2022年4月20日水曜日

【我が友、スミス】筋肉美を追求する場で当てられた「女らしさ」の評価のものさし

 

 「我が友、スミス」は、会社員の女性U野がトレーニングジムで声をかけられたことをきっかけに、ボディ・ビル大会への出場を目指す物語だ。スミスとは、筋トレのマシンの名前である。

ボディ・ビルの大会に向けて、肉体改造に取り組む中で、当然、U野の身体は変化していく。大会で「勝ちたい」という思い、自分に得意なことがあったのだという自覚、自信が出てくる。

一方で、職場の同僚からは「彼氏ができたの?」と問われる。
母親は、ボディ・ビルを男性のように筋肉ムキムキになることだと捉えており、「女らしくない」と懸念が示される。

さらに、ボディ・ビル大会での高評価を得るためには、肌の美しさ、ハイヒールで綺麗に歩くことなども必要とされていることが分かる。

なあ、母ちゃん。先日は、すまなかった。だが、あなたが「女らしくない」と評したボディ・ビルは、実はそうじゃないのだよ。この競技は世間と同等か、それ以上に、ジェンダーを意識させる場なのだ。「女らしさ」の追求を、ここまで要求される場を、私は他に知らない。人は、ボディ・ビルを「裸一貫で戦う」競技と見做し、その潔さを称える。ところが、そんな称賛に、私は鼻白んでしまうのだ。(「我が友、スミス」より)

 ボディ・ビルの大会での評価のものさしが基盤としている価値観に、気が付いた時、
彼女はどうするのか? それは、クライマックスで明らかになる。

ボディ・ビルって、「そんな競技だったの?」という驚き、「それと、これとは関係ないじゃん!」と言いたくなるような、大会の評価基準の不思議があった。

読み始めた当初は、肉体改造により、主人公がこれまでの人生で感じていた抑圧的なものから解放されていく物語かと思っていた。

しかし、物語の後半、ボディ・ビルは「女らしさ」が押し付けられる競技であることが示され、当初の予想とは逆になり、面白かった。


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