2023年8月21日月曜日

「あいつは絶対に許せない」と思う相手を、許す意味

 

「あいつは、絶対に許せない」と思う相手がいたら、どうするか?
私なら、そんな相手には「関わらない」「距離を置く」だろう。
何らかの理由で関わらなくてはならないとしたら、どうか?
恨みを晴らすために何かするかもしれない。相手に対して何かをすることはなくても、心の中で軽蔑し続けるかもしれない。
だが、ネガティブな感情を持ち続けることは、気持ちの良いことではないし、疲れてしまいそうだ。
「絶望図書館」(頭木弘樹・編、ちくま文庫)に入っている「虫の話」(李清俊:イ・チョンジュン・著、斎藤真理子・訳)は、「許す」ということの意味について考えさせる短編だ。
薬局を営む夫婦の1人息子が誘拐され、惨殺され、死体で発見される。犯人はすぐに捕まり、夫婦の知り合いだった。
この物語は、この夫婦の夫の視点で語られる。
不幸な出来事を前にした妻の様子が語られていく。
息子の死後、生きる気力を失っていた妻は、熱心な知人の勧誘により、キリスト教を信仰しはじめる。亡くなってしまった息子のために祈り始めるのだが、熱心に信仰するにつれて、獄中にいる犯人を「許す(赦す)」ことについて考え始めることになる。
「神」は、すべての人をお許し(赦し)になっている。
妻は、信仰に基づいて、犯人を許そうと考える。そして、ついに犯人との面会が実現する。
クライマックスは、犯人との面会が実現した後のことだ。
彼女が犯人と会い、話をした後、どうなったのか。
結末まで、ぜひ、読んでほしい。
読者の多くは、妻の選択を知った後、自分自身にとって「許す」ことはどのような意味を持つか考えることになる。
結局、「許す」ということは、相手のためではなく、自分自身のためのものだということになるだろう。「許す」ということは、恨みや憎しみから自分自身を解放するものだと思う。「許す」ことで救われるのは、自分自身だ。
どんな人でも、大なり小なり「許す」「許される」経験をしたことがあるだろう。この物語は、読者自身が自らの経験を振り返り、「許す」ことの意味を考える機会を与えてくれる。

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