誰かに自分との「違い」を見つけ、
何かを感じ思うことは自然な事だ。
変だと感じるものは変!
妙だと思うものは妙!
理解できないものは理解できない!
心の動きに制限をかける必要は全く無い。
自分の正直な心の動きを見つめずして、
すっ飛ばしてなかったことにしてしまうから、
「差別をしてはいけない」とか
「偏見を持ってはいけない」とか
“上辺だけ”の平等論や理想論がじわじわと社会を包み、
結果として「差別」や「偏見」がより根強く残ってしまう。
違うものは違う。それでいいんである。
むしろそこが出発点なのだ。
「違い」そのものや自分の心の動きにどう対峙し、
自分とは違う誰かとどう関係を築いてゆくのか。
障害の有無を問わず、
人と人との関係性はそこから出発するのではないだろうか。
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京都にあるNPO法人スウィング発行のフリーペーパー「Swinging」(Vol.17)。
施設長の木ノ戸昌幸さんのエッセイにあった言葉です。
直球です。
ビシッと、きました。
他人と接することは面倒な場面もあるけれど、
それを避けてしまうと、
他人と自分の「違い」を知るチャンスを逃してしまう。
結局、自分の視野を狭くしてしまうし、
思考の幅も広がらないように思います。
他人との人間関係で、悩むことや、辛くなることもありますが、
それもまた、自分との「違い」を考えるきっかけなのかもしれません。
「違い」から学ぶこと、吸収できること、たくさんありますね。
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