障害者として生きていくことは、本当に不幸なことなのか。
はたまた障害と幸福には、何の相関関係もないのか。
それは親ではなく、
本人が生きていくなかで判断していくべきことだと思うのだ。
もちろん、平坦な道でないことはわかっている。
いじめ、差別、偏見――。
障害者として生きていくには、まさに多くの「障害」が待ちかまえている。
でも、健常者に生まれたからといって、幸せな人生を歩めるとはかぎらない。
そして、障害者に生まれたからといって、不幸になるともかぎらない。
つまり、生きてみなければ、その人の人生が不幸かどうかなんて、わからない。
どんな苦しい境遇に生まれても、大逆転でHAPPYな人生を歩むことになるかもしれない。
それなのに、生まれた時点で「この子は不幸だ」と決めつけてしまうのは、あまりにもったいない気がしてしまうのだ。
と、僕がいくら言ったところで、やっぱり子どもを生み、育てていくのは親だ。
その親が、羊水検査をした結果、「やはり、障害者としての人生は不幸にちがいない。
だから、私たちは中絶する」という決断を下したならば、何も言うことはできない。
口をはさむべきことじゃない。
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「五体不満足」の著者、最近は「だいじょうぶ3組」が映画化された
乙武洋匡さんのツイッターにあったものです。
少し前のものなので、羊水検査について触れていますが、
障害のある子どもを持つことについて書かれています。
4月1日から、妊婦の血液だけでダウン症など胎児の染色体異常を判定できる
新型の出生前診断が受けられるようになりました。
羊水検査に比べると、比較的簡単に調べることができます。
しかし、十分な情報を持たないまま、診断を受けて、
中絶が広がるのではないかと懸念する声もあるそうです。
医療技術が進展して、以前は分からなかったことを知ることができるようになりました。
患者や家族にとって選択肢は増えましたが、
「命」に関わる選択は、とても重いものだと思います。
出生前診断について考えると、
ご夫婦の「選択の自由」を尊重しなければならない
と思う一方で、
「障がい」の有無を調べるという行為そのものに、
「障がい」に対する見方や考え方が反映されているように思い、
誤解や偏見とつながりが気になります。
乙武さんは、上記の言葉に続けて、次のように書いています。
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そこで、僕が何らかの役割を果たせたらと思っている。
「乙武さんみたいに、幸せそうに生きている人もいるな」
――お腹のなかの子に身体障害があるとわかっても、僕の生きる姿から「産む」決断をしてくださる方が、少しでも増えるように。
僕がメディアに登場する理由の多くは、そこにある。
もちろん、「やっぱり、障害者なんて産むんじゃなかった…」と後悔することのないような社会にしていくことも、僕が果たすべき役割のひとつだと思っている。
でも、こればっかりは、一人じゃどうすることもできない。
どうしても、みなさんの理解と手助けが必要です。
大切な命を守っていくために。
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親になった経験がないので、
実感として分からないこともありますが、
でも、やっぱり、
乙武さんの言うとおり、
幸せか、不幸かは、障害のある・なしではなく、人それぞれのもの。
だと思います。
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