人生の「主語」を、自分にする。
再度、福島智さんの著書「ぼくの命は言葉とともにある」
の中に、福島さんが成人する若者に向けて贈った言葉があります。
タイトルは、『自分を「主語」にした人生を』となっており、
自身の20歳の頃の経験も交えて、次のように書かれています。
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十八歳までの視力と聴力を失い、
盲ろう者となった私は、二十歳で大学に進んだ。
盲ろう者としての大学進学は日本初。
マスコミは「日本のヘレン・ケラー」などと、私を持ち上げた。
私を支援してくれる多くの人たちもいた。
しかし、なぜか私は孤独だった。
春の夜。
下宿の六畳間で、点字書の入った段ボールに囲まれながら、
私は一人で途方に暮れていた。
「これからの人生で、オレは何をすればよいのか」
「オレに、一体、何ができるのか」
あれから30年が過ぎた。私は今も悩みと迷いの連続だ。
ただ、先への問いへの答えは、少し見えてきたような気がする。
(中略)
簡単に言えば、人生の「主語」を常に自分にする、ということだ。
つまり、自分が人生で何をしたいのかは、「自分(あなた)」が考え、
どんな生き方をするのかも「自分」が決める。ということである。
もちろん、「自分」だけでは生きられない。
多かれ少なかれ、生きることは他者との共同作業だ。
ただし、それを前提としつつも、
人生を決める主体は自分しかないということである。
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福島さんの「孤独」は、
視力も聴力もある人の「孤独」とは、
異なるものかもしれません。
でも、
「自分の人生をどう生きていくか」という問いに向き合う時、
人は、誰しも、孤独なのではないでしょうか。
孤独であることは、決してマイナスの状態ではなく、
自分を主語にして生きていくためには、
それを受けとめることも必要なのかもしれない。
と思ったりします。
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