2018年2月7日水曜日

「働き方改革」というけれど、そもそも「改革」の必要があるのかな?

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「働き方改革」と言われているけれど、
そもそも、働き方は、上から「改革」と言われないとできないものなのか。

そんなことを考えています。

子育てや介護をしている人、外来で病気の治療をしている人、障害のある人などなど、
さまざまな人が働きたいのだから、働き方も多様になるのが当たり前。

その当たり前が、なぜ、当たり前になっていないのか。

例えば、社員の親に介護が必要になった。
在宅でケアする必要があり、これまでと同じように業務に携わることが難しくなった。
でも、働きたいと思っている。
企業にとっても、経験豊富な人材である。

じゃあ、どうすればいい?
これまでの方法を、どう変えたらいい?
そんなふうに、関係する人たちで、
問題解決に取り組むことができないのは、なぜなのか。

上から与えられた「改革」を、チャンスに変えられたらいいけれど、

そもそも、当たり前のことがそうなっていない現状に疑問を持たず、
上から与えられないと解決に取り組まないのは、ダメなのではないか。

映画「みんなの学校」の木村泰子先生と、
オランダの学校教育に詳しいリヒテルズ直子さんの対談を聴く機会があり、
「当たり前のことができない」が気になりました。

子どもが中心であるべき学校で、その当たり前がどうなっているか?

話を聞けば聞くほど、学校の現状は、大人の社会を映していると思いました。

うまくいかないことがある、困っている人がいるという時に、
じゃあ、こうしてみよう。
他の方法を試してみよう
失敗したら、やり直そう。

そういうことができないままでいるのかな。
学校にいる人も、企業にいる人も。



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