2025年6月4日水曜日

「なりたいもの」が分からない君に

 


子どもの頃、「大人になったらなりたいもの」を尋ねられ、もやもやした思い出がある。

昭和50年~60年代の小学生。クラスメイトの男子が「なりたいもの」は野球選手やサッカー選手が多かった。女子は看護師、花屋、パン屋。洋服のデザイナーなど、男子より多様だったかもしれない。しかし、私には特に「なりたい」と思うものがなかった。

 

小学4年生の頃、年度末にクラスで文集を作ることになった。児童一人1ページが割り当てられ、「今年の思い出」「私が得意なこと・苦手なこと」など共通の質問の答えを載せるもので、「大人になったらなりたいもの」は質問の一つになっていた。

自分だけ何も答えを書かないわけにいかず、私はいろいろ考えた末に「看護師」と書いた。

 

「大人になったらなりたいもの」の質問に対して、嘘の答えを書いたわけではない。

しかし、クラスの文集が完成した時のことを想像して憂鬱になった。「とりあえず、これにしておこう」と選んだ「なりたいもの」が、友達や家族の間で話の種にされるのが嫌だった。

 

絵本作家・鈴木のりたけ・著の「しごとへの道」は、仕事に就くまでの道のりを描いたコミック仕立ての絵本だ。第1巻は、パン職人、新幹線の運転士、研究者の3つの仕事を取り上げており、それぞれ主人公がその仕事に就くまでを物語にしている。それぞれの物語の終わりに、モデルとなった実際の人物が紹介される。

 

この本に登場する人たちは、現在の仕事(職業)について、子どもの頃から「これになりたい」という思いを抱いていたわけでない。「何をしたいのか」「何になりたいのか」よくわからず、悩んだり、遠回りしたり、挫折をしたりして、現在の仕事にたどりついている。

大人の中には、子どもの頃に抱いていた夢を叶えたという人もいれば、まったくそうでない人もいる。

 

3者3様の物語を読むと、「大人になったら、なりたいもの」を尋ねられた時、「特にない」とか、「分からない」と答えてもいいのだと思えてくる。

児童だけでなく、進路を考える高校生、就職活動をしている大学生にも参考になりそうだ。「しごとへの道」は、仕事に就いたところで終わりではなく、先に続いていることも示している。社会人が読んでも働き方や生き方について考える材料になるかもしれない。

 

「しごとへの道」(鈴木のりたけ、ブロンズ新社)

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2025年5月15日木曜日

【いつか中華屋でチャーハンを】中華屋で定番以外のメニューを追求



 店のガラス扉に貼られた「冷やし中華」の文字が目に入った。

自宅と最寄り駅の間にある小さな中華屋さん。

10人も入れば満席になりそうな店舗で、扉に貼られた「冷やし中華」のポスターがやけに目立っていた。

 

中華屋のメニューといえば、チャーハン、ラーメン、餃子、麻婆豆腐、天津飯など、さまざまなものが思い浮かぶ。その中で、冷やし中華はどの程度の人気があるのだろう。ラーメンやチャーハンなどの定番メニューには及ばないが、そこそこの人気はあるのだろうか。

 

「冷やし中華はじめました」

「冷やし中華あります」

お店が提供開始を大々的にアピールすることで、需要が喚起されるのかもしれない。

季節を問わずいつでも注文できるわけではなく、夏季限定メニューである点は特別感がある。

 

冷やし中華と比べると、それほどメジャーではないが、特定の地域ではよく知られていたり、食べられている中華屋のメニューがあるらしい。

 

「いつか中華屋でチャーハンを」(増田薫・著)は、町の中華屋さんのメニューを追求した漫画エッセイだ。

バンドマンの増田さんは、知人から「中華屋にあるカレーを食べてきてみてよ」と言われたことをきっかけに、定番ではない料理が気になりだす。

「あんかけカツ丼」「中華うどん」「ダル麺」などなど。それぞれの料理の発祥を探ったり、有名店を食べ歩いて、調理法や材料の違い、味の感想などを交えて、漫画で紹介しているのがこの本だ。

 

紹介された料理のほとんどを知らず、食べてみたことがないものばかり。

地方出張する時には、町の中華屋さんを調べて行ってみようかとも思っている。

 

「いつか中華屋でチャーハンを」という本書のタイトルは、町の中華屋さんで出されている定番以外のメニューにこだわり、追求している著者の心情をうまく言い表している。

沼にはまってしまって、当面は定番に戻れない感じが漂っていて、面白い。

 

AMAZON 「いつか中華屋でチャーハンを」

 

 

2025年4月16日水曜日

【目的への抵抗】「コスパ」「タイパ」に疲れてしまった人に

 


勉強の「目的」、仕事の「目的」、外出の「目的」、その商品を買う「目的」、あらゆる場面で、私たちは「目的」を考えるようになっている。
 
「目的」を明確にすると、それを達成するための手段も見つけやすいと言われる。
さまざまな手段がある中で、より効率的なものを選ぶことが良いとされる。
コスト(費用・お金)は掛けないほうがよい(コスパが良いほうがいい)。
時間も掛けないほうがよい(タイパも良いほうがいい)。
そんなふうに考えがちだ。
 
コスパやタイパを追い求めると、映画を早送りして見ることになったり、
要約を読むことで読書を済ませることになる。
 
それって、本当によいことなのだろうか?
 
國分功一郎・著「目的への抵抗」(新潮新書)は、「目的」というものについて、立ち止まって考えさせる一冊だ。
 
私たちの毎日の生活の中で、「目的」を明確にする必要なことって、どれくらいあるだろう?
 
何の目的もなく、行動することに価値があるのではないか。
 
そんなことを考えさせられる。
 
特定の目的や、効率的とされる手段に縛られず、「自由」であることの価値も示してくれる。
 
「コスパ」「タイパ」の考え方に疲れた人に、お勧めしたい1冊。


Amazon 本「目的への抵抗」

2025年3月21日金曜日

【対馬の海に沈む】あるJA職員の死と横領事件、その背景にある闇

 


 

「対馬の海に沈む」(窪田新之助・著、集英社)は、JA対馬(対馬農業共同組合)に勤務していた職員の死と、その後に発覚した巨額の横領事件について追ったノンフィクションだ。

 

西山義治は、JAの共済事業で全国的にトップレベルの成績をあげている人物として知られていた。しかし、2019年2月、大量のアルコールを飲んで車を運転して海に突っ込み、溺死した。

彼の死後、建物の被害を偽造して共済金が振り込まれるようにするなど、さまざまな不正が明らかとなる。被害額の推計は、22億円以上にのぼった。

 

著者は、これほど大規模な不正を、たった一人の職員がおこしたものとは思えず、違和感を抱いた。共犯者がおり、組織的な腐敗や隠ぺいがあったのではないか?と疑い、調べ始める。

 

西山の家族、同僚や上司、JA共済の顧客などに取材し、不正の背景を描いていく。

もっとも読み応えがあるのは、JAの組織的な問題にとどまらず、西山に利用された顧客たちの「闇」を指摘した点だろう。彼らは西山の不正により恩恵を受けた面があるにも関わらず、罪に問われることはなく、被害者面をしようと思えばできる。

 

地道な取材を積み重ねて書かれていて、読み応えある1冊。

 

Amazon 本「対馬の海に沈む」

2025年3月10日月曜日

【ゆっくり、いそげ2 大きなシステムと小さなファンタジー】「自分のやりたいことが見つからない」という人に

 

「自分のやりたいことが見つからない」。

知人から、そんな相談を受けた。

 

結婚して、子育てをしっかりやっている。

子どもが少し大きくなってきたので、パートタイムで仕事を始めた。

仕事も家庭も小さな悩みはいろいろあるけれど、大きな問題には直面していない。

しかし、趣味を楽しんでいたり、地域の活動を熱心にしている人の話を見聞きすると、心の中がざわざわするという。

「自分のやりたいことって、何だろう?」と考えてみると、

「これだ!」というものが見つからない。

何かが足りない。そんな気持ちになってしまう。

そんな相談だった。


どう答えたらよいのか、なかなか難しい。

とりあえず、 「今のままで、ある程度、幸せなのでは?」と返してみた。


仕事や家庭に悩みがあって、趣味をしている時間だけ、それらを忘れてリフレッシュできるという人もいる。

自分が没頭できるような特別な何かを見つけようと考えると、ハードルが上がって見つけにくくなるのかもしれない。

とりあえず、毎日の中で、これをやっている時は楽しいと思えるものに注目してみたら、どうだろう。

そんな提案をしてみたけれど、

「自分のやりたいことが見つからない」という相手は、

「そうですねぇ」と口にしながら、腑に落ちてはいない様子だった。

 

影山知明さんの著書「ゆっくり、いそげ2 大きなシステムと小さなファンタジー」(クルミド出版)に、「自分のやりたいこと」について書かれた一節があった。

 

影山さんは、「自分のやりたいこと」を「beとdoとhave」で整理して説明している。


人は幼い頃、自分の人生の目的地を動詞のhaveで考える。

あのぬいぐるみが欲しい、新しいスマホが欲しい、かわいい彼女が欲しいと。

成人し、就職活動をするような段階になっても、意外にこうした欲求から脱皮できないものだ。固有名詞を出して恐縮だけど「トヨタ自動車に就職したい」「ソニーに」「伊藤忠商事に」という就職活動は、そこで何をするか(do)よりも、その会社のブランドが欲しい、その会社の名刺が欲しいというレベルにとどまっているように思えるのだ。あるいは、より年収が高いところに勤めたいという欲求。これは端的に言えば、「お金が欲しい」ということなわけで、これらを含めて、haveの欲求といえる。

 そこから少し大人になると、人生の目的地を動詞のdoで考えるようになる。

「発展途上国に行って、学校をつくりたい」「ゲーム会社に入って、大ヒットゲームをつくりたい」(中略)など。

 

影山さんは、

すぐに到達できない目的地は「夢」とされ、そこへ向かって努力と研鑽を続けていくことは意味があるとする一方で、このアプローチは度が過ぎると、未来のために今が手段化してしまうと指摘する。

さらに「目標達成するまでの自分を常に「未達」と評価することになり、精神的な辛さもある。つまり、人生を不足と未達成の連続にしてしまいかねない」と説明する。


そこで、be動詞だ。

「何を持ちたいか」「何をしたいか」ではなく、「どうありたいか」。

これであれば、そこに置く言葉にもよるけれど、「いつか、どこかで」ではなく、「今、ここで」それを達成することができる。そして「今を生きる」ことを目的として、人生を達成と充足の連続として生きることができるようになる。 

 

影山さんの3つの「こうありたい」は

・目の前の人を大事にする自分でありたい

・自分にウソをつかない自分でありたい

・まわりに感謝し、感謝される自分でありたい

だそうだ。beの充足は、doの挑戦への前向きな前提条件にもなるという。

 

「自分のやりたいことが、見つからない」という人に、アドバイスをするなら、

「どうありたいか」を考えてみることなのかもしれない。

「どうありたいか」を明確にすると、毎日どんなふうに過ごしたらよいか、家族や友達にどう接するのがよいかが見えてきて、「こんなことをしたい」というdoも生まれてきそうだ。

 

私たちは日頃、haveやdoに目を奪われがちなのかもしれない。

自分自身のbeを忘れないように、心にとめておきたい。


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2025年2月22日土曜日

【生きるための読書】年を重ねても、頭は柔らかく

冷え込みが厳しいので、帰宅してすぐエアコンの暖房を入れ、ホットカーペットの電源も入れる。読書でもしようと本を開いたが、数ページめくるうちに瞼が重くなり、睡魔に襲われていた。30代いや40代も前半の頃は夜遅くまで起きていられたが、最近は読書より睡眠を優先。健康維持が第一になっている。

 

本を読むには、気力も、体力も要ると思う。

年齢を重ねれば重なるほど、気力も体力も減退するとしたら、

これから先、どんどん本を読むのが難しくなるのかもしれない。

 

50代に入り、そんなことを考え始めていたのだが、

「心配は要らないよ」と言ってくれる本に出会った。

 

津野海太郎さんの著書「生きるための読書」(新潮社)だ。

この本は、80代半ばの津野さんが、自分よりもずっと若い3040代の著者が書いた本を読んで学んだことや、感じたことをまとめたエッセイ。

 

取り上げている本の著者は、伊藤亜紗、斎藤幸平、森田真生、小川さやか、千葉雅也、藤原辰史。人文・社会系で注目を集めている著者たちだ。

 

津野さんは、彼らの本を読むことになったきっかけや、本の中から学んだことなどを、読者に語りかけるようにまとめている。

自分よりずっと若い世代の著者たちに注目し、彼らの発言や研究を知り、本から得た新しい知識に喜びを感じている姿が、とても素敵だ。

 

本書から感じたのは、津野さんは「本を読むことが好きで、楽しんでいるんだなぁ」ということだ。

 

これから先、もっと年齢を重ねて気力や体力が減退しても、それなりに読書を楽しめるものかもしれない。自分よりも若い世代の言動に耳を傾け、そこから学べるように、頭を柔らかくしておきたい。

 

 

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2025年1月13日月曜日

【ようこそ、ヒュナム洞書店へ】本屋さんを舞台に人生について考える。自己啓発書のような小説。

 


 

 

小説「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」(ファン・ボルム著、牧野美加・訳、集英社)は、ソウル市内の本屋さんに出入りする人々の物語。

 

「自分の家族に、どう向き合っていけばよいのか?」

「大企業への就職を目指すのか、アルバイトのままでいいのか?」

「好きなこと、やりたいことが見つからない」

 

夢や目標、仕事やお金、家族との人間関係、この書店に集う人々はそれぞれ悩みを抱えている。

 

誰もが人生の中で大なり小なりぶつかりそうな悩みなので、読者は、登場人物の誰かに自分を重ねるかもしれない。

 

私はこの本を読みながら、ヒュナム洞書店の店内に自分も居て、登場人物たちの会話に耳を傾けているような気持ちになった。

 

 

「夢を持つことを、どう考えるか」は、本書の中で、たびたび登場する問いの一つだ。

 

ヒュナム洞書店の女性店主ヨンジュは、本屋さんを開くことが夢だった。

アルバイトのミンジュンに「夢を叶えたわけですね」と言われて、次のように答えている。

 

「満足はしてるのよ。でも、なんか夢がすべてじゃないような気がして。夢が大事じゃないってことでも、夢より大事なことがあるってわけでもないんだけれど、でも夢を叶えたからって無条件に幸せになれるほど人生は単純じゃない、って感じ?そんな感じがするの」

 

ミンジュンは大学卒業後、企業への就職活動がうまくいかず、ヒュナム洞書店でアルバイトをしている。

当面はアルバイトを続けるが、それから先、どうするのか。

自分の将来を心配している親との付き合い方も、悩んでいる最中だ。

 

ヨンジュ自身、離婚をめぐって母親との関係が悪くなった経験がある。

 

「親との関係は…こう思ったら、私は楽だった。

誰かを失望させないために生きる人生より、自分の生きたい人生を生きるほうが正しいんじゃないか、って。残念よね。愛する人に失望されるのは。でもだからって一生、親の望むとおりに生きるわけにはいかないんじゃない。(中略)」

 

「自分がこうやって生きているのはどうしようもないこと。

だから受け入れること。自分を責めないこと。悲しまないこと。堂々とすること。わたしはもう何年も、自分にそう言い聞かせながら自己正当化しているところなの」

 

店主のヨンジュの悩みに、登場人物が寄り添ったり、提案してくれる場面もある。

ヒュナム洞書店に集う人それぞれが自分の悩みに向き合い、前向きな一歩を踏み出す。

 

小説の形式だが、地域における書店のあり方、本を読むことや文書を書くことの意義、働き方、時間の使い方(ワーク&ライフバランス)などがテーマになっており、自己啓発書のようにも読める一冊。

 

 

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