2022年5月24日火曜日

【同志少女よ、敵を撃て】京都で「戦争」といえば、応仁の?

 大学卒業後、生まれ育った静岡県から出て、京都市内で生活を始めた頃、 京都の文化や慣習について、さまざまな「噂」を耳にした。

「京都の祇園のお店では、紹介者がない状態で初めて来たお客さんは入れない。”一見(いちげん)さん、お断り″のお店がある」

「創業100年程度では、たいした歴史ではないと思われている。(もっと長い歴史を持つ企業やお店があるから)」 など、いくつかあるが、

その一つに、「京都で″戦争”といえば、太平洋戦争ではなく、応仁の乱のことを指す」というものがあった。

「戦争」というと、多くの日本人がまず思い浮かべるのが、太平洋戦争だろう。1941年の日本軍による真珠湾攻撃で始まり、1945年に終戦を迎えた戦争だ。

一方、応仁の乱は、室町時代の1467年から1477年の約11年、京都を中心に起きた戦だ。京都が焼け野原になったと言われている。

私が耳にした噂は、京都人は京都が長い歴史を持つことを誇りに思っているため、「戦争といえば太平洋戦争ではなく、応仁の乱」を共通の認識としているというものだった。

噂の真偽は、確かめていない。

ただ、同じ国で生活していても、生まれ育った地域や環境、家族や学校を通して身に着けた思想や価値観などによって、「戦争」と聞いた時に思い浮かべるものが異なる可能性があるのだと考えていた。

小説「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬・著)は、第二次世界大戦中、ドイツとソビエト連邦の間で起きた独ソ戦を舞台にした物語だ。

ドイツ語を学び、ドイツとソ連の架け橋になる外交官を夢見ていた少女は、目の前で母親をドイツ軍に殺される。暮らしていた村の人々も皆、殺された。これを機に、少女はナチス・ドイツ軍と戦う道を進むことになる。

少女にとって真の「敵」とは誰のことなのか?

何のために戦うのか?

こうした「問い」を読者に投げかけながら、物語が展開する。

読み始めは、登場人物のセリフや物語の展開に、「ちょっと都合が良すぎない?」と突っ込みを入れたくなったが、後半、主人公の少女にとっての「敵」とは誰だったのかが明確になるクライマックスは読みごたえがあった。

主人公と共に戦う狙撃兵の少女たちはそれぞれ、戦う目的は異なっている。

ナチス・ドイツ軍の軍人、ソ連の軍人、一般の市民もそれぞれ、独ソ戦の捉え方、戦う理由が多様であることを描いた作品だと思った。

生まれ育った地域や環境、家族や学校を通して身に着けた思想や価値観、自らの経験などによって、「戦争」と聞いて思い浮かべるものが異なる。

そのことを踏まえたうえで、史実から学ぶことが大事なのかもしれない。

アマゾン「同志少女よ、敵を撃て」

https://amzn.to/3wEUt8y

0 件のコメント:

コメントを投稿