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熊本城 |
「他人に気を使ってしまい、他人に合わせてばかりで、
自分らしくないところがある気がする」
友達と雑談していたら、そんな話が出てきました。
自分が思っていることや感じていることを素直に言えばいいはずなのに、
相手が気に入りそうなこと、相手の好みにあいそうなことを、つい、話してしまう。
それは、自分が本当に思ったり、感じていることとは違うので、
どこか居心地が悪いのだそうです。
彼女自身は、
自分が思っていること、感じていることを話すことができないのは、
自分の意見や感じ方に「自信がないから」だと、分析していました。
「自分らしく」いられない。
同じような悩みを抱えている人、少なくない気がします。
でも、「自分らしさ」とは、一体、何でしょうか。
村上春樹さんのエッセイ「職業としての小説家」には、
「オリジナリティーについて」という章があります。
村上さんは、作家としてのオリジナリティーについて、
次のように書かれていました。
『自分のオリジナルな文体なり、話法なりを見つけ出すには、
まず、出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、
「自分から何かをマイナスしてく」という作業が必要とされているみたいです。
僕らは生きていく過程であまりにも多くのものごとを
抱え込んでしまっているようです。
情報過多というか、荷物が多すぎるというか、
与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、
自己表現みたいなことをしようと試みるとき、
それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、
時としてエンジン・ストールみたいな状態に陥ってしまいます。
身動きがとれなくなってしまう』
『何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、
あるいは不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?
すごく単純な話ですが、
「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」
というのが一つの基準になると思います』
私の友達の例で考えるとしたら、
相手と話をするとき、
彼女は、たくさんのことを考えすぎてしまっているのかもしれません。
そもそも、自分が感じていること、考えていることを話したい相手なのか?
本音を伝えたい、その必要性があるのか、どうか?
「自分らしく」話をできないことで楽しくなれないとしたら、
どうしたら楽しくなれるのか?
少し掘り下げて考えてみると、
それほど本音を話さなくてもいい相手なのかもしれないし、
自分らしく本音を話せる人を、他に探せばいいだけなのかもしれません。
そもそも、考えていること、感じていることを話す必要性は、どのくらいあるのだろう?
足し算ではなく、引き算をして考えると
答えが見つかるものかもしれません。
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