2020年6月26日金曜日

【コロナの時代の僕ら】読むなら、今でしょの1冊。「正しく、恐れる」が腑に落ちてなかった理由が分かった気がする




「読むなら、今でしょ」の1冊
「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダーノ著)

読み終えて、すっきりしたことが1つある。
コロナ禍の中、「正しく恐れる」という言葉をうまく説明できなくて
もやもやしていたが、その理由が分かった気がした。

どのような特徴を持つウイルスなのか、
どうしたら感染するのか、感染しやすいのか
どうしたら感染を予防できるのか、
様々な情報が流れている中で、発信の源や、説明の根拠をしっかり確認しよう。
それが「正しく、恐れる」ということだと思っていた。

それは、間違いではないと思いながら、もやもやしていた。
本書を読んだ後、
「正しく」と「恐れる」の間が、うまく繋がっていなかったからだと気が付いた。

情報の「正しさ」を見極める努力をするのは、大事。
でも、「恐れる」必要はないんじゃないかと思っていたのだ。
不安は、少ないほうがいい。
できれば、不安など感じずに、安心した心の状態で過ごしたかった。

本書には、次のような記載がある。
『科学者であれば驚かない現象が、それ以外の人々を軒並み怖がらせてしまうことはある。
感染者数の増加は「爆発的」とされ、本当は予測可能な現象にすぎないのに、新聞記事のタイトルは「懸念すべき」「劇的な」状況だと謳うようになる。
まさにこの手の「何が普通か」という基準の歪曲が恐怖を生むのだ。
COVID-19の感染者数は今、イタリアでもほかのどこでも増え方が安定していないが、今の段階ではこれよりもずっと速く増加するのが普通で、そこに謎めいた要素などまったく存在しない。どこからどこまで当たり前のことなのだ』

『僕らは自然に対して自分たちの時間を押しつけるのに慣れており、その逆には慣れていない。だから、流行があと1週間で終息し、日常が戻ってくることを要求する。(略)
でも、感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何が許されないかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方とは限らないからだ』

人間が、どのような手法を使っても、コントロールできないものはある。
そのことを、分かっているつもりで、普段は忘れている。
どうしたらよいかを考えていく際に、
前提に置いておかなければならない何かが欠けていたり、抜けているから、不安が膨らむのだと思う。

本書を読むと、
新型コロナウイルスが問題になる前の「元の生活」に戻ることが、最善なのか?
と、自分自身に問うことになるだろう。

著者が言うとおり、
この問いは、コロナ禍が過ぎたら忘れてしまうものかもしれない。
元に戻さない。忘れない。そうしたものを整理しておきたい。


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