家族のこと・・・。
映画は、登場する人たちの語りを通して、小さな港町と、そこに暮らす人が直面している問題が浮かびあがらせていました。

観察者の姿は映らないけれど、映像のなかには声や気配があり、映像のなかに居ます。
観察者も、「港町」に登場する人物の一人になるのです。

つまり、「観察」は、ただ見ているだけではなく、観察の対象に関わりを持つことです。
そして、観察者と被写体との関わりは、映像を通して、公にさらされます。
その覚悟は、必要になると思いました。

一方で、観察者は、一定期間のみ、そこに滞在するいわゆる「よそ者」でもあります。
一緒に生活を営むわけではないのです。
被写体と、どう向き合うのか。どこまで深く関わるのか。
彼らが抱える問題について、どのように受けとめるのか。
自分自身は、どのように考え、行動するのか、しないのか。
考えて、判断することが求められるし、責任も要るかもしれません。

想田監督の観察映画は、これまでに「選挙」「選挙2」「精神」「演劇1」「演劇2」を見ていますが、毎回、いろいろと考えさせられます。

今回の「港町」では、観客である自分が監督の目になって「港町」を観察しているように感じ、目の前に浮彫りになってきた問題に、「で、どうする?」を突きつけられた気がしました。




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