あの頃は、よく分からなかった。
その理由が、今は、分かる。
10代や20代では、分からない。
社会に出て、他人との間で揉まれて、自分にできる役割や仕事について考えたり、葛藤したり、挫折したりする経験をしたうえで、初めて味わえるものがあるのだと思う。
作家・須賀敦子の作品「ミラノ 霧の風景」を初めて読んだのは、
大学生の頃だった。
正直なところ、どんな作品だったのか、
どんなことを感じたのか、よく覚えていない。
当時の私では、須賀が「ミラノ 霧の風景」に書いたものを受けとめたり、くみ取ったりするのは難しかったに違いない。
そのことが、大竹昭子さんの著書「須賀敦子の旅路」を読んで、はっきりと分かった。
「須賀敦子の旅路」は、著者が須賀敦子の作品の舞台となったイタリア・ミラノ、ヴェネツィア、ローマなどを訪れ、歴史や風景に触れ、須賀に縁のあった人からの話を交えながら、作品を読み解いていく一冊だ。
イタリアから日本に帰国してから作家となるまでの「空白の20年」について、 大竹さんが探っている『東京』の章は、特に興味深い。
イタリアから日本に帰国してから作家となるまでの「空白の20年」について、 大竹さんが探っている『東京』の章は、特に興味深い。
須賀敦子が、なぜ、作家になったのか。
何が、誰が、きっかけとなったのか。
執筆の題材を、どのように描こうと考えていたか。
作家としての姿勢、在り方。
これらに関する大竹さんの説明を読んで、
改めて、須賀敦子の作品を読み直して確認してみたくなった。
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