ウソではないけど、
事実でもない。
取材者が、書いているものは、
そういうものかもしれません。
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ライターは「特権者」である
当事者に対しても、読者に対しても、
何を書くか、どう書くか
裏を返せば、
何を書かないか、どう書かないか、
は、ライターの自由である。
だからこそ、自分の書いているルポが
< むなしいこと >
< 真っ赤なニセモノ >
だという苦い認識をどこかにもっていないと、
その文章は
たちまち鼻持ちならない正義感や
したり顔の解釈の腐臭を放ちはじめるだろう。
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作家の重松清さんが書かれていた一節。
「書くこと」は
何かを、表に出すこと。
しかし、
その何かは、文章にされた途端、
「事実」とはいえないところが出てきます。
祀り上げたり、叩いたり、
というのは、極端な例ですが、
文章として表に出されたものが、
取材対象に対して、何らかの「力」を働かせるものになる。
そういうことがあります。
つくづく危険な行為だな
って、思います。
それでも、
私が書き続けてしまうのは、
取材を通じて、
私自身が、何かを感じ、得るものがあるからだと思います。
私が書いたり、撮影したものが、
誰かに届き、
巡り巡って、
取材で関わった方々に還元できるように、
今日も、また一歩。
頑張ろう。
写真は、三軒茶屋にある「愛と胃袋」さんのお料理
見た目も美しい。
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