2019年5月5日日曜日

殺人も、謎解きも、ない。だけど、ある意味、とても怖い。アガサ・クリスティ作品



AERA.dot
鴻上尚史さんのコラム「鴻上尚史のほがらか人生相談」
4月9日掲載「友人に絶交されました」鴻上尚史が指摘する“無意識の優越感”
にて、紹介されていたアガサ・クリスティの作品。

アガサ・クリスティといえば、「そして誰もいなくなった」などのミステリー作品、
ポワロやミス・マープルなど名探偵が登場するドラマが思い浮かびますが、
「春にして君を離れ」は、ミステリー作品ではありません。

主人公の専業主婦が、病気になった娘のもとを訪れて、これからイギリスへ帰国するところから、物語が始まります。
旅の間に、これまでの出来事を振り返り、夫との関係、娘との関係について考えるうちに、あることに気がつく。それは彼女の人生を大きく変えることのように思われる気づきなのですが・・・、そして、彼女は、結局、どうなったのか。

彼女の気づきは、殺人に関わるわけでも、財産分与に関わるわけでもありません。
でも、最後まで読むと、彼女は幸せなのか、不幸せなのか、考えさせられて、ジワリと怖い。

自分が抱えているもの、備えているものに、気づくことができるか、気づくことができないか。気づいたことを受けとめて、行動するか。
気づいたことを受けとめきれず、気づかなかったことにするか。
そうした判断の積み重ねで、人生は過ぎていく。
小さなことだと思っていることが、実は、大きなこと、重要なことなのかもしれない。
ミステリーは、読み終わった時に、「そういう仕掛けだったのか!」「あの人が犯人だなんて」などという面白さを味わえますが、本作品は、自分自身と照らし合わせて、すぐに答えがでないことを、いろいろなことを考えさせられる作品でした。

#アガサ・クリスティ




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