2013年4月4日木曜日

幸福と不幸は、障害のある・なしではなく、人それぞれのもの。~出生前診断に寄せて

障害者として生きていくことは、本当に不幸なことなのか。

はたまた障害と幸福には、何の相関関係もないのか。

それは親ではなく、 本人が生きていくなかで判断していくべきことだと思うのだ。

もちろん、平坦な道でないことはわかっている。

いじめ、差別、偏見――。

障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が待ちかまえている。

でも、健常者に生まれたからといって、幸せな人生を歩めるとはかぎらない。

そして、障害者に生まれたからといって、不幸になるともかぎらない。

つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、わからない。

どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転でHAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。

それなのに、生まれた時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったいない気がしてしまうのだ。

と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てていくのは親だ。

その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者としての人生は不幸にちがいない。

だから、私たちは中絶する」という決断を下したならば、何も言うことはできない。

口をはさむべきことじゃない。

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「五体不満足」の著者、最近は「だいじょうぶ3組」が映画化された 乙武洋匡さんのツイッターにあったものです。

少し前のものなので、羊水検査について触れていますが、 障害のある子どもを持つことについて書かれています。

4月1日から、妊婦の血液だけでダウン症など胎児の染色体異常を判定できる 新型の出生前診断が受けられるようになりました。

羊水検査に比べると、比較的簡単に調べることができます。

しかし、十分な情報を持たないまま、診断を受けて、 中絶が広がるのではないかと懸念する声もあるそうです。

医療技術が進展して、以前は分からなかったことを知ることができるようになりました。

患者や家族にとって選択肢は増えましたが、 「命」に関わる選択は、とても重いものだと思います。

出生前診断について考えると、 ご夫婦の「選択の自由」を尊重しなければならない と思う一方で、

「障がい」の有無を調べるという行為そのものに、 「障がい」に対する見方や考え方が反映されているように思い、 誤解や偏見とつながりが気になります。

乙武さんは、上記の言葉に続けて、次のように書いています。

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そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。

「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」

――お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。

僕がメディアに登場する理由の多くは、そこにある。

もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき役割のひとつだと思っている。

でも、こればっかりは、一人じゃどうすることもできない。

どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。

大切な命を守っていくために。

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親になった経験がないので、 実感として分からないこともありますが、

でも、やっぱり、 乙武さんの言うとおり、

幸せか、不幸かは、障害のある・なしではなく、人それぞれのもの。

だと思います。

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