2019年8月8日木曜日

【悲しみの秘儀】人生の道標になりそうな一冊



「悲しみ」について、私は、できるだけ少ないほうが良いと思っていた。
「悲しみ」につながる出来事や経験は、できれば出会いたくないと思う。

しかし、若松英輔さんの著書「悲しみの秘儀」を読むと、「悲しみ」の価値が分かる。
「悲しみ」を知るからこそ、「喜び」が分かるということだ。

「悲しみ」につながる経験を、積極的にしようということではない。
人生の中で、予期せぬ出来事は、少なからず起こる。
耐え難い気持ちになったり、心に傷がついて、それがトラウマのように残ることもある。

「悲しみ」を転換して、「喜び」に変えることはできないだろう。
「悲しみ」は「悲しみ」として存在し、その存在があるからこそ、別の感情をよりいっそう強く感じとれるということだと思う。

本書の中で、若松さんは、恩師の井上洋治神父の遺稿を紹介している。

『宗教は考えて理解するものではなく、行為として生きて体得するものです。たとえてみれば、山の頂上にむかって歩んでいく道であるといえましょう。人は二つの道を同時に考えることはできても、同時に歩むことは決してできません』

この遺稿では、「宗教」について言及しているが、「宗教」を「生きることの意味」と言い換えてもよいだろう。

若松さんは、恩師の遺稿を受けて、
『人生の意味は、生きてみなくては分からない』と書いている。

人生において、自分が歩くことができるのは、たった一つの道である。
頭の中では、「あんな人生」「こんな人生」と複数の道を描くことができるが、
実際の人生は、たった一つだ。

どんな人生なのか。自分で生きてみるしかない。


若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義



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