「丸い」「四角い」とはいうけれど、なぜ「三角い」とは言わないのか。
なぜ、親になると、子どもに向かって「パパは、・・・」「お母さんは、・・・」などと自称するのか。
なぜ、「パンツ一枚」ではなく、「パンツ一丁」と言うのか。
などなど、
日常的に使っている言葉の中には、言われてみると不思議なこと、疑問になることが潜んでいる。
無意識に使っている時は、これらの不思議に気がつかない。
指摘されてはじめて、「あれ、どうしてなのだろう?」と疑問になる。
いつも使っている言葉だけに、そこから疑問が沸いてくると新鮮だ。
「いつもの言葉を哲学する」(古田徹也・著、朝日新書)
は、多くの人が無意識に、日常的に使っている言葉の例を挙げて、
「これ、不思議じゃないですか?」と問いかけてくる。
なぜ、そういう使い方になったのか。
なぜ、そのように表現するのか。
改めて考えさせる。
それは、言葉やその使い方の基盤となっている
価値観や思想、倫理、歴史や社会的背景などに目を向けることになった。
読み進めるなかで、本書のタイトルに「哲学する」と付けられている理由が分かってきた。
考え始めると深いが、誰もが日ごろ使っている言葉の話だけに、
家族や友達との会話のちょっとした「ネタ」としても使えそうだ。
最近読んだ本の中で、予想以上に、特に面白かった1冊。
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