2023年12月16日土曜日

【はじめての短歌】あいまいで、もやっとするのがイイ

 

 取材記事や日々起きた出来事をブログに書いたりはしているが、短歌をつくったことはない。 国語の教科書に載っていた短歌はある程度、記憶にあるが、それ以外の短歌の作品について比べてみたことはなかった。 

 つまり、すでに高く評価された短歌を知っているだけで、 複数の短歌を比べて、良し悪しを考えたことがない。
 日頃、読んだり書いたりしている文章に比べると、短歌はとても短い文だが、どこに注目して読んだらいいのか。
良し悪しを判断する基準を持っていなかった。 

 穂村弘さんの「はじめての短歌」(河出文庫)を読んで初めて、短歌の読み方を知った。 

 文章を書くとき、たいていは、読む人に「分かりやすく」「具体的に」と求められる。 
しかし、短歌では、「分かりやすく」「具体的に」を目指すと、味わいや面白みがなくなってしまう。 

 「〇〇は、そういう状態」と「〇〇は、散らかっている」という表現があった場合、
短歌なら「そういう状態」のほうが良い。 

具体的な状態は一切分からないため、読者は「一体、どうゆう状態」と疑問が沸いて、もやっとし、それぞれの頭で想像する。
短歌は、読者の心を動かすことができるか否かが重要だからだ。「散らかっている」では、読者の多くは「あー、散らかっているんだね」で終わってしまう。もやっとしないし、「そういう状態」と比べると、想像もそれほど膨らまないだろう。 

短歌は、言葉一つひとつの選び方、それらの並べ方で、作品の世界観が大きく変わる。
奥深くて、面白いことを知った。



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