2023年1月23日月曜日

【コロナ時代の哲学】独りで居たいけど、誰かに見てほしい

 
 3年前の自分が、どうだったか? 
これまでの人生を振り返って、3年前の自分を問われて、はっきり答えられることは少ないのかもしれない。 

 30歳の時の3年前は、27歳。 20歳の時の3年前は、17歳。高校2年生。 15歳の時の3年前は、中学1年生?…。 

会社の業務で、何を担当していたか。 部活動を一生懸命していたか。 その年に流行していたドラマやファッションを調べれば、 よく見ていたものや購入したものなど、少し具体的に思い出せるかもしれない。 しかし、自分がどんなことを考えていたかということになると、ほとんど忘れてしまっていて、思い出せない。 

 今から3年前、2020年は、多くの人にとって、これまでにない出来事が起こった年だ。 新型コロナウイルス(COVID-19)の国内感染が一気に拡大し、「緊急事態宣言」が出され、働き方も生活の仕方も大幅に変更せざるを得なくなった。 ドラッグストアの店頭で、マスクやハンドソープ、アルコール消毒液が品薄になったことや、 飲食店やスーパーの閉店時間が早くなった。自宅で仕事ができるように部屋を整え、ZOOMなどインターネットのツールも使い始めたことは覚えている。 

 ただ、その激変した生活の中で、自分が、何を、どのように考えていたかはやはり、よく覚えていない。「これから先、一体、どうなってしまうのだろう?」という、先の見えない不安を抱えながら、日々を過ごしていた気がする。

 「コロナ時代の哲学」(大澤真幸、國分功一郎)は、2020年7月、COVID-19の感染が急拡大した中で発刊された。 大澤氏は、前書きの中で、「私たちは、生と死の全体、世界や社会のあり方の根幹に関して、これまで見たことがないものを見ており、感じたことがないことを感じている。こういうとき、私たちはいかに困難でも、まさに感じ、経験していることを言葉にしようと努めなくてはならない」と言っている。 さらに、その理由について、「渦中や直後に言葉にしようと努めなかったときには、それはすっかり忘れさられ、結局、私たちのうちにいかなる有意味な変化をも惹き起こさない」からだとしている。 社会の大きな変動に直面している「今」を、それぞれが、それぞれの言葉で語ることで、「今」になんらかの意味が付与される。うまく言い表せていなくても、そのうまく言い表せない感じは残る。意味を付与されたことは、記録や記憶に残り、後から改めて考えてみることができるだろう。 本書に掲載されている大澤氏の論文、國分氏との対談を読むと、彼らが、「今、言えること」「今、語れること」を精一杯、言葉に表している雰囲気が伝わってきた。 

 私が、この本の中で最も関心を持ったのは「監視」だ。

 大澤氏の論文の中で、「監視資本主義」が紹介されている。 これは、ショシャナ・ズボフが創った概念で、古典的な資本主義では、賃労働から剰余価値が発生するが、監視資本主義はインターネット上で個人が買い物や検索をすることによって、個人情報が資本に明け渡され、剰余価値が発生する。監視資本の代表企業はFacebookやGoogleなどで、個人情報から利益を得ている。 そして、重要なポイントは、FacebookやGoogleなどのサービスを利用している時、個人は客観的な自由のはく奪(個人情報が提供されている)があるにも関わらず、そのことを意識することはほとんどなく、主観的には自由に行動していると感じている点だという。 

 デイヴィッド・ライアンの「監視文化」についても紹介されている。 
現代人は、「監視」を必ずしも拒否しておらず、むしろ望んでもいる。例えば、SNSなどで投稿し、私生活を他人に覗かれることを楽しんでいる。誰からも見られてないことを恐れ、不安に感じてもいるという指摘だ。 「監視」という言葉は、自分の言動を細かくチェックされているイメージがあり、気持ちがよいものではない。積極的に「監視してほしい」と思っている人は多くないだろう。一方で、SNSへの投稿は、自分以外の誰かに「見てほしい」という思ってするもので、これは文化の一つといえそうだ。

 自由、気ままに生活をしたいなら、「おひとりさま」の生活スタイルを選択すればいい。 
他人と深く関わりたいわけではないけれど、自分の存在を誰にも知られないのも不安なのかもしれない。 
「おひとりさま」の暮らしをしながら、食べたものや身に着けたもの、出かけた場所などの写真を撮ってインスタにアップするのは、「ひとりで居たい」けど、「誰かに見てほしい」のだと思う。 

 「誰かに見てほしい」のだけれど、見てほしいのは本当の自分自身でもないだろう。
SNSへの投稿は、誰かに見せる、よそいきの「私」だ。 俳優やモデルではない、一般の人が誰かに見せるための「私」をつくる文化が普及した結果なのかもしれない。
この「監視文化」の今後は、興味深い。 

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