もしかしたら、「大人の夏休み」とは、こういうものなのかもしれない。
フジモトマサルさんの「二週間の休暇(新装版)」を読んで、そう思った。
大人になると、なかなか休めない。
会社員として働いて、
休日になると、その時間を有効に活用しようとする。
家を掃除したり、料理したり、趣味をしたり、
家を掃除したり、料理したり、趣味をしたり、
習い事をしたり、資格の勉強をしてみたり、、、。
子どもがいれば育児があり、
子どもがいれば育児があり、
高齢の親がいれば介護があったりする。
稼働している日が多い。
そんな大人にとって、本当に休むのは、どういうことなのか?
稼働している日が多い。
そんな大人にとって、本当に休むのは、どういうことなのか?
「二週間の休暇」は、
記憶をなくした主人公が、2週間、それまでとは異なる世界で過ごす物語だ。
なぜ、そこで暮らしているのか不明のアパートで、手料理をつくったり、
見知らぬ街の住人、鳥たちのインタビューを起こして、まとめたり、
それまでと何かが異なるけれど、何かが変わらない世界。
そこで過ごした二週間は、主人公に何をもたらすのか。
大人の夏休みは、
それまでの自分をいったん忘れて、
自分は一体、どんな人間なのか
どんな生活をしたいのか
どんな仕事をしたいのか
どんな人と出会いたいのか
それらを確かめるための時間を過ごすことではないだろうか。
フジモトマサルさんの創った世界では、
登場人物たちが発する言葉は多くない。
フジモトマサルさんの創った世界では、
登場人物たちが発する言葉は多くない。
物語を展開するために使われる言葉もほとんどない。
描かれた人や動物の動き、
建物や景色で、ゆるやかに物語が進んでいく。
そして、そのなかに、文字にしない言葉がたくさん詰まっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿