2014年9月24日水曜日

他者の力が必要





「なぜ?」を考えてみると、面白い。

趣味でも、仕事でも、
たくさんの中から、
それを選んだ理由があるはず。

「なぜ?」を考えていくと、
幼い頃の思い出だったり、
自分が心の中で求めていることが
思い当って、面白いです。

自分で自分のことを確認する。

これは、本当に大事。

自分で自分のことを確認して、
改めて、趣味や仕事に取り組む。
そうすると少し見方が変わって、
面白さも違ってくるように思います

小林紀晴さんのノンフィクション
「メモワール 写真家・古屋誠一との20年」
を読みました。

自殺した妻の最期の姿をカメラに収め、
写真を発表した写真家・古屋誠一を、
長年にわたり取材してまとめた本です。

この本のエピローグに、次のような一節があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真という表現方法は、自分自身の姿を直接写真で描くことができない。

だから代わりに誰かと何ごとかを撮るしかない。
撮りたいという欲求は、最終的には、その一点に収斂されていく気がする。

自分が見たもの、触れたもの、そこにいた誰かをカメラに収めることで、
唯一、自分の存在が立ち上がる。

他者の力が大きく必要なのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小林さんが、古屋さんに向けた「なぜ?」の答えだと思います。

これは、小林さん自身にとっても、
写真を撮ることの答えになっているのかもしれません。

私の場合は、文書を書くのは「なぜ?」ということ。

「自分の存在が立ち上がる」といえるほど、
しっかりしたことは、まだ、できていないけれど、

取材を通じて、

他者のもっている何かに気づく、
発見があるということは、

自分自身の何かに気がつくことに
つながっているように思います。

私も、他者の力によって、
書いているように思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿